新・霊異記 『常陸・土蜘蛛』
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一
明るめの雲に覆われた空の下、里山に接した町はずれに平屋の古民家があった。元は大庄屋かと思しき広大な屋敷に、重厚な四脚門。屋根下外門柱には、読みづらい達筆で『記国霊異《きこくりょうい》研究所』と書かれた分厚い木札が下げられていた。
門から覗ける前庭は広く、綺麗に整えられた植木に囲まれた敷地内路の分岐の奥に、母屋と接して建つ二階建てプレハブが見えた。
プレハブのドアには、『Kikoku Occult Research Laboratory《記国霊異研究所》』と記された金属プレートが貼られている。その一階室内は、雑多な冊子や資料本がいい加減に積み上げられ、さほど整理もされていない室内奥にはくたびれたカウチソファがあった。そのソファ上に長々と横たわった所長の神都或哉《じんとあるや》が、うーんと大きく伸びをしてから、天井を見上げて話し始めた。
「前にも言ったけどさぁ。土蜘蛛ってのはねぇ、実は蜘蛛じゃないんだよ」
「知っとります」
カウチとローテーブルを挟んだ向かい側のパーソナルチェアに腰掛けた黒坂巳寿《くろさかみこと》が、湯呑みを両手で包んだままそっけなく答えた。イントネーションは柔らかな京都弁。だが、話題を続ける気も広げる気もないのが丸わかりの冷めた声音だった。
窓から見える庭は風もなく、空は曇天のほの白さ。穏やかな午後の研究所は、眠くなるほど静かだった。盛大に奏でられる蝉の声さえも、ここには程遠かった。
「まぁ、聞けって。大和朝廷は、己らに従わなかった先住民族をそう呼んだって説がある。手足が長くて、土穴に住んでいたから土の蜘蛛……土蜘蛛。要は、差別語だ」
神都は巳寿の態度などまったく気にも止めず、思うまま話を続ける。
「まつろわぬ者、国巣《くず》とも呼ばれ、朝廷からの討伐対象にされていたんだ。悪いことなんにもしてないのに、気の毒だよなぁ」
「それも知ってはります」
「巳寿くんは、相変わらずクールだねぇ。じゃあ、さ。土蜘蛛の一族を皆殺しにした朝廷側の末裔が今どうしてるか、知ってるかい?」
神都は少し間を置いて問うた。ソファ上でぐるんと体を返して、うつ伏せになってから巳寿を眺めてニヤリとする。
「頼光の子孫ですか? 知らんがな。興味もない」
「いや、君もうちの所員でしょ? こういうのに、興味持たなきゃダメでしょ?」
「はぁ。ほな聞きましょ、所長はん。子孫がどうって言わはるんです?」
「子孫はね、今も普通に生きてるよ。神代から現代へと時を経てなお、脈々とね。いやー、面白いよねぇ。でも、歴史ってそういうもんだ。君もわかってるだろう?」
「神代……。おもろいこと言わはりますなぁ」
「いやいや。そこは、そのとおりどす、だろ? だって、事実土蜘蛛は日本全土に居たわけだから、退治話も全国区だ。それだけ多勢退治した者もいたんだからさ」
言い終えた神都が、何故か嬉しそうに、うんうんと頷いた。その背に、窓際のパイプ椅子に足を投げ出して座っていた栗林長人《くりばやしながと》が、退屈そうな声をかけた。
「おっちゃん、まーたその話っすか? もう聞き飽きたっぺよ。ごじゃっぺだ」
「いいだろ? 趣味なんだ。ここは僕の研究所なんだから、趣味話くらい自由にさせてくれよ」
「なーん。そんなら、俺らは所員だっぺ。給料、早よ払ってくださいって。今月も遅れてっぺよ」
「同じ話なら、君の方がしてるじゃないか。しつこいね、長人くんは」
「そういうごちゃはもういいっぺよ」
「まぁ、次の依頼の後で、ね」
「いつになるやら……」
「住まうも食うも困ってないんだから、文句言わないの」
「う〜……」
「長人。諦めなはれ。言うだけ無駄や」
「そうそう。巳寿くんはわかってるねぇ」
呆れ口調の巳寿に、満足そうに神都はそう言って、居眠りに入ろうと目を閉じた。
そんな神都を、むぅっと唇尖らせた長人がすがめ見る。しれっとした顔で、巳寿はぬるくなった茶を啜った。
沈黙が落ちた室内で、緩やかに時が過ぎようとした。が、テーブルに置いてあるバッグの中で、突然巳寿のスマホが鳴った。
巳寿は、湯呑みを置いて、バッグからスマホを取り出す。バイブに揺れる画面に、ちらと目を落としてから、ちょいちょいと長人を手招きした巳寿は、長人がそばにくると、スピーカーモードにして画面をタップした。
とたん、スマホから、苦しそうな男の声が流れ出たーー。
「黒坂。俺だ、小羽李だ。頼む。助けてくれ……」
男……小羽李利句《こはりりく》の声を聞きつつ、巳寿は長人と顔を見合わせた。
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二
小羽李《こはり》利句《りく》は、記国霊異研究所のプレハブ前で、スマホを切った。目の前の金属プレートが貼られた入口ドアを眺めては視線を外す、を何度か繰り返し、ややしてやっと決意が固まったのだろう。躊躇いがちにインターホンのボタンに指を伸ばした。
ピンポーン、ピンポーン。
乾いた音がドア越しに小さく聞こえた。と、インターホンから返答が聞こえる前に、ガチャっとドアが中から開けられた。
「あ……」
「小羽李。中へ……」
半開きのドアから顔を覗かせたのは巳寿だった。驚いた小羽李を促し、急かすようにドアを大きく開け、室内へと招き入れる。
「起こしやす」
「いらっしゃい。あ、そこ、どうぞ」
おずおずと入ってきた小羽李に、笑って声をかけた長人が、ソファを勧める。小羽李ははっきり怯えた表情のまま、勧められたパーソナルチェアの一つに歩み寄った。
小羽李利句、二十四歳。巳寿と高校時代の同級生。先日行われた同窓会で、六年ぶりに会ったばかりだった。
高校時代、小羽李と巳寿は別に仲良いわけでもなかったが、巳寿の『 今』 を他の誰かから聞いたのだろう。同窓会が始まって間もなく、小羽李は巳寿を探し当てて話しかけてきた。
*****
「黒坂、お前、不思議探偵やってるんだって?」
