あたしは諦めることが得意だ。
 それは幼い頃からの訓練の賜物。日常の数えきれない場面で重宝するスキル。きっとあたしだけじゃなくてみんな持ってる流行の無料アプリ。
 何か手に入らなそうなものを見つければ
「本当にそれは必要なものなの? そんなの要らなくない?」とブレーキをかけてくれる。
 何かしたいことを見つければ
「それってそんなに時間使う必要ある? 失敗したら全部むだじゃん。」と冷静な意見をくれたりする。
 あたしはそれに絶対的な信頼を寄せているし、なにより挑戦して失敗するというサイクル自体が、自分にはフィットしないものだと思っている。
 TVをつければスポーツ選手が言う。
「この屈辱を次に活かしたいと思います。」
 それは単に敗北という事実を正当化して、次の機会へと評価を先延ばしにしようとする行為にしか受け取れない。無謀でも挑戦するという言葉を美化する人たちとは、土台分かり合えるはずのない違う人種なのかもしれない。

 そんなあたしでも、何を間違ったのか‘挑戦したい’と思ってしまった。
特に何不自由もトラブルもなく、それでもどこか満たされもしない平坦な高校生活。小学生時代に感じていた‘休み時間崇拝’はどこに消えてしまったのか。二年目ともなると、あたしは常に時間を持て余し、きゃあきゃあとはしゃぐクラスメイトの声をBGMに、スマホでtwitterのタイムラインを流し読みする。
 別にいじめられているわけでもないし、友達が居ないわけではない。時間が合えば放課後にカラオケにも行くし、休日には2時間も電車に揺られ、渋谷や原宿に買い物にでかけることもあった。
 だけど運命や巡り合わせといった大きな次元の話ではなく、あくまで身の丈にあった小さな疎外感を、日常から拭うことができなかった。あたしの居場所は、ここなのだろうか、、、と。
 そんな時だ。‘加害者’が話しかけてきたのは。
「ねぇ、セツナちゃん。あたし来週の日曜ファッションショーをやるんだけど、もし暇だったら見にきてくれないかな?」
‘加害者’は森山澄香というクラスでもあまり目立たない、小柄でショートカットの女の子だった。
 普段とくに親しい関係はないのに下の名前で呼ばれたこと、そして森山澄香に抱いていたイメージから発せられたファッションショーという響きの違和感に、あたしはすっかりペースを乱されてしまった。
「え、ああ。まぁその日は特に予定はないけど、、、」
「ほんと?じゃあチケットあげるね! ドリンク代はかかっちゃうけど、、、。」
 ごそごそと鞄から取り出された裸のチケットを手渡されると、原宿という文字に目が留まった。
「原宿でやるんだ。すごいね。モデルやるってこと?」
「まさか! 違うよ、モデルじゃなくてあたしは服を作る方。まぁ小さなライブハウスでみんなで合同でやるだけなんだけどね、、、。じゃあ絶対来てね!」
 チケットから顔を上げるころには、そそくさと他のクラスメイトに話しかけにいく背中が見えた。
(まぁ、セールにも行きたいし、ちょうどいいか)そう思ってしまったのが、そもそもの間違いだった。

 その日、あたしはステージに釘付けになった。
 煌びやかな照明を浴びて、どこか辿々しく歩く高校生モデル。
 バタバタと楽屋とステージを行き来するスタッフ達が必死に作った、手づくりのオブジェ。
 そして何よりもショーの最後。モデルやスタッフと共にステージに立った森山澄香の笑顔。教室では見たこともない、泣き顔と紙一重とも言えるくしゃくしゃの笑顔を見て、完全に心を奪われてしまった。
 セールの戦利品はクロークに忘れてきた。
 ベッドに入ってもその日のドキドキから醒めることはなくて、境界線の分からない夢の中、あたしもステージの上で笑った。
 次の日、あたしは森山澄香に真っ先に話しかけ、感動を伝えると、彼女は昨日の余韻を感じさせる、とろけるような笑顔を見せてくれたのだった。
「嬉しいな。そんなに感動したんだったら、セツナちゃんも次のイベント手伝ってよ。」
 そこからはまるでCM飛ばしの早送りのような毎日。3年生になるのもまたずに進路を服飾学校に決めると、親友になった二人は互いにアルバイトでお金を貯めてはお気に入りのブランドを買ってあーだこーだと話し合った。お互いの服の趣味が一緒だったわけではないけど、下の階に行けば森山澄香の好きな服が。上の階に行けばあたしが好きな服が手に入る。東京はそうゆう街だった。
 成績もどちらかと言えば良い方だったし、進路相談では担任に軽く止められたりもしたけれど、むしろ拍車をかけるようにファッションにのめり込んだ。
 普通一番の難所である親の承諾も簡単だった。元々あんまり関心もなかったからなのか、事情を話すと拍子抜けするほどあっさりと願書にサインをしてくれた。

