記録として大学時代に書いた論文を何個かに分けてブログに書いていきたいと思います。

 拙い文ですが、読んでいただけると嬉しいです。

 

ゆたかさの形成から見るジェネレーション間でのギャップ

   ̶カウンターカルチャーと前世代の対立  ̶

 

 はじめに

 

 第二次世界大戦後から続く好景気はアメリカの中流階級の暮らしを劇的に変化させた。 中流階級は治安が悪いダウンタウンから郊外の住宅地へと引っ越して、車は一家に一台あるのが当たり前となり「ゆたかな社会」が出現した。 

 そして迎えた60年代、61年にはアイゼンハワー大統領から、弱冠43歳のジョン・F・ケネディーが当選して大統領となり、新たな時代の幕開けを印象付けた。

 しかし、好景気の恩恵を預かったのは白人の中流階級だけであり、それに抗議して、公⺠権運動、フェミニズム、ラテンアメリカ運動、カウンターカルチャーなどのサブカルチ ャーが活発に運動を始め、それまでの前世代的な価値観のヘゲモニーの地盤を揺らしたのである。

 1960年代のアメリカはまさに<⻩金時代>と呼べるほど経済的にゆたかであった。その一番の恩恵受けていたはずの白人中流階級の子供達が、社会を批判し、社会からのドロッ プアウトを訴える背景には何があったのだろうか?

 本論文の問いとしては「世代間のギャップはどのようにして生まれるのか?」そして「人 間はゆたかさの上に居続けることはできないのか?」ということになる。

 人間が存在してからずっと苦しんでいる飢餓の問題は産業革命以後、欧米、先進国と呼ば れる国々を筆頭に改善されてきている。社会が発展して、明日食べるご飯を不安に思う人々 は減っただろう、そんなゆたかな社会に生まれ育った子供達はその幸せに満足することは できなかったのだろうか。今回は「メインストリームへの対抗」と称されるカウンターカル チャーとその親世代を考察して、いつの時代にもある世代間のギャップがなぜ生まれるのかを考える。

 本論文では、第二章までジョセフ・ヒース+アンドルー・ポターの『反逆の神話 カウン ターカルチャーはいかにして消費文化になったか』と、竹林修一の『カウンターカルチャー のアメリカ 希望と失望の 1960 年代』の二冊を主要参考文献として、カウンターカルチャ ーの形成から、それが資本主義に取り込まれていく過程を考察する。

そして、第三章では 1950 年代アメリカが J.K ガルブレイスの「ゆたかな社会」であった ことを前提として、カウンターカルチャーと前世代との価値観のギャップはなぜ生まれる のかを考察する。

 

 カウンターカルチャーとは何か

 一般的にカウンターカルチャーは「メインストリームへの対抗」と定義され、サブカルチャーの一種とされる。また、カウンターカルチャーは時代によって名称が異なり、ボヘミアン主義、ビート・ジュネレーション、そしてヒッピーが代表とされる 1960 年代の世界的なムーブメントが存在する。日本語では「対抗文化」と訳されるが、この言葉に含まれる意味は広い。本論文で指すカウンターカルチャーとは、ヒッピーらが巻き起こしたムーブメントのこととする。

 他にも 1960 年代の社会的活動全般をカウンターカルチャーと指すこともある。確かに、 それぞれは複雑絡み合っており全てが無関係と言うことは無理であるが、カウンターカルチャーには公⺠権運動やフェミニズムと一線を画す部分があると考える。カウンターカル チャーの担い手は、他の二つとは異なり、その時代の権威を持っている側でもあった、白人中流階級の子供達だったからである。彼らは戦後の好景気だったアメリカに生まれ、ベビーブーマー(日本では団塊の世代)と呼ばれていた。生まれてからずっと豊かな上に暮らしていた彼らと、30 年代の世界恐慌、第二次世界大戦を経験して、そこからの安定的暮らしを 手に入れた親世代とでは決定的な価値観の違いがあることは明らかである。

カウンターカルチャーは大量生産、大量消費を批判して、その原因を体制、システムに見出した。そのシステムは人々に画一的で、体制順応主義者であることを求める、一種の洗脳装置である、と彼らは結論づけた。彼らはそんな社会から抜け出し、常にヘンリー・デイヴ ィッド・ソローの「森の生活」を教典のように持ち歩き、自然への原点回帰を謳い、政治的 主張はせず、理想の社会のために、人間の意識改革を目指した。

彼らが「メインストリームへの対抗」と呼ばれる訳は、1960 年代の白人中流階級の画一的な暮らしを批判したためであり、その白人中流階級は自分たちの親世代でもあった。カウ ンターカルチャーとは、そのような前世代的価値観への反抗/対立なのだったのではないだろうか。