巳寿に声をかけてきた小羽李は、なぜか必死な様子を感じさえ、さしもの巳寿も、やり過ごすことを早々に諦めた。
「不思議探偵? 何やそれ?」
一応躱すようにとぼけてみたが、小羽李にいっそうの必死さを与えただけだった。
「え? 違うのか? なんか、オカルトな事象を調べるおもしろ会社に就職したって聞いたんだけど、違ったか? 森本たちがそう言ってたから、てっきり……」
小羽李の言葉に、巳寿の顔に諦め混じりの苦笑が浮かぶ。
「まぁ、似たようなもんやから、そんでええよ。で、どないしたん? 不思議探偵になんか用でもあるんか?」
呆れまじりに肯定した巳寿に、小羽李は泣きそうな顔をしたが、言い淀んで視線を泳がせた。
「いや……、その、ここでは……」
「そか。ほな、これ渡しとくわ。気ぃ向いたら、訪ねて来よし。ほれ……」
「あ、ありがとう」
言い淀む小羽李に、その場では、記国霊異研究所の名刺を渡すにとどめたのだが……今、小羽李は助けを求めて、巳寿を訪ねて来ていた。
*****
「さて、まずはようこそ、記国霊異研究所へ。遠慮はいらねえっぺよ。なんでもかんでもゲロっちゃって」
にこにこと笑みながら、軽い調子で長人が誘う。
「小羽李、安心してええ。元気な利口もんやから」
巳寿の言葉に、長人がムッとしたような顔をした。付き合いが長いから、巳寿の言葉に込められた意味ーーうるさい阿呆だからーーを長人は理解していた。しかし、小羽李はわからなかったのだろう、どこか感心したように長人を見て、浅く頭を下げた。それから研究所の内装を一度見回して言った。
「……本当に、こういうとこなんだな」
「ええとこやろ?」
「え?……う、うん」
「ま、座り」
正直に頷いた小羽李に、微かに笑んだ巳寿が再度椅子を勧めた。
小羽李がパーソナルチェアに腰を下ろすと、向かいのカウチで、神都がのっそり起き上がり、その隣に巳寿が腰掛けた。神都からはさっきまでのだらけた気配が、すっかり消えていた。その背後で長人がカウチの背に腰掛けて、斜めに小羽李を見下ろした。
「聞こか?」
前振りなど何もなく、巳寿が問う。
「何があったんや?」
「黒坂……」
巳寿の声に、利句は、膝の上で手を組んだ。もじもじと重ねた手の先で、指先が踊る。だが、誰も何も声をかけなかった。
ややして、ひゅうっと息を吸い込み、小羽李は諦めたように話し始めた。
「妹が……妹の、美流がおかしいんです」
小羽李は順を追って話し出した。
夏休みが始まった辺りから、妹の美流が痩せ始めた。美流は十五歳。受験生なので、夏休みでも毎日講習だ、補習だと、忙しそうだし、年頃の女の子だからダイエットでもしているのかもしれない、と最初は特に気にしなかった。が、食事を摂っていながら、まるで削られていくように日々痩せ細っていく。しかも、最近ではそんな不健康な姿で真夜中に家を出て、明け方近くに帰ってくる。一度、寝ずに帰りを待って、帰宅した美流を問い詰めたが、眠れないから散歩してたとしか答えなかった。小羽李は、それを素直に信じられない気持ちが募ったと語り、ほうっと息をついた。
「妹は、嘘をつくような子じゃなかったんだ。なのに……」
美流の深夜の外出は、一向に治らなかった。何を聞いても、はっきりとした答えは帰らず、不安は募るばかり。言っても聞かない。聞いても答えない。こうなったら、どこで何をしているのか、見て確かめなくては……そう思った小羽李は、ある夜こっそり妹の跡をつけた。
その日の夜中、家を出た美流は、ふらふらと足取り覚束なく近くの小山の登山口まで歩いていった。山頂まで二キロと書かれた立て看板を街灯が薄ぼんやり照らすそこには、一人の女が待っていた。
女は、夜目にも鮮やかに浮き上がる真っ白な着物姿で、艶やかな長い黒髪、美人と言える綺麗な顔立ちをしていた。美流はその女と並んで立ち、何か会話しているようだったが、程なく二人でふっと掻き消えた。
「消えた?」
神都が何か引っかかったと言いたげな顔つきで首を傾げながら、小羽李に尋ねた。
「歩み去ったとか、暗くて見えなくなかったとかじゃなくて?」
「違います。消えたんです。そこにいたのに、歩き去ったわけでもないのに、煙が流れるみたいに、スーッといなくなったんです……」
思い出し、小羽李はゾッとしたように肩を振るわせた。
「お兄さん、探したっぺ?」
「もちろん。駆けずり回って探したさ。でも、どっこにもおらんかったっぺよ」
長人のお国言葉に釣られたように、小羽李の言葉も方言に戻る。
「一時間近くも走り回って……呼んで回ったけど、返事もなんもなくて……どうもできんくなって、帰った……」
「そりゃ、しゃーんめぇよ」
項垂れて言葉を切った小羽李にそばへと歩んだ長人が、元気づけるように肩に手を置いた。
「で? 消えて終わりやったんか?」
「いや……」
巳寿に促されて、小羽李は話を再開した。
辺りを駆け回って、妹がどこにもいないとわかった小羽李は、警察に駆け込もうとして、躊躇した。
なんと説明すればいいのか?
妹が怪しい女と一緒に登山口で消えた。
こんなこと、言って信じてもらえるのか? いや、何も証拠がない。酔っ払いの戯言で片付けられそうだ。
どうすればいいのかわからなくなった小羽李は、仕方なく家に戻り、不安のまま眠れない夜を過ごしーー翌朝になって驚愕した。
いつ帰ってきたのか……知らぬ間に、美流はベッドで眠っていたのだ。
起きるまで待てず、揺すり起こして、どこへ行っていたのかを問いただしたが、美流はきょとんとするばかりで、出かけたことすら覚えていない様子だった。
妹の身に、何かが起こっている。
この変な現象を、どうすればいいのか?
悩む小羽李に、オカルト好きの恋人がアドバイスした。
「美流ちゃん、何かに変なものに取り憑かれているかもしれないよ? 神社でお祓いしてもらった方がいいんじゃない?」
憑かれている? 何に? どこで?
怖がりの妹が、一人でいわく付きの場所へ行くとも思えない。考えても答えが出なかった小羽李は、美流を問い詰めた。
ーーこのところ、お前おかしいぞ。どこか、変なところに行ったりしてないよな?
