叔母の恋 待つ人 | 羽生結弦くんにメロメロ♡めろん

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※こちらの記事は10/2限りでアメ限にしますね

この話は私のプライベートなもので、羽生くんとは関係ないものです。
(なので興味ない人はここからお帰り下さいね)



今まで幾度となく叔母の恋の事は書いてきました。


叔母には私がブログを書いていること(このブログだとは知りません)

叔母の話を書くことも了承してもらっているとはいえ、プライバシーに関わる事なので、アメ限にするか迷ったのですが、今はもうアメンバーではなくなった人も叔母の恋の事は気になっているかなと思い、表で書くことにしました。


また最近はコメ欄を閉じているのですが、この話に関してはコメ欄を開きます。

私がコメントを欲しいというよりは、昔から叔母の恋を読んで下さってる方々が、もし書きたい言葉があったら頂きたい…そんな感じなのでお返事は纏めて…に、なってしまうと思います(もちろん、書くことなんて何も無いとい事もあると思いますし、『コメントを書かなきゃ』などと言う私へのお気遣いも無用です)


これはフィクションではなく、現実にあった私の叔母の恋の話ですので、特に面白いものでもありません。


ただ



叔母の事を、叔母の心を少しだけでも遺したい(いえ、今現在、生きてますよ)



そんな日記のような私の独り言のような話です。



※もし、叔母の話を初めて読んで、これまでの事も読んでみたい等と言う奇特な方がいましたらテーマを「叔母の恋」として纏めてありますのでどうぞ。





ただ、最後の2つの話はアメ限にしてあるので、アメンバー以外の方はちょっと分からない経緯があると思います。


なのでちょっとだけ説明すると… 
  

叔母の想い人は肺癌を患ってしまいました。
(元々、他にも既往歴のある人です)



今年の初めにメールをしたけれど返事がないと。


生存の安否に心傷めていたのが1月。


その後、お盆に実家に帰った時に叔母にも会ったのですが、何しろ他に両親や叔父もいましたので個人的な話は出来なくて、ずっとその後どうなったのか聞きたいと思っていたのです。


叔母は年末に仕事を辞めてから、時間はあるもののコロナ禍にあり、ランチに誘うことも憚られていたのですが、暑さも納まり秋の声が聞こえて来たので、お昼ご飯くらいならと出かけてきました。






9/30 神楽坂。


叔母は若い頃、赤坂の大手の会社に勤めていた頃、友達とよく神楽坂に飲みにきていたそうで、前にも神楽坂でランチをした事もある、叔母のお気に入りの街の1つです。



「飲み屋は知ってるけどランチの店は知らないのよねぇ」と言いながら検索してオススメしてきた「おいしんぼ」と言う古民家の京料理のお店。






大きな御屋敷らしいのですが、1階の入口のすぐ脇のテーブル席に通されました。

足が痛い者にとってお座敷よりも椅子席の方が有難いので助かりました。

ちょっと懐かしいような古い家。






天麩羅とゆばのコース(黄色いシュワシュワドキドキ)

叔母は結構、いい歳…もとい、結構お姉さんですが、まだまだアルコール大好きで私と張り合うくらいは飲めるようです(血筋)






ランチして叔母がよく行ったという通りや店を巡りました。






可愛い看板ドキドキ







フラッと入ったお店。近代的なインテリアのお店だけど120年以上続く革の店だとか。


ただふらっと見てただけなのに、無料で革の栞を頂きました。


こちらのお店は2周年だという事で…


黒が1枚だけあって欲しかったけど叔母が欲しそうだったので譲りましたウインクでもこれも素敵。






神楽坂は花街としても栄えた街ですが、多くの文豪も訪れた街。

今はオシャレな店もかなり増えて若い人もとても多かったです。






叔母がよく行っていたという「鳥茶屋」







私、知らない街の街灯とか看板とかランプとか好きなんです。





路地に小さい店が多く立ち並ぶ街ですが、そんな中に銭湯もあったり。






喉が渇いたのでお茶する事に。


何も知らないで入ったのですが、ここはちょっと変わったシステムのカフェで…








飲み物はドリンクバーになっていて、席の移動も自由。でも滞在時間によって料金が加算されていくそうです。





1人で来て本を読んだりパソコンで何かしてる人が殆どでした。

私たちのようにお喋りしているとあっという間に時間が経って料金が嵩むので、二人連れには向かないかなあせる







本当はランチだけ…という事だったのだけど、叔母が別れ難いようにしているので(というか叔母が、ちょっとお蕎麦を軽く食べて帰ろうと誘ってきたのでw)