 そして親友だったあたしたちは、同じ服飾専門学校に通うことになる。コースは同じデザイン科。だけど、急激な環境変化もあり二人の距離はみるみるうちに遠くなっていった。
 いつしか二人は、ごく自然に‘加害者’と‘被害者’になった。

 PM20:09
 あたしは催促するようにレジに置いてあるPCのEnterキーを連打する。
「あ、セツナちゃん、もうあがって良いよ。」
「あ、はーい。お疲れさまでーす」
そう言いながら着替えもせず(ていうか私服だけど)カラフルな古着が所狭しと並べられた店を後にする。
(なんだよ9分残業したじゃんばーか)

 あたしは自販機でエナジードリンクを買い、プルタブを開けると一口だけ飲んで交差点に向かって歩き出す。無音のイヤホン。聴こえるはずのない規則的な足音。早めのBPM。
 今日は遊ぶ約束がある。パッと見バラバラのみんなだけど、パーティでよく会ううちになんとなく仲良くなり、なんとなく遊ぶようになった。ケンカもしないし、悪口も言い合わない。なんとなくで出来てる、あたしたち。
 店から歩いて五分とかからず待ち合わせの交差点にいくと、アキラが居た。
「おい、遅えーぞセツナ」
「だから20時終わりって言ったじゃん」
「ヒカルは?」
「いやちょっと遅れるって言ってた。あ、来た」
 表参道の方から大きなショップバックを持って歩いてくるヒカル。華奢な上にタイトなスキニーデニムだから、バックに振り回されてるみたいに見えて可笑しい。
「ごめんごめん。ちょっと買い物行ってて遅れちゃった」
「また買い物かよ、おまえ、まじ服買い過ぎだわ」
 アキラは腰掛けたガードレールから立ち上がると、太めのダメージデニムのポケットに手を突っ込みながら言った。昔はアキラと双子みたいにタイトなファッションだったのに、闇金アウトロー漫画に影響されて急にHip Hopスタイル始めちゃう硬派風の男の子。
「とりあえずさ、今日なんも食べてないし、なんか食べに行かない?」
 いつも通り二人も同じ状況だったらしく、あたしの提案にうなづくと、ブラブラと歩きだした。

「だからさーなんでいつも本日のおすすめパスタ知らないわけ? 店員さんでしょ?」
「、、、。」
「じゃあ、海老トマトクリームパスタ、モッツァレラトッピングで!」
 アキラのオーダーを最後に、ウエイトレスは悪びれもなくキッチンに戻って行った。
「ったくおすすめくらい知っとけよな、、、」
「いやあんたいつも結局それ頼むじゃん」
「選択肢が欲しいわけよ」
「じゃあおすすめ聞いてきてもらえば?」
「そんな店の誰かしか知らないおすすめパスタがおすすめって言えるのか!」
「まーとりあえず乾杯」
 いつも通りのくだらない会話。
 ヒカルは会話には加わらずにマイペースにスマホをいじってる。
「ねーヒカルちゃん、この前食事中はスマホいじっちゃだめって言ったでしょ?」
「おいヒカル、ママを悲しませるなら携帯は没収だ」
 そう続いたアキラは宣言通り、ヒカルのスマホを取り上げた。
「あ、ちょっとー」
 弱々しい声をあげるヒカル。
「だれとLINEしてんだよー?」
 アキラと二人で覗きこむと、NAVERのまとめサイトだった。

今、裏原がヤバい! 無法地帯すぎてネットで話題の新東京名所!
 
「裏原特集してて、どこまで本当か分からないけど、なんか面白くて」 
 ヒカルはそうゆうと、ビールの到着を待たずに水を一口飲んだ。
「まぁ読んでみてよ。」
•ネットショッピングシェアがうなぎ上り。家賃が下がらず、かつてショップでにぎわった裏原は閑古鳥が鳴く状態。
•つぶれたショップを勝手に改築して住居化?
•強盗発生率東京ナンバーワン!
•暴力事件をネットで生中継。アフィリエイトで稼ぐ若者集団。
•違法ドラッグの取引場所。