ーーまさか。あたしはどこにも行ってないよ。
美流は、初めはごまかすように答えを逃げていたが、しつこく聞き続けると、やっと、夏休み初めに、クラスメート達と山のお堂へ肝試しに行った話を話し出した。
「これから受験勉強で、当分遊べないからって、仲良し達と出るって噂の山のお堂へ行ったと……」
項垂れたまま話した小羽李が、きゅっと唇と噛んで顔を上げた。
「それから、ずっとなんです。いや、ますますひどくなってきてて……俺、俺、もう、どうしたらいいか……」
落ち着けと言う代わりに、長人が小羽李の背を撫でた。視線を宙に上げて、ぼそっと神都が言う。
「こいつは、直に会うしかないねぇ」
巳寿がこくりと頷いた。
「小羽李、妹さんに会わせてもらえるか?」
「……今から?」
「ああ」
「………………。わかった。一緒に来てくれ」
少し考えてから頷き返し、小羽李が立ち上がった。神都に軽く頭を下げて、戸口へと歩き出す。
「じゃ、二人とも。しっかり見てきてね」
「了解だっぺ」
小羽李に続いた巳寿と長人に、神都が気楽な声をかけた。
巳寿はチラと視線を向けただけだが、長人は振り返って、ひらひらと手を振った。
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三
小羽李家は、霊異研究所から電車で三十分ほどの住宅街にあった。
両親はこの月初めに、盲腸手術で寝込んだ母方の祖母の看病のために出かけてしまい、いつ帰ってこれるかわからない。ために当分は、妹と二人暮らしなのだと言う。
小綺麗な建売住宅の一宅は、何もおかしなところは見えなかったが、近づくにつれ、巳寿の顔が険しくなった。
長人もヒクヒクと鼻を蠢かしていたが、小羽李がここだと示した一軒家の前に着いた時、ぼそっと呟いた。
「なんか臭わねぇか? 沼のヘドロみてぇな生臭さ……」
巳寿は何も答えない。
「入ってくれ」
玄関の鍵を開けた小羽李に促され、中へと一歩足を進めた長人が、うっと息を詰めた。
「クセッ!」
「確かに。濃い邪気や」
ごく小さな声で、巳寿も応じる。
「くさい? 何か匂ってっぺか?」
何も感じられない小羽李は、二人の様子にギョッとしたような顔になり、くんくんと空気の匂いを嗅ぎ出した。
「いや、そういう匂いやない。気にせんでええよ。じゃ、お邪魔さん」
慰めるように言った巳寿が、小羽李の横をすり抜け、玄関に入った。
「妹ちゃんはどこよ?」
キョロキョロしながら巳寿に続いた長人に促された小羽李が、二人を美流の部屋へと案内した。
「こっちだっぺ」
廊下を進み、階段を登り、突き当たりの部屋の前で足を止めた。
「ここだ。美流、兄《あん》ちゃんだ。入るぞ」
可愛らしいクマの絵が描かれたプレートが下がったドアを軽くノックした小羽李は、返事も待たずにガチャリと開けた。と、瞬間巳寿と長人が息を飲んだ。
「こ、これはキッちぃ。大物だっぺよ」
鼻を抑えながら顔を顰めた長人と戸口で立ち止まった小羽李を押し除けて、巳寿は室内に足を進めた。
女子中学生にふさわしく、壁紙も家具も可愛らしいポップな色で統一された室内は、一目で異様とわかる状態だった。
天井から壁から、室内の至る所から無数の細い糸が張り巡らされていた。レースのような複雑な紋様を描く糸は、淡く煌めき、異様でありながら美しく、どこか幻想的でさえあった。
糸が重なり合う部屋中央に、膝を抱えてうずくまる少女がいた。腕は筋張り、頬はこけ、スカートの裾から覗く足も棒のように細かった。十五歳の成長期の娘が、こんな痩せ細っていいはずがない。
「美流?」
心配そうに声をかけた小羽李に、美流がゆっくりと顔を向けた。定まらない視点が宙を泳ぎ、唇がわなないただけで声はなかった。
確かに、何かに憑かれていると巳寿は確信した。目だけが妙に光る美流の顔を凝視してから、周囲をじっくりと見て回る。
「……長人」
「あぁ。糸だっぺ。お蚕様《かいこさま》か?」
「この糸は、蜘蛛や」
「クモ?」
長人が軽く目を見開き、小声で言った。
「クモって……虫の蜘蛛か?」
わきわきと両手の指を蠢かして、蜘蛛を表した長人に、巳寿は苦笑する。
「虫やない。蜘蛛は節足動物や。いや、これは、生き物の話やないで。妖怪の話や。異格《いかく》のモノの話になる」
ヒソヒソと話してる間に、美流の彷徨っていた視線が、巳寿と長人に止まった。二人を見つめたまま、やんわり微笑む。その笑い方が、十五歳の子供のものじゃなかった。
「いやどうもぉ。こいつぁ、んめ《むり》っぺな。どしたい《どうしたい》? ミコッち」
「イケズな呼び方はやめや」
「かまごだっぺ《きにすんな》。それより、呼ぶか?」
「結界張るよし。これ以上は、ほんまに危険や」
「いがっぺよ。ならば……」
頷いた長人が、巳寿から離れた。美流に向き合う形で立ち、人差し指と中指を伸ばした「刀印」を作ると、宙に格子を切りながら唱える。
「オン・キリキリ・バサラ・ウン・ハッタ。波路《なみじ》、槌斗《つちと》、契約に従い、闇を裂きて疾く来たれ。急急如律令!」
早九字が結ばれると同時に、アオーンとオオカミの遠吠えめいた声が室内に響き、子牛ほどもある巨狼と、真っ白なぬいぐるみのような小狐が長人の両脇に現れた。
「わ、わあぁっ!」
「驚かんでええよ、小羽李。彼らは、長人の式、使いの神使《しんし》や。美流ちゃんを守ってくれるさかいに」
「し、式? じゃ、じゃあ、彼は……陰陽師なのか?」
「陰陽師? よう知ってはるな。や、長人は陰陽師ちゃうで」
