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勝どきのサッカーバカ蔵のサッカーブログ

主に僕の大好きな海外サッカーの事について書きます。僕の日記を面白いと思ってくれたり、共感してくれた方と仲良くなっていずれ現地でクラシコとかCLの決勝を観るのが僕の夢です‼

世界のサッカーファンの皆さんこんにちは(⌒▽⌒)
ジョン・キクチです(⌒▽⌒)
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僕がもしサッカーチームの監督になったら、絶対超攻撃的なチームを作りたいんですけど、相手を支配する攻撃サッカーを行なううえで、速くて強くて巧いセンターバックは不可欠な存在だと思います。

 高く押し上げたDFラインの裏に生まれた広大なスペースをカバーし、相手ストライカーとのスプリント勝負を制する。ロングボールを放り込まれても、慌てることなく跳ね返す。個の力で負けることは許されない。

 もちろん仕事は守備だけではない。ビルドアップでは、まるで司令塔のように長短のパスを配給することが求められる。プレスにさらされても闇雲にクリアせず、味方につなげる技術と度胸が必要だ。

 それゆえに一昔前に比べるとセンターバックの地位が高まっており、比例して年俸も高くなっている。

 その頂点にいるのが、ブラジル代表のチアゴ・シウバだ。

 このセレソンのキャプテンは、所属するパリ・サンジェルマンにおいて手取りで1200万ユーロ(約16億8000万円)という驚異的な年俸を手にしている。もちろんセンターバックの世界最高額だ。

そもそもこの“ザゲイロ”(ブラジルのサッカー用語でセンターバックの意味)を本気で獲得しようとしていたのはバルセロナだった。少年時代の憧れのクラブはバルサであり、移籍は実現すると思われていた。 だが、そこに横槍を入れたのが“カタールマネー”だった。パリ・サンジェルマンは移籍金4200万ユーロ(約58億8000万円)と前述の年俸を提示。2012年、チアゴ・シウバはバルサからのオファーを断り、パリを新天地に選んだ。

 スペインのメディアは彼を「金の亡者」とバッシングした。だがチアゴ・シウバは堂々と反論した。

「人生は難しい決断の連続でできている。ときに夢に背を向けなければならない。何より僕は家族を養わなければならない。なぜ少ない収入を我慢してプレーしなければならないのか? パリのオファーは新しい挑戦を与えてくれた。正しい道を選んだと信じている」

 チアゴが加入して以降、(イブラヒモビッチの加入もあり)パリはフランスリーグを2連覇している。一方、バルサはグアルディオラが去ったことも影響して、ついに今季無冠に終わった。もしチアゴがバルサを選択していたら……。母国で「モンスター」と呼ばれるセンターバックの決断が、ヨーロッパの勢力図を塗り替えたのだ。

 チアゴ・シウバのセンターバックとしての特徴は、「美しくボールを奪う」ことだ。背筋を伸ばしたままスッと相手に近づくと、散歩のための一歩を踏み出すような自然さで懐に飛び込み、ボールを搦めとってしまう。速さに頼った力尽くの奪取ではなく、しっかりとした観察としなやかな身のこなしに基づくクレバーな奪取だ。

 身長183cmとセンターバックとしてはそれほど大きくないが、跳躍力に優れ、本人も「空中戦は得意」と言うようにヘディングが強い。コンフェデレーションズカップで日本がブラジルと対戦したとき、長谷部誠は「ああいうセンターバックがいるから、彼らはDFラインを押し上げられる」と感嘆していた。

 さらにチアゴ・シウバがサッカー界で評価されるのは、リーダーシップがあるからだ。

 セレソンでセンターバックを組むダビド・ルイスが陽気で口達者なのに対して、チアゴ・シウバは言葉数が少なく、真面目な性格だ。だが、立ち居振る舞いにチームへの想いが溢れており、それがチームメイトを引きつける。

「もし他者をリスペクトすれば、自分もリスペクトされる。それが僕のキャプテンシーのルーツだ」

 ACミラン時代、チアゴ・シウバはマルディーニをお手本にしていた。ともに過ごしたのはわずか半年だが、「君ならACミランのレジェンドになれる」と励まされ、プレーだけでなく、人間的にも多くのことを学んだ。「フォーメーションを議論するのが好き」という戦術的思考がイタリアサッカーとマッチし、瞬く間に世界を代表するセンターバックに成長した。

 チアゴ・シウバはすべてが思い通りに進んだエリートではない。挫折は19歳でFCポルトに移籍したときに訪れた。診断が難しい病気のひとつである肺結核に感染してしまい、当時はまだ原因がわからず、謎の体調不良に悩まされながらプレーしていた。ディナモ・モスクワにレンタルで放出されたとき、ついに原因が判明したが、異国の地の隔離病棟に入院せざるをえなくなった。「あのときは引退の危機にさらされていた」とのちに告白している。

 だが、病に打ち勝ち、ユース時代を過ごしたフルミネンセへ帰還したことが転機となる。クラブでの活躍が認められてA代表に選ばれるようになり、オーバーエイジ枠で北京五輪に出場して銅メダルを獲得。元ブラジル代表のレオナルドの誘いでACミランに移籍すると、あとは目の前の敵を蹴散らすだけで、自ずと評価が高まっていった。

 ブラジルW杯の決勝の舞台は、復活を遂げた故郷リオデジャネイロだ。目標は当然、世界王者である。

「ブラジルサッカー史に名前を刻みたい。トロフィーを掲げたいんだ。W杯で優勝することを夢見ている」

 ブラジルが誇る“モンスター・ザゲイロ”が、さらにセンターバックの地位を高めようとしている。