「前はいつ来ても店の前に客が並んでいたのよ」って言っていた「九頭龍蕎麦」へ。







お店の方に話を伺うとオーナーが福井の方で、蕎麦も酒も全て福井のものだとか。

ありゃ、マスクが映り込んでたあせる





だし巻き玉子や里芋の煮っ転がし、美味しかったですニコニコ





福井のお揚げは厚いもので、それをサッと揚げ直した「武田の揚げ焼き」





舞茸のおろし蕎麦。


店内はそれほど客もいなかったし、私達も1時間くらいしかいないでお暇しました。


感染リスクは怖いけど、きちんと感染予防すれば(お店も感染対策していれば)大丈夫かなと。



夜の神楽坂の街は結構、人がいましたね。




さて




最初に切り出したのは叔母の方でした。






叔母「お見舞いに行ってきたのよ」



私「え?待って!返事が来たの?」




そう…話は年末に戻ります。


彼が「どうも最近、右肩や胸が痛いんだよ」と言っていて整形外科を受診すると言っていたそうです。


その時、叔母は「これは整形外科ではないな」とピンと来たそうですが、確信があった訳でもないのでその時は何も言わなかったそうです。



でも整形外科を受診してらドクターになるべく早く癌の検査をするように言われたと。


その後の検査で肺癌、骨にも転移していたらしく、手術に。
  

叔母からの「最近どうですか?」というメールにも、そんな事情もあって返信出来なかったようです。



叔母「お見舞いもね、どうしようかなと思ったんだけどね。思い切って行ってみたの。そうしたら、え?どうして?って言うような目でびっくりしてたわ」って明るく笑う叔母。


今年の初め、お見舞いに行った時に奥さんもいたと。  

叔母の事は彼がよく奥さんにも話していたらしく(というか昨年、1度会ったことがあると言ってました。初耳)


奥さんも気さくな方で、病室で少しお喋りをして…叔母は努めて明るくしていて…


叔母「じゃあねぇー!って笑いながら病室を出たけどね、外に出たら、ワーーーッと涙が出てきちゃってね」



私「彼の写真とか持ってないの?」


叔母「それが1枚も持ってないのよ。1枚くらい撮っておけば良かったわね」




それから彼との思い出話になり…



叔母「ある時ね、コンサートに行って出てきたら、素敵な服を着た人がいるなぁって思ったら彼だったの。どうしたの?って聞いたら、何となくこのコンサートに行くって聞いてたし、会いに来ちゃった、とか言うのよぉ」

 とか、他にも色んな楽しかった話を…




叔母「でもね、どうこうなりたいって訳じゃないの。ただね…巡り逢えて良かったなぁって。こんな素敵な人と巡り逢えて本当に良かった」

   

叔母は少し涙ぐんでいました。




叔母「とにかくね、生きてさえいてくれれば。生きていて欲しい。ただそれだけ」





帰りの道々、下り坂を歩きながら、少し夜空を仰いで呟く。




叔母「連絡がないとね、生きているのかどうかも分からない。今はただ毎日、生きていてくれますようにって願うだけ





叔母の恋はもう6年くらいになるでしょうか。



私の感じでは…彼が叔母に恋愛感情を持っていたとは思えませんが…

でもいくつになっても少女のような叔母を好いていてくれた事だけは確かだと思うのです。

 


私たちは日々、色んな辛いことも楽しい事もあるけれど




生きていればこそ。




生きていればこそなんです。




数年前、叔母の初恋の人が亡くなり(この事は以前、書きましたが、私も知ってる人で、叔母の良き友人でもありました)



親しい人や大切な人に先立たれる事がどんなに辛いか。



私は会ったこともない叔母の想い人だけど





どうか少しでも穏やかに過ごせていますようにと。



でもその時が…そんなに遠くない事が



叔母がどれだけ悲しむか想像するだけでもつらいのです。






今日は中秋の名月。

 
さっき叔母からLINEがきました。



「月がとっても綺麗よ!見てみて!」


 叔母が彼に心を寄せ始めた頃、月が綺麗だとメールしたくてずっと迷って迷っていた夜があったね。


今宵も彼にメールしたかったろうに。



うん、本当に綺麗。



(ウチのベランダからは見えなくて外に出て裏に回って見てきました。スマホの限界あせる)





同じ空でつながってる。



みんなみんな…だからせめて空を見上げるその時だけでも



心穏やかに。



次に叔母に会う時も笑顔で会えたらいいなと思うのです。


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