「え? 違うのか? 俺、呪葬姫《じゅそうき》イザナをよく観てるから……」
「いやどうも。ま、似たようなモノだけっど、気にせんでいがっぺ」
「長人」
「わがってっぺ。波ちゃん、出本《もと》を見っけてきて。つっちーは、そこの嬢ちゃんを護れ。結界張っておくから」
『当代。出本を探れとは?』
大きな赤い目を向けた小狐に、長人が糸で飾られた室内を指先でぐるっと指し示した。
「この部屋の有様、見りゃわかるっぺよ。蜘蛛の妖だ。そう遠くなく、寄地《よりち》の塚があるはず」
『承知』
答えるなり、白い小狐がすっと消える。
『して、我は? 主よ』
「あの子の護衛だっぺな。この部屋から出すなよ」
『承った』
短い返答の後、巨狼も小狐のように空に消える。瞬間、ぴぃんと空気が張る感覚があり、あっと目を見張った美流がクタクタっと床に頽れた。
「美流!」
慌てた小羽李が、妹に駆け寄る。抱き起こし、顔を覗き込んだ小羽李の顔から血の気が引いた。
「息……息してない? 美流! 美流、しっかりしろ!」
「落ち着け、小羽李」
「く、黒坂! これが落ち着いていられるか! 美流が、俺の妹が、息してないんだぞ! お前、何をした?」
「だから、落ち着きなはれ。結界で糸を断ち切ったさかい、気ぃ失っただけや。あのまま繋がっていた方が、よほど危なかったんやぞ」
「そ、そうなのか?」
「そうや。繋がったままでは、吸い取られるままやで。痩せて弱るは、糸のせいや。けど、安心し。糸は断ち切った。後は、妖を滅すだけや。妹はんは、じき元に戻る」
「黒坂……」
「小羽李はこのまま、ここで、妹はんを護っとき。俺らが決着つけてくるよって」
「た、頼む」
「ええか。俺が連絡するまでは、この部屋から出るんやないで」
念を押すように告げた巳寿に、美流を抱きかかえたまま小羽李がこくこくと頷いた。巳寿は軽く頷き返し、長人に目配せすると、部屋の出口へと進んでいった。無言で長人が後に続く。心細げに小羽李は二人の背を見送った。
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四
研究所に戻ると、神都はグダっとカウチにもたれて、古びた本を読んでいた。目前のテーブル上には、何冊もの本が広げられ、巻き物のようなものも広げられてあった。
「ただいま〜。行ってきたっぺよ」
呑気な長人の帰宅の声に、神都は紙面から目を上げ、同じように呑気な声を返した。
「お帰り〜。どうだった?」
「推測通りやった」
「あー、やっぱり、妖《あやかし》絡みかぁ」
「ただの妖やない。古びた蜘蛛やった」
「ふぅん……。古びた、蜘蛛、ねぇ」
「なんや?」
「巳寿くんは、心当たりあると思ったんだけどなぁ」
意味深な言い方をしながら神都は巳寿の顔をじっと見つめ、ニヤッと笑った。
「常陸国風土記」
読んでいた分厚い本を閉じ、その表題が見えるように、巳寿と長人に表紙を向けながら神都は話し始める。
「この本の中に書かれている、黒坂命《くろさかのみこと》という人物は、ここ、茨城の県名由来に関わる古代の武人だ。まだ日の本が平定される前、朝廷に従わぬ、まつろわぬ者どもを、国巣《くず》、土蜘蛛と称して、一掃するために遣わされた先遣隊の頭《かしら》……それが黒坂命。彼は、土蜘蛛の一族を、住居の周囲に茨を城と積み上げ、追い込んで全滅させた。だから、ここは、茨の城で茨城《いばらき》となった」
「知っとります。うちは分家筋ですが、遠い遠いご先祖が、風土記に載る武人だと、何度も聞かされてはりました。けど、その話を持ち出す言うことは、所長は今時《こんじ》の一件が、土蜘蛛の怨念とでもおっしゃいますのんか?」
「そう。僕はそう思ったよ」
神都は巳寿を見て頷いた。
「これは、相当の年月を重ねた怨霊だろうと、ね。平安、飛鳥、いや……神代《かみよ》と言えるほどの昔から、彼らは、征服者を恨んできたろうからさ」
「逆恨みでしょう?」
「そうかな? 普通にただ暮らしていたのに、俺らに従えって攻めてこられて、一族殲滅されたんだぞ? 恨むなって言う方が無理ってもんじゃないか?」
「ご先祖かて、望んで滅したんとちゃいますわ」
「まぁ、すまじきものは宮仕え……だったのはわかるが、結局勝った側の理屈だよ。一方的に悪と決めつけられて負けた側は、納得いっていないだろうからねぇ」
「はぁ。そないなこと、俺に言われたかて……」
「ま、確かに、今、僕たちがすべき事は怪異から人を護る事だから……衝突もやむなし、だよなぁ」
「どないせい言わはるんです?」
遠回しにチクチク言われているようで、不快そうに巳寿が眉根を寄せる。神都はそれに構わず、長人に尋ねた。
「それで、どんな感じにして来たんだい?」
「あー、えーと。俺の式に、探りと護りにつかせたっぺ」
「女化稲荷《おなばけいなり》の小狐様を、偵察に出したってことか。で、大口神《おおくちのかみ》様の眷属殿が護衛とは。また随分頼もしい」
「波ちゃんもつっちーも、きっちりこなしてくれっぺよ」
「当代様のご下命じゃ、張り切ってくださりそうだねぇ」
「なんちゃねーべ。先代《じいさま》も先先代《ひいじいさま》もおんなしだったっぺよ」
なんてこともないと言いたげに長人が笑うと、神都は苦笑しながら立ち上がった。
「ならば、僕もやれることをしなくちゃな。二人とも、神禊《かんそぎ》の間で待っててくれるかい?」
「離れの二の間?」
「そう、そこ」
「わかっとります」
「巳寿、いんべ《いこう》」
三人はプレハブから本宅の古民家へと足を進めた。