「へーそんなことになってるんだ。確かにあそこらへんって特に深夜やばいって聞いたことあるかも」
「行ってみようぜ」
 興奮して前のめりぎみのアキラが言う。
「えーやめようよ。急に危なくなってるみたいだし、、ねぇセツナ!」
「いいじゃんいこうよ」
 あたしが助け舟を出してくれると思ったのか、ヒカルは裏切られたような顔でため息をついた。


 深夜0時になった瞬間。あたしたちはまるで、バラエティのロケみたいなテンションで裏原に踏み入れた。
「えーここがいま若者に話題のスポット裏原ですアキラさん」
「いやーセツナさんびっくりする程人が居ないですねぇー!」
 アキラが言うように、そこは夜の闇だけがあって。心地いい冷たさの風があって。中途半端な形の月が張り付いていて。見た目はなんら変わらない、深夜の原宿の一コマだった。ただ、こっちの思い込みなのかもしれないけど、どこか不穏な空気を感じるのもたしかだ。奇妙とまではいかないけど、漂う景色に少しだけ薄められた違和感。間違い探しゲームみたいな軽いタッチ。
 ヒカルは必死に面白いものを探そうと、Vineを起動したままキョロキョロと街を物色する。この子はいつも何かに追われ続けるように、写真や動画を撮り続けてる。毎日毎日面白いもの見つけなきゃ見つけなきゃって、まるでスマホに操られてるようなthe現代人。
「オイオマエアレヲトレ ソレハインスタ アッチハヴァイン チャント オシャレニ カコウシロヨ」
 無機質なスマホの声が聴こえてくる。なんとなく、ワイドショーで顔を隠して証言する人のイメージ。

「やっぱああゆうネットのやつって大袈裟に書くんだな。別になんもねーじゃん」
「まぁ、普通に取り締まるよねー。東京の優秀な警察さまを舐めちゃだめよーだめだめ」
「えぇーいいじゃないのーいいじゃないのー」
ほろ酔いの二人が繰り広げる、クオリティの低いコント、、、を遮るようにヒカルが声を上げた。
「うわっ、、、、なにこれ!」
 自動販売機の横に何かを見つけたらしく、ゴミ箱いっぱいに小さな頭蓋骨のようなものが無造作に詰め込まれてた。
「ん? なにこれほんとの骨じゃないじゃん。陶器?」
 あたしがそのうちの一つを拾い上げながら言うと。ヒカルは無言で‘信じられない’と‘もう帰ろうよ’が入り交じった目であたしを見る。
「ほんとだ、ただの陶器じゃん。何ビビってんだよオマエ」
 と、続くアキラ。じゃああんたが最初に触りなよ、と少し思う。が、わざわざ別に伝える程ではない。
 自販機の奥に続く小さな路地は、ぐっと濃度を増した気味の悪さだった。1.2Gの重量を感じながら恐る恐る先に進むと、壊された自販機に、ボロボロの張り紙だらけのシャッター。‘金返せ’や‘死ね’なんてのは可愛いもので、ググらないとでてこないような、ありとあらゆる罵詈雑言の殴り書き、と茶色く滲んだ血痕。流石に全員一致で不安になり、目配せで気持ちを確かめ合う。そして来た道を引き返そうと振り返った瞬間。
 どんっと後ろからの衝撃によろけてシャッターにぶつかり頭を打った。
 振り向くとまだ小学生くらいの男の子―ハッキリとは分からないけど―が、走り去って行くのが見えた。
「もう痛いなーなんなのよ」
 男の子が角を左に曲がり視界から消えようとしたその時、あたしは弾けるように走り出す。ひったくり。買ったばっかりのクラッチバック。値段はたいしたことない。てかクレジットカードがやばい。
「おいセツナ待てよ!」
「追いかけない方がいいよ!」
 あたしは
 頭を整理しながら全速力で走る。子供だし、大丈夫、、、だよね。言い聞かせて走る。同じように角を左に曲がったその時、さっきよりも大きな衝撃に、今度は地べたに叩き付けられる。
「うーごめんなさい、、、」
 反射的に謝りながら起き上がると、男がいた。
 年齢不詳の見た目、ボサボサの髪にアイライン。ビッグサイズの白いモッズコート。何よりも不思議なのは左目の下にジッパーがついている。うん。ついてるから、ついているとしか言いようがない。
「だれ?」
 ごくシンプルな質問だった。誰、えとあたしだれだろ。答えなきゃと思うのに、言葉がでない。
「この辺始めて来たの?」
 どこか調子はずれの不思議な男だった。時間に対して別次元で動いてるような、上手く言えないけどそんな感じ。
「あ、あたしはセツナ。原宿で働いてるんだけど、夜の裏原が危ないって聞いたからちょっと冒険にきて、、、、。それでなんか、男の子に万引きされ、あじゃないやひったくりされて、、、」
「ふーーーん」
 男は遮って大きな相づちをうつと、無邪気ともその真逆とも言える笑顔で笑  った。
「ふふ。じゃあ、ドキドキしにきたんだ」
 予想外の台詞に、また言葉が続かなくなる。あたしそうだよな、ドキドキしにきたのか。いやていうかひったくりだよひったくりそんなドキドキ求めてないし、そこを気になれよ。
「そう、ひったくりを探さなきゃいけないから、あたしこれで、、、」
「殺すぞコラぁ!」
 次に遮ったのは殺意に満ちた男の罵声だった。2、3人の男たちが1人の男を必死に追いかけてる。
「隠れよ」
 え?と返事をする間もなく男に腕を引かれると、建物と建物の間、小さな隙間に滑り込んだ。
「ちょっとあたしなにも」
と、今度は男の手に遮られた、というよりも口を塞がれた。本当に言いたいことを言えない世の中だ。
「あいつらはやばい。気が立ってると誰だとか関係ない。セツナみたいな可愛い子はすぐ売り飛ばされちゃう」
(そんなまさか!)
 喋れないので目で訴えかけてみる。
「年間10万。一日273」
(なにそれ?)
 男には通じてるようで、意地悪そうに笑うと、今度は耳元で囁いた。
「日本の行方不明者の数」

