第三章 「ゆたかさ」とは何か?


 まず、ここで確認しておきたいことがある。産業革命以後、近代社会での「貧困」という言葉の成り立ちである。「貧困」という言葉を考察することで二つの世代間で生まれたギャ ップをより明確化できるだろう。

 50、60年代から時代は少し離れるが近代以前での社会では「貧困」という言葉が示すものは、現代での意味とは異なるだろう。現代では居・食・住に不安を覚えることなく暮らせている人々でも、他の人の暮らしと、自分の暮らしとを比較して相対的貧困となることがある。(どの社会にも絶対的貧困は存在しているが)近代以前が指す「貧困」は明日食べるご飯すらも保証されていない、飢餓への恐怖である。相対的貧困の人々の暮らしを近代以前の暮らしと比較するのなら、裕福な家庭よりもゆたかであるだろう。

 200年前までのイギリス、オランダ、などの今日の先進国ですら、「貧しい社会」であったならば1950年代にガルブレイスの「ゆたかな社会」となったアメリカの歓喜は想像に難しくない。

 では、「ゆたかさ」というのはどのような状態なのだろうか。結論からいうと、それは個人の経済的環境と密接に関わり合っているものであるだろう。

 この章では「ゆたかさ」とは何かという問いを中心にして、「ゆたかさ」の成り立ち、「経済的ゆたかさ」と、カウンターカルチャーが唱えた「非経済的ゆたかさ」との両方を考察する。そして、カウンターカルチャー世代とのその親世代との「ゆたかさ」の変容を考察する。 

 

「経済的ゆたかさ」の成り立ち


 では「ゆたかさ」とは何であるか。繰り返しとなるが、その第一条件は「飢餓の恐怖からの解放」である。現代社会では、北欧を筆頭に先進国と呼ばれる国々は問題はあるにせよ、 資本主義の恩恵もあり、この部分はクリアしていると判断しても良いだろう。しかし世界的にみてもその数はOECDに参加している40カ国に満たない国々であり、世界的には「貧しい社会」ほうが多く存在している。

私見であるがOECDに参加している日本でも「ゆたかな社会」であるかと言えば、経済的に豊かではあるが、富の再分配も機能せず、経済的強者だけの豊かな社会となっているだろう。

 1950年代のアメリカ社会で起きたことは「生産優位経済」から「消費優位経済」への転換と労働組合の台頭であるだろう。

 今までの消費者のニーズに合わせた商品の生産ではなく、消費者の依存効果(デモンストレーション効果)に頼ることで、消費が消費を呼び起こした。その理由として、武井昭は 『「豊かな社会」の理論的構造とその発展』の中でこのように語っている。

 

(前略)その理由として、経営者に対する労働組合の「対抗力」(カウンターベイリング・ パワー)の増大により所得の上昇を勝ち取ったこと、経営者側からすると、需要が生産を規定する段階では、この流れを止めることは得策ではないと判断したことに求めた。【武 井照(1999)P.29】

 

 そして、この時代の一番の特色はアメリカ国⺠が有頂天であったことである。

 「ゆたかな社会」は大量生産、大量消費の社会であって、モノが過剰生産となる危機と隣り合わせになっている。国⺠は世界一の経済力とドルの基軸通貨としての特権を背景に、経済、市場が発展し続けることに賭けて、生活が豊かになるという保証もなく大量消費を継続したのである。そしてこの後に誕生するのが消費者金融であったり、カード会社である。アメリカ国⺠を消費に奮い立たせたのは、消費優位経済の自由性、公平性、そして景気の安定性であっただろう。

 アメリカ国⺠のアイデンティティにとって「自由」の意味は大きかった。

 アメリカの「自由」とは、ヨーロッパなど他の国々のそれとは一線を引いている。ヨーロッパなどの自由は、前提に「平等」が存在している。それまでの封建制度の束縛から解放されて市⺠的自由を得たが、それは同時に、共同体の解体を意味していた。ヨーロッパでの共同体の解体は、そのまま流れに乗って上昇していく「進歩派」と、生活の不安を余儀なくされ「昔は良かった」と回想する「保守派」の二つに分かれた。