くれ縁を先に進んだ神都は、離れの寸前で脇の障子を開け、じゃ、と軽く手を上げて、座敷の中へと姿を消した。
巳寿と長人は顔を見合わせ、母屋から離れへと続く長いくれ縁を進んでいった。
きし、ぎしっと、磨かれた縁板に小さくきしみ音を立てながら、二人は進んだ。しばらくは、ただ沈黙していた。
だが、離れにある二間の内、手前の部屋ーー神禊の間の障子を開けると、巳寿は苦笑した。
「神代の因縁……ようは俺の縁《えにし》やんな」
畳敷の八畳間。何一つ調度などない室内に進みながら、独りごちた巳寿に、長人があっさり言った。
「やるしかあんめ。引く理由もねぇし」
「せやな。長人、勇み足せぇへんようにな」
「するかっての! いっちょ、ぶっちめたるわ」
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五
神禊の間で待つ間に、波路が戻った。
『当代』
「お、お帰り、波ちゃん」
長人の声に、ふうっと薄い煙のようなものが立ち、次いで姿を現したのはふわふわの白狐だった。
『調べがついた』
「で? どうだった?」
問いかけに、小狐が話し出した。
小羽李家の近くの名もない小山、かつては古墳だったらしいそこに、小さな祠があった。苔むし、半壊している祠は、相当な年月を感じさせる代物で、波路には、長らく放ったらかしにされ、深い怨念を溜め込んでいるのが感じ取れた。しかし、単なる人間には、何を祀っているのかわからない。そのせいで、祠は祟り神を祀っているとか、心霊スポットだとかの噂を立てられて、物好きな者たちが肝試し場所にしているらしい。しかも、これまでに何人か、祠を詣でた者たちが行方をくらませているという。土地の古老は、もう随分昔からそこには近づかない。
「なるほど、ミコっち因縁の発祥地ってことだっぺな。で、美人さんは?」
美流と待ち合わせしていた女のことを問うと、波路は女の正体について考察交えて調べたことを述べた。
黒坂命に皆殺しにされたと言われた土蜘蛛の一族には、生き残りがいた。
腹に子を宿した女だったそうだ。彼女は山奥に隠れ、出産し、その子が嫁を持ち、婿を迎え、子を産み、と、細々と続いた血脈は、長い長い長すぎる年月怨念を内包し続けた。やがて、凝り固まった凶念《きょうねん》と化した怨の意識は、人の形《なり》を保てなくなるほど煮詰まった。そして、今では妖怪と呼ばれる形代《かたしろ》と化したようだ、と。
「なーん。やったら重いっぺな。どんだけ重なってんだべ」
『当代、どうされる?』
「どうするもこうするも、巳寿とおっちゃんと動くっきゃねぇべよ」
『我は?』
「こっからは、槌斗の領域だっぺ。化け母《かか》様にはよしなに伝えてくれ。後で、油揚捧げ奉るって。波ちゃんにもな」
『承知した』
すぅっと小狐の姿が消える。
『気をつけよ。当代』
波路の声が聞こえなくなると、黙って聞いていた巳寿は、フゥと息をつき、静かに瞼を閉じた。
「お待たせー。奏上の間においで、二人とも」
隣室から神都の声が聞こえた。
「お、水垢離《みずごり》終わって、準備整ったっぺか。いんべ、巳寿」
じっとしたまま目を閉じていた巳寿を促した長人が、隣室を隔てていた襖をカラッと開けた。開け放たれた向こうは、十畳はある広い座敷だった。
質が良いと一目でわかる高麗縁《こうらいべり》の畳が敷き詰められた部屋奥の梁に、太いしめ縄が張られ、その下に額縁入りの筑波山の大きな写真が掲げられていた。写真の手前には、二段式八足台《はっそくだい》が設られ、上段に細長い桐箱と三方《さんぽう》、左右に榊入りの白磁の花瓶が捧げられ、下段には御神酒の徳利、土器《かわらけ》、短刀が置かれていた。
また、八足台の脇には、見事な和弓と鏑矢が入った御弓《おゆみ》矢置台《やおきだい》が設られていた。
その八足台の前に神都が立っていた。
烏帽子《えぼし》狩衣《かりぎぬ》姿で、大幣《おおぬさ》と折りたたんだ和紙を持っている。正式な神職の出立《いでたち》だった。
「来たね。じゃ、そこに立って」
手招かれ、二人が近づくと、筑波山の写真と向き合う形で立てと指示され、おとなしく巳寿と長人は従った。
「では、始めます」
至極重々しく神都は言い、二人の頭上へと大幣を向けた。
二人は、わずかに首を垂れて、お祓いを受ける。ふぁさふぁさっと紙垂(しで)が柔らかな風をはらんで頭上で揺れた。
清めが終わると、神都は大幣を八足台の端に置き、御神酒を土器《かわらけ》に注ぎ、頭上に掲げてから三方に載せた。柏手を打ち、深く礼拝してから、たたまれていた和紙を広げ、すうと息を吸い込む。それから、ピシリと背筋を伸ばし、朗々とした声で、祝詞《のりと》を奉じ始めた。
掛《かけ》まくも畏《かしこ》き筑波嶺《つくばね》の雙神《ふたはしらのかみ》の大前《おおまえ》に、恐《かしこ》み恐《かしこ》み白《もう》さく。
抑揚があるようでない、独特の祝詞奏上。仏教ならばお経や真言といったところだが、神道の場合、緩やかに語彙が伸びるのみで、殊更に語彙は難しくはない。
古きよろずの代《よ》より闇を紡ぎて人を惑わす妖《あやかし》「土蜘蛛」の、今また禍々《まがまが》しき気を放ちて跋扈(ばっこ)するを阻まんとす。
霊媒《れいばい》の職《つかさ》に任ずる彼《か》の身に、大神たちの厳《いつく》しき神威《みいづ》を授け給え。
神剣《かむつるぎ》・天茨魂《あめのうばたま》の 輝きを与え給えと乞い祈《の》む。蜘蛛の張り巡らせる怨念の麻糸《まいと》を悉《ことごと》く切り裂き、その邪悪なる妖力《ようりき》を根の国へと打ち祓い、平《たいら》けく安らけく調伏《ちょうぶく》せしめ給えと、恐《かしこ》み恐《かしこ》み白《もう》す。