(もう、次から次へと何なのよ)










 物陰から物陰へ。グラグラと形を変える夜空のデザイン。月は曖昧な形をしていて、いつもそうだよな、とあたしは思う。全て悟られるのを嫌がっているような輝き。満月や新月だって、信用なんかできやしない。
 あたしたちはヤバいやつに見つからないように、こそこそと街を歩く。ていうか、こいつを信用していいかも分からないし、見た目で言えばこいつこそヤバいやつ日本代表なんじゃ、、、。だけど、心の何処かで踊る‘何か起こらないかな感’に従ってみる。とりあえず。
「ねぇ、どうして原宿ってこんなになっちゃったの?」
 男は振り返ると、(あぁ、こいつなにを言っちゃってんの?)と不思議そうな顔をして言った。
「知らないしどうでもいいかな。もう着くよ」
 一体どこに?を、飲み込んだ。きっと答えてくれないだろうと内心分かっていた。もしかして手柄を独り占めする為に隠れたのかな?じゃあ結局あたしはどこかに売り飛ばされるんだろうか、それとも適当に連れ込まれて犯されるんだろうか。今日のパンツ何履いてたっけ。あ、あれか。まぁセーフ。って任意じゃないし。ていうかジッパー何。ジッパー何。あれあけるとどうなるの。肉が見えちゃうの。なんで左目なの。飛行機乗る時検査場でひっかかっちゃうんじゃないの。
 あたしの中のあたしじゃない部分があたしを観察してる。そいつはシリアスな時を中心に、好奇心の塊!といった感じにやってくる。

 何処からか聴こえる音楽が大きくなる。
 何処からか漏れる光が大きくなる。
 重なり合った笑い声。
 内側から聴こえる心臓の音。
 当事者ぶるあたしと、他人事のように楽しむあたし。
 
 その二人を連れて、男は歩く。音と光と、男の背中に導かれるようにたどり着いたそこは、斡旋業者でもなくホテルでもなく、ただのたまり場だった。裏道の十字路に止まったボックスカーを拠点に、バラバラのファッションの男女が、それぞれ音楽に合わせて踊ったり歌ったり。激しく抱き合う恋人もいれば、なぜかガスマスクをして絵を描いてる人もいる。出店とまでは言えないものの、洋服ラックが道路に並べられたり、飲食店風のワゴンや簡易的なイスやテーブルが並べられたりしている。
 ざっと20人は居るだろうか。その中に、さっきのゴミ箱の中に詰め込まれてた骸骨の陶器も見つけた。まさに陶芸家ってテイストの男が階段に、色とりどりの骸骨をならべてる。じっと見つめていると、ニヤリと気味の悪い笑顔を見せてくれた。もしかして作品を気に入っていると思われているのかもしれない。
 男は近くにいる何人かと挨拶程度に会話すると、いつの間に手にしたのかビールのボトルを一口飲み、あたしに訪ねた。
 