 しかし、アメリカは移住者の国であり、イギリスからの独立以来、「〜からの自由」という名目はなくなり、「自由」は目的となった。この点はアメリカでの銃規制を見ればわかりやすいだろう。アメリカでは銃所持にほとんど規制をしておらず、銃によって年間約一万人の人々がなくなっている。銃による事件が起きて、それにより銃規制派のデモがまきおこるが、アメリカ国内では「自分の身を守る自由」を失ってはならないとして、銃規制派が国⺠の過半数を超えることはない。

 アメリカは自由の国であると同時に奴隷制度の国でもあった。多くの人々が自由の国アメリカでのアメリカン・ドリームを夢見て移住してきた。伊東光晴はアメリカの移⺠社会に ついてこのように語っている。

 

重要なのは、アメリカの貧困層の多くが、この新たに入ってきた移⺠たちだということである。その多くは、言葉も不自由で、特定の技術も教育もない、こうした人たちが単純労働者として低賃金の職種についていく。もちろん、こうした人たちもアメリカン・ドリー ムを夢みて努力を続け、貧しい生活から抜け出していく。しかしその後には、同じように、 新たな移⺠が低賃金の単純労働の職種についていく。アメリカの貧困層は、こうした移⺠によって維持され続けていった。自由の女神が貧困層をつくり出すと言ってもよい。【伊 東光晴(2016)P.6】

 

 アメリカ社会では先に移住して、定着した人々が上で、後に来た人々が下という社会階層が出来上がっていた。

 誰もがアメリカン・ドリームで自分が上昇していくことを夢に見ているために、政府が富の再分配を政策にすることを嫌う人々も多い。

 自由の目的化、言いかえるのなら、「自己決定」は貧富の差を肯定して、政府が自分たちの暮らしに影響を与えることを嫌い、自由であるために、全てを自己決定し、全てが自己責任であることを好むのである。

 50年代のアメリカ社会は、アメリカ国⺠の「自己決定」のアイデンティティと小さな政府での自由市場が性質的に一致したこと、移住者が生産を支える低賃金の単純労働を負担したこと、そして、経済的に世界一になったことで国⺠は有頂天となり、消費に拍車をかけたことで形成されていったものであるだろう。このような背景があって、産業革命以後、初めての「ゆたかな社会」が成立したのである。

 

「非経済的ゆたかさ」の誕生  ̶マズローの心理学  ̶

 では次に「非経済的ゆたかさ」について考察していこう。

 カウンターカルチャーが「豊かな社会」を批判して、「非経済的なゆたかさ」を主張した経緯は、彼らの大学の学びの中から生まれた。彼らが大学で学んだことの中には第三世界における貧困問題があった。竹林修一は彼らに衝撃を与えた貧困問題は二種類あるとしているが、要約すると次のようになるだろう。

 一つは、国外の貧困である。1961年3月に平和部隊(The Peace Corps)という第三世界に人材を派遣する非軍事的外交協力が設立された。この平和部隊のボランティアに応募したのはほとんどが大学を卒業したての者で、アメリカとは対極にある貧困を目の当たりにした。次に国内での貧困である。高校までは、みんなが同質的な暮らしをしていたのに対して、大学の授業や、本を読むことで見えてくる経済発展の裏に隠れたアメリカ人の貧困は彼らに対しては大きな衝撃を与えた。また、彼らの貧困から受けた衝撃対して竹林修一はこの ように語っている。

 

国外の貧困と国内の貧困の両方を知識として得たヒッピーたちは、必然的に、貧困の対極にあるアメリカの(彼ら自身を含む)主流層、ひいてはアメリカという超大国に対して疑問を抱くようになった。物質的に豊かで不自由なく暮らせる生活と引き換えに、何か大切なものを失いかけているとヒッピーたちは考えた。大切なものとは、人生に対する実存的な意味づけである。所与の社会的環境において、どれだけ自分は主体的に生きているかという哲学的問いかけだった。この自問が経済的豊かさを批判することに繋がり、批判の裏返しとして、ヒッピーたちは(精神的には)貧困をむしろ好ましいと考える傾向を持つに至った(後略)。【竹林修一(2019)P.94】