普段グダグダでだらしない神都が、別人のようにシャンとして奏上述べる姿を見つめながら、長人が小声で、ぽそっと呟いた。
「おっちゃん。ああしてると、別人だっぺ」
「同感や」
思わず巳寿も同意する。その声が聞こえたのか、ぴくっと神都の肩が揺れた。が、途切れさせることなく奏上を終え、深々と礼を送ると、神都は細長い桐箱を手に取って、二人の前に歩んだ。
「巳寿くん。これを」
差し出された桐箱に、巳寿は首を傾げる。
「これは?」
「神剣・天茨魂《あめのうばたま》、蜘蛛退治《くもたいじ》に霊験現《あらた》かなご神刀だよ。二柱様のご加護がある」
「まさか、神代からの曰く物?」
「いやいや。これは、黒坂命が使った剣《つるぎ》とは別物だよ。残念ながら、伝わってないからね」
苦笑めきながら神都は屈み、畳上に桐箱をそっと置く。
「まぁ、うちのご本家にも伝わってないんやから。こんなとこに、在るはずもない」
「こんなとこって……巳寿くんに取って茨城《ここ》は故郷じゃないんだ」
「俺が産まれたんは京都やで。こっち来たんは、十四歳からや」
「あれ? 黒坂家って京都だっけ?」
「うちはな。総本家は橿原や。平城京《なら》、長岡、平安京《きょうと》……分家はどこにもあるで。俺んとこは、分家の分家のまたまた分家や。たまたま俺が視えたから、繋ぎに立てられただけや」
「あぁ、巳寿が黒坂の当代ってことだっぺなぁ」
「始祖は神代だもんなぁ。三千? いや、四千年越え? ともかく、超過去だからそれも仕方ないか」
「巳寿に比べりゃ、うちなんざ新しい方だっぺな。五百年は過ぎてっけど」
「長人くんのとこは、戦国ーー室町から安土桃山時代だものね。まぁ新しいって言えば言えるのかもね」
「比べるもんやない思いますわ」
「まぁ、無駄口はいいから、開けてみなさい」
終わらない実家話を切るように、神都が巳寿に桐箱を勧める。巳寿はこくりと頷くと、柏手を一つ打ち、一礼してから慎重に桐箱の蓋を開けた。
「わ!」
横合いから覗き込んだ長人が、目を丸くする。
箱の中には、触れれば斬れそうな鋭い輝きを放つ銀色の直刀が納められていた。
「すっげ斬れそう。綺麗な太刀だっぺ」
「反りがない。古い型やね」
「この方が、らしいだろう?」
ニヤッと笑った神都が、真っ白な袱紗《ふくさ》で刀身を包んで直刀を持ち上げた。持ってみろと言うように巳寿へと差し出す。巳寿は切先から鎬《しのぎ》のない平造りの片刃、棟《むね》、柄《つか》へと視線を走らせた後、柄を握ってぐっと刀身を立てた。キラッと煌めきを走らせた直刀は、魔を払う波動を放っているのが見てとれた。
「これで、祓える」
「長い因縁だよね。いまだ切れない……また気の毒な怨念が積み重なるんだろうなぁ」
「そんなん言うてたら、なんもできへん。小羽李の妹も救えないままや」
桐箱の下から鞘を取り出し、するっと納めながら巳寿は噛み締めるように言葉を押し出した。
「今、苦しんでるのは美流ちゃんや。なら、助けるだけ。そんだけや」
「そうだ、いじやけてっちゃ、なーんも解決しないっぺ。今夜、ぶっちめっぞ」
気合を込めた長人の声に、巳寿が強く頷いた。
二人の様子を見ていた神都は、小さく息をついてから、ニッと笑って二人の背を軽く叩いた。
「うん。しっかり、行っておいで」
「そんじゃ、酒と榊貰ってくっぺ」
長人が八足台に歩み寄り、深々頭を下げてから、御神酒入りの徳利と榊一本を手に取った。
「槌斗、来い!」
八足台からやや離れると、榊で宙に九字を引き、呼びかける。と、オォーンと遠吠えの後に、巨狼が姿を現した。
『主、お呼びか』
「ご苦労、つっちー。あの後、なんかあったか?」
『結界あるが故、二、三度揺れはきたが、娘子と兄君に大事はない』
「よっしゃ。槌斗、大槌持ちて巳寿に従え」
『承った!』
嬉々として尻尾を大振りした巨狼が、すぅっと姿を消した。にやにやと長人は笑い、巳寿に親指を立てて見せる。
「やったら、張り切りやがって。俺らもいんべ。大槌持って、玄関で待ってっから」
「ああ」
座敷からくれ縁へ出ると、長人はさっさと先立って古民家玄関へと進んでいく。神剣を下げて後に続いた巳寿は、広い土間になっている玄関口に立つ大男と、足元の大槌を目にして、軽くため息をついた。
「つっちー。お待たせー」
軽い声をかけた長人に、いかつい顔にニカっと人が良さげな笑みを浮かべた大男が深々と頭を下げた。
「おぉ、主。お待ち申した。久方ぶり故、腕がなる。黒坂殿、よしなに願う」
「こちらこそ、よろしゅうに。式殿」
「はっ」
槌斗が、律儀に一礼する。巳寿は長人と頷き合い、玄関を出た。大槌担いだ槌斗が背後に付き従う。
どこへ、との相談はしてなかったが、口にしなくても行き場所は決まっていた。
「ほな、行こか」
短く言って、巳寿が歩き出す。一行が向かったのは、波路から知らされた祠のある
古墳小山だった。
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六
住宅街外れから向かった祠のある小山に着いたのは、山の端に夕陽が落ちる頃だった。正に逢魔が刻、黄昏の中に影が長く伸び、人か魔か、定かではなくなる時間帯だった。
「妹ちゃんと美人さんの邂逅は、真夜中だって言ってたっぺな。早すぎだけど、だいじない《だいじょうぶか》?」
「ちょうどええよ。今からしばしは、魔が寄る時刻や。釣り出すには、打ってつけやわ」