「俺たちは、、、なんだと思う?」
 一瞬唖然としたけど、そこからあたしはそれまでに起こった全ての理不尽にいちゃもんをつけるべく、怒鳴り散らした。
「こっちの台詞よ!連れてきといて何言ってんの!?それにその意味不明な質問なによ。俺たちは、、、、何だと思う?はぁ?オマエが知らねーのにオマエのことなんか知るかよふざけんな!」
 はぁはぁとあたしの息切れだけが響き、そこでさっきまで流れていた音楽が鳴り止んでいることに気づく。ダンサー達や陶芸家かぶれも動きを止めてみんながあたしのコトを見てる。やばい。なんか分かんないけど、やばい。ひったくりにぶつける分まで怒鳴っちゃった。
 「はっはっはっ!」
 次に響いたのは、大勢の笑い声だった。大勢っていうか、あたし以外の全員が声をあげ、手を叩き体を捩らせて笑い合うのだった。それは恐怖でもなく、ただ置いてけぼりにされてるといった不思議な気分だった。
「まーた気強えやつ連れてきたなー」
「いやーあんた最高」
「ちょーウケる」
「ちょっとこっち来て飲みなよー」
 ダンサー風の女の子三人がこっちに駆け寄ってきて、腕を引かれる。きょとんとしたままのあたしは、抵抗する間もなく、されるがままに乾杯までの流れにのってしまう。再び響き始める音楽に被って、一人が口を開いた。かき消された声をもう一度聴こうと耳に手を添えて顔を傾けると、視線の先に、あいつがいた。
 森山澄香。もう二度と会うことはないとはないと思ってた、親友だった人。
(ほんとになんなんだ今日は)
 何十日分の人生を圧縮したような今日に、頭が真っ白、容量オーバー。予想だにしないサプライズの連続に、振りまわされっぱなし。自分自身になんだか腹が立ってきたあたしは、開きなおったように渡されたショットグラスを飲み干すと、投げ返すように‘もう一杯!’と叫んだ。
 そこからは、重たく響くブレイクビーツのリズムに乗り、非日常の連続をそのまま受け入れて、はしゃいだ。途中、洋服ラックの影でコソコソしているあいつと何度か目が合ったけど、酩酊状態のあたしには本当にどうでもいいことに思えた。
 
 どれくらいの時間が過ぎただろうか、10分にも2時間にも感じる。i phoneを光らせると、ホーム画面に浮かぶAM03:18。
「うわ、もうこんな時間なんだ」
「しっかりこんな時間まで楽しんだじゃん」
 振り返ると、あたしを此処に連れて来た張本人がいた。声を張るのがイヤなのか、人差し指と目で、着いてこいとサインを見せる。BGMが少しだけ遠のき、光と影が半分くらいに混ざりあった辺りで、男が腰掛けたので、ふらつく足でそれに続く。ひんやりとした石段の感触が心地いい。
「この集まりって何?あのー、、、ギャングみたいな?」
「はは、昔ならそう名乗ったかもね。俺らも俺らが何なのか分からない。気が付いたら自然にこうやって集まるようになってた。ミュージシャンにデザイナーに、アーティストにダンサーに、その卵」
 男も酔っているのか、さっきよりもだいぶ饒舌に続けた。
「でも一つだけ共通点がある。俺たちはみんな、なにかが足りなくて、もっとドキドキしたいって思ってる。くそつまんねー現状からとにかく抜け出そうとしてる」
「あー夢追ってるカッコいい人たちってことねー」
「カッコいいかは分からない。だけど今はさとり世代だとか言われてさ、夢なんか語ると、頑張り過ぎとか言われて肩身狭いんだよきっと」
「夢持ってない人はダメだみたいに言うからダメなんだよそうゆうやつは」
「そんなことない。夢だって必ずしも必要だとは思わない。繰り返しの毎日を愛せる人を俺はむしろ尊敬してるし、どこか劣等感を持ってる。俺らみたいに平坦な日常で満足できない欲張りな奴らは、夢でも見て頑張るしかないんだよ」
「なんかよくわからないけど、感覚が合わないってことだけは分かったわ」
 あたしは温くなった缶チューハイを飲み干すと、無造作に投げ捨てた。
 「セツナには、夢はある?」
 ふいに言われた一言は、アルコールのせいで速くなった血流に流され、一瞬で体の芯までしみ込んでくる感覚になった。そして其れを引き金に、断片の記憶がフラッシュバックする。もう触りたくもないミシン。好きなデザイナーのスクラップ集。初めて見たファッションショー。森山澄香の笑顔。照明の深さ。立ちこめる匂い。そして初めて自分自身で創り上げた、裾が不揃いなワンピース。外に飛びだしてだれ彼構わず見せつけてやりたい気持ち。そう、あたしはあの