 

 カウンターカルチャーが資本主義システム、「ゆたかな社会」を批判するのは、それによって貧困が生み出されたという構図を頭の中で描いたからである。資本主義にとって、低賃金で働いてくれる労働者の存在が不可欠である、という事は示したが、だからと言って彼ら、カウンターカルチャーの大量消費社会の批判が正しいことにはならないのは言うまでもないだろう。

 しかし、彼らが望んだ「人生に対する実存的な意味づけ」という思想からはA.H.マズロ ーの五段階欲求の「自己実現の欲求」と重なるところがあるのではないだろうか。

 マズローの五段階欲求は、五つの階層に別れたピラミッド型になっており、一番下に生理的欲求、次に、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして一番上に、自己実現の欲求となっている。そして、これらをまとめて基本的欲求と呼ぶ。

 

マズローは、個人が、身体的あるいは心的平衡の回復を求める欠乏動機と個人が今までにしてきたことや過去にそうであったことよりもさらに先へ進むことを求める成⻑動機を区別した。(中略)人間の生来的欲求は優先性の階層にしたがって配列されている。一つの水準が充足されると次の水準が優越する。このようにして、飢えや渇きのような生理的欲求が充足されると、次の水準である安全欲求の充足が求められる。これから後は順次、 愛情と所属の欲求、尊重への欲求、自己実現への欲求と続く。(後略)【 P.G.ジンバルド ー(1983)訳 古畑和孝&平井久 P.448】

 

 例えば、無人島に何も持っていない状態で流れ着いたとして、初めに食べ物を探し(生理的欲求)、雨風をしのげる場所を探すだろう(安全の欲求)。その次には他の人がいないかを探し(所属と愛の欲求)、人がいたら、その中では自分の有用性を示したくなるだろう(承認の欲求)。これらの欲求を満たして、より高次の自己実現の欲求となる。生理的欲求から承認の欲求までは、「生きていくためには何かが足りない」という欠乏動機から動かされ、 自己実現の欲求は、自分自身をより成⻑させようという成⻑動機=存在価値によって管理されている。

 しかし『マズローの心理学:第三勢力の心理学』では「自己実現する人間のタイプは、全人口の中でごくわずかのパーゼンテージ(ほんの1パーセントそこそこ)しかいない」<フランク・ゴーブル(1970)訳 小口忠彦(1972)>と言われており、自己実現している人についてはこのように語っている。

 

食物、衣類、住居といった低次の欲求の充足がそれ自身成⻑を促進するわけではない。『富裕』はなぜある人には成⻑をもたらすのに、別の人には厳密に“物質的な”レベルで固着させ続けるのか、その理由は私には絶大な神秘である。(中略)つまり、自己実現している人というのは、1病気を十分に逸れており、2彼の基本的欲求について十分満足しており、 3彼の能力を積極的に用いているといっただけでなく、彼は、ある価値によって彼が努力し、手探りし、彼がそれに対して忠義であるような、そうした価値によって動機付けられている。【フランク・ゴーブル(1970)訳 小口忠彦(1972)】

 

 カウンターカルチャーの担い手たちは、衣食住が揃ったゆたかな上に生まれ、育ち、低次の欲求を不満に感じる事なく生きてきて、欠乏動機を感じることなく過ごしてきた。彼らが求めた「実存性」、「主体的に生きているか」という「ゆたかさ」への問いは、自身の中に価値を見出し、その価値観を判断基準にして生きるという様に言い換えることができるだろう。そのように考えると、カウンターカルチャーが『オン・ザ・ロード』のニール・キャサディに惹かれていた理由が見えてくるだろう。ニール・キャサディ誰かによって規制された生き方をしていなかった。ただ闇雲に自身をを成⻑させる至福のものを探していたのである。

 彼らの「非経済的なゆたかさ」というのはA.H.マズローの言うところの成⻑動機によって動かされる「自己実現の欲求」を満たすことに「ゆたかさ」を見出していたと言えるのではないだろうか。