「ま、ここまで問題なく来れてよかったっぺよ。職質受けたら、銃刀法違反は間違いなかったっぺ?」
「神器《じんき》やぞ? 只人の目ぇに映るもんやないで。お前の式だっておんなじや。そのデカ槌も、大男っぷりも、人目についたらあかんやん」
「いやどうも。神使《しんし》っつこと、つい忘れっぺよ」
「しっかりせなあかんやろ、主殿」
「なんちゃねーべ」
無駄口叩きながらも辿り着いた山のお祠は、黄昏の中にポツンと建っていた。
大きく欠けた向拝《ごはい》と屋根、ひび割れて傾いた母屋《もや》、何が祀られていたのかわからない空洞の内部は蜘蛛の巣だらけで、ぱっと見だけでもかなり裏寂しい。
「ここ、古墳なんだっぺ? にしては……なんか……クセェ。妹ちゃんの部屋と同じ臭いがすっぞ」
祠に近づくにつれ、鼻の頭に皺を寄せる長人の後ろで、大男がぐるるぅと喉を鳴らした。憤慨する狼の低い唸り声だった。
「主。来るぞ」
槌斗の声と共に、祠の台座《だいざ》周辺から一斉に噴き上がるように白霧が立ち昇った。あっという間に、辺りが白一色に塗り替えられる。
「巳寿!」
「長人! 油断するな!」
お互いの姿が朧になるのを、声を掛け合い、背中合わせに立って構えた。
槌斗が大槌を振り上げ、横殴りに振り切った。しかし霧は少しも薄れない。ゆらと白い空気が動いただけだった。
「厄介やな。気配が濃いわ」
「薙ぎ倒せばいいっぺ。そのための神剣だっぺよ」
「そう簡単にはいかへんて」
「確かに、簡単じゃねぇっぺな。こりゃ、波路じゃ無理だ。化け母様呼ぶか?」
「いや、母様に面倒かけたらきずつないで。なんしか、しゃあない……筑波嶺の二柱の大神に乞い願い奉る。荒ぶりし妖の呪《しゅ》断ち退きて、安穏もたらせ給う……」
巳寿は祈りながら天茨魂《あめのうばたま》を抜き放った。直刀の銀刃が霧の中にきらりと光る、と同時に。
「はーっ!」
鋭い気合いの声と共に、白刃一閃。一文字の光の筋が白い霧を裂き、すぅーっと霧が薄れて消えて行った。
「おー、お見事。つっちー、続け!」
「承知!」
霊閃《れいせん》の跡を追うように、槌斗の大槌が打ち振るわれる。ブンっ、ガンっ、ドンっと鈍い音が立て続けに周囲を巡り、音が重なるうちに、辺りの霧はゆるゆると消え、やがてすっかり払われた。が、それで終わりではなかった。周囲に景色が戻った途端、無数の棘がついた蜘蛛の脚が土柱から突き出され、勢いつけたまま巳寿と長人に襲いかかった。
「棘……茨の意趣返しやん。いちびてんちゃうぞ!」
「退け! 巳寿!」
御神酒徳利を地に叩きつけ、神酒が地面に染み入る間に、九字印を素早く結んだ長人が叫んだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行! 雷聖よ、祓えよ!」
「天茨魂、茨柵《うばさく》紡ぎて城《じょう》と成せ!」
巳寿も叫び、神剣を水平に構えて、蜘蛛脚を薙ぎ切るように真横に振り切る。
ガチガチっ、バキバキバキッと固い枝を叩き切るような感触が、直刀の柄を握る手に伝わった。振り切った神剣から、鋭い棘が幾重にも重なりながら編み上がるように伸び、組まれた枝と棘が巨大な柵状に形成されていく。
棘付きの蜘蛛脚から巳寿と長人を護るように、周辺に壁となって広がった茨の柵は、上に紫色の雷光を跳ねさせ、辺りを紫白《しはく》に照らし出した。
その光の中に、ふいに白い着物、長い黒髪の女が一人、浮かび上がった。
妙齢の美女であるようだが、稲光《いなびかり》が発光する都度、印象が少女にも老女にも見え、外見が揺らいでブレて、はっきりと定まらない。
「お出ましだっぺ」
「一体か……」
油断なく辺りに視線を走らせる二人に、白い女は音もなく近づいた。
「来たか、黒坂命」
陰哀を含んだ声が、頭の中に響いた。
「我らが仇敵、朝廷の回し者……いまだ恨み追いやれぬ真敵、黒坂命……」
呪詛めいた言葉だったが、声音は静かだった。怒りの体を成していなかった。それが却って、深淵落ちすぎて結晶と化した恨みの念を思わせた。
「うぬが祖が、我が一族を茨の餌食と成したこと、忘れたとは言わさぬ」
女の言葉に、茨の壁の外でメキメキっとひしゃげ刺さる音が響きだす。棘持つ蜘蛛の脚が、茨の柵を貫こうと動き出したのだ。
「一族全てが、棘に刺されねばならぬほどの罪を、犯したと言うのか?……」
声に、じわりと陰湿さが滲んだ。女の問いかけに、巳寿は何も答えなかった。
いや、答えられなかった。
「幼老男女の永の怨心《おんしん》、その身以って受け贖《あがな》え! 黒坂命!」
名を呼ばわった声は絶叫だった。同時に女の輪郭が崩れた。ズザザザーっと、何か引きずるような音と共に、女のいた場所から無数の蜘蛛の脚が巳寿と長人、槌斗に襲いかかった。
長人を庇って、槌斗が地を蹴った。振り下ろされた大槌が、夜気を裂き、土を巻き上げる。しかし、巳寿は動かなかった。
視線だけ動かし、気配を探る。
ーーどこや? 本体は……。蜘蛛……土蜘蛛……土……蜘蛛。……土。
はっと巳寿の目が見開かれた。
竪穴《たてあな》を掘って、土の中に暮らす者たち、だから土蜘蛛と、そう呼ばれた。まつろわぬ者たち、従わぬ者たち……。だから、土の蜘蛛、だと。
「ここや! 長人! 槌斗!」
声を張り上げた巳寿は、天茨魂《あめのうばたま》を両手で握り、高く振り上げ、足元の土に真っ直ぐ突き立てた。深く穿って、土塊弾き飛ばしながら神剣を引き抜く。間髪入れず、穿たれた穴上を槌斗の大槌が叩き、そこに重なるように雷光が落ちて、激しい光と音を弾かせた。
ドォォォーンッ!!
巳寿は、「刀印」を取った長人の方へと飛び退き、その傍に槌斗が走り寄る。
耳をつんざいた音が消えると、オゾン臭が漂う中、薄い靄《もや》のような土埃が流れ行き、ややしてシンと静まり返った。
巳寿の足元、ほんの僅か前の土が、抉られ捲り上がり、縁が黒く焦げて、シュウっと細い煙を立ち上らせていた。巳寿は、焦げた地面を睨み据え、すっと片手を伸ばすと、空をぐっと握り込んだ。しばらくそのまま動きを止めたが、握った片手を引きよせ、目を落とし、しばし見つめてからゆっくり開く。と、ごくごく細い、絹糸のようなものが微かに光り、すうっと風に乗って消え散った。
むぅっと巳寿は唇を引き結ぶ。
そんな巳寿に、長人が歩み寄った。
「巳寿、祓えたっぺか?」
「…………」
空の掌を睨んだままだった巳寿が、ゆるっと頭を振った。
「手応えはあったんやが……」
「失敗か? 逃げられた?」
「伊達に、古《ふる》りてるだけやなかったちゅうこった。けど、もう、当分は悪さできひんよ」
「お灸は据えられたってことだっぺ」
ふぅと息をついた長人に、巨狼の姿に戻った槌斗が駆け寄った。
「で? ここ、どうすっぺ? 塞いどくか?」
「いや、塞いだら、拠り所移すだけやろし。ここが巣とわかったんやから、また集《つど》ったら、散らしゃええんやから、なんもせんでええよ」
『我も、それが良きと思うぞ。主』
「なーん。んなら、まんまってこって、戻っぺよ」
「ああ、帰ろう。槌斗、助かった。はばかりさんやったな」
『なんの。黒坂殿。なれば、主。またいずれ』
「お疲れちゃん。つっちー」
『ちぅるを待っておるぞ』
催促を忘れず告げて、巨狼が消える。
長人と二人きりになると、巳寿はゆっくり周囲を見回した。
なんの気配もなかった。虫の音も風の音も何一つ音も動きもなく、ただただ静まり返った夜の帷が降りているだけだった。
逢魔時はとうに過ぎて、深夜にさしかかる時刻になっていた。欠けゆくばかりの細い月が、夜空に侘しい光を放っている。
巳寿は長人と顔を見合わせ、無言で頷きあうと、踵を返した。
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七
日付はまだ変わらないが、それなりに遅い時刻になっていた。研究所へと向かいながら、巳寿は小羽李に電話を入れた。
「様子はどうや?」
『糸が消えた。綺麗になくなってる。美流の顔色も良くなって、今は熟睡してるよ』
少し安堵したような小羽李の声に、巳寿はホゥっと息をついた。
「そか。ひとまずカタはついた。もう部屋《そこ》を出ても大丈夫や」
『ありがとう、ありがとう、黒坂。今度、礼に伺うよ』
「ええよ。むしろ、近づかん方がええ。うちに来よったら、またなんか拾うやもしれん。せっかく障りのうなったんやから、気ぃ楽にしといたほうがええで」
『そ、そうか。じゃあ、所長さんとお仲間にもありがとうと伝えてくれ。本当に本当に感謝してるって』
「あぁ。じゃあな」
スマホの通話を終了させると、長人がぽりぽりと頭を掻きながら寄ってきた。
「兄ちゃん、なんだって?」
「糸が消えて、よく寝てはると」
「そりゃあよかった。これで部屋出られる。トイレも行けるっぺよ」
「お前……」
「なーん。必須なことだっぺ?」
「そうやけど……」
「なんか、まだ気にしてっぺな」
「かなり妖力削ったし、また形《なり》持つまでは、相当の刻が入り用のはずやから、今気にしてもせんないこっちゃ。なんしか、長人もお疲れさん」
「俺は暴れたらん。なして、いっつもミコっちだけ切った貼った係なんだ? 俺だって、一応は武士の子孫だっぺよ?」
「俺に文句言われても、なぁ。所長に直訴すりゃええやん」
「いじやけっど、しゃーあんめぇな。ま、次に期待すっか。俺も神剣貰いたいし」
「えぇご身分さんで」
呆れまじりに答えた巳寿を、じろっと見やった長人がむくれたように頬を膨らませた。巳寿はそんな長人を無視して、歩き出す。ちょっと進んで、肩越しに振り返った。
「さて、急ごやないか」
「んだ。帰ったら、まず風呂入って、そっから呑むぞー。祝杯じゃないのが、シャクだけんども」
「言わんとき」
フーッと息をついた二人は、ニヤッと笑い合うと、記国霊異研究所への帰路を歩み出した。
最終電車で研究所に戻ると、神都がカウチソファに寝そべっていた。
「たーだいまー。おっちゃん、終わったっぺよ」
「お帰りぃ。お疲れ様だったね。で、どうだった?」
「祓いきる寸前、逃げられたわ」
「へぇ、珍しい。巳寿くんが仕留め損ねるなんて。あ、もしかして、逃がしてやったのかい?」
「いや。古《ふ》りた妖だけに、上手い逃げ方されて、防ぎ切れなかっただけや」
「俺も間に合わんかった。敵ながらあっぱれな退きっぷりだったっぺ」
「そっかぁ」
どこか嬉しそうな顔つきで、報告を聞いた神都はゆっくり頷いた。
「おっちゃん、俺、風呂もらうっぺよ」
「腹、減ったりしてないのか? 米ならあるよ?」
「出たら貰うっぺ。飯も欲しいが、先に臭い祓いたいっすよ。こんな臭いつけたまま、飯食いたかねぇっぺ」
「わかった。用意しておくよ。お茶漬けでもいいかい?」
「ぶぶ漬け……」
「あ? ここはバラキだぞ? 定番のアレとか言うなよ? 巳寿くん」
「言わしまへん。俺も、相伴あづかりましょか」
「ははは。じゃ、たくあんもつけよう」
「よろしおすな。じゃ、シャワー浴びてきますわ」
報告を聞き、風呂だ食事だと会話をしている間に、窓の外は白々と白み始めていた。もう明け方なのだ。だが、まだ室内は仄暗い。
そんな室内天井隅に、細い糸を引いて小さな蜘蛛が降りてきた。細く長い足を持ち、丸い腹部に黄色の輪筋を持つ女郎蜘蛛だった。風もないのに、ふわりと揺れては、壁に触れて糸を継ぎ、新たな糸を吐いては、せっせと動き、レース編みのような細やかな巣を作り上げていく。
やがて、巣の中央に、丸く座を編み上げると、女郎蜘蛛はそこにじっと止まった。
「おや?」
出来立ての蜘蛛の巣を見上げて、神都はクスッと笑った。
「これはこれは……。思わぬ同居人が増えたな。ようこそ、と言うべきか?」
でろん、とカウチソファに仰向けに身を伸ばしている神都に、返事をするように巣の中からつーっと糸を伸ばして女郎蜘蛛が降りてきた。
「所長はん。居間で長人が飯を待ってますわ。どないします?」
シャワーを浴びて濡れた髪をタオルで拭いながら神都を呼びにきた巳寿が、室内に入ってきた途端、ふと天井を見た。視線の先で、女郎蜘蛛がぷらぷらと揺れていた。
長い長い刻の果て……消せなかった深い深い怨念の行き着いた先……。
「ああ、今行くよ。巳寿くん、先に行ってて、梅干しの壺出しといてくれないか」
バッとカウチに起き上がった神都が、巳寿に言うと、巳寿はチラと蜘蛛を見やってからこくりと頷き、母屋に繋がる外廊下へと出ていった。
「ま、来たばかりだろうから、今はゆっくり休んでいいよ。あ、外には出ないようにね」
巳寿の後を追うように室外へと出かけ、ふと振り返った神都は、女郎蜘蛛に声をかけ、パチンと電気を消して戸を閉めた。
ほんのり暗がりに落ちた室内には、蜘蛛の巣だけが、柔く淡い光を放っていた。
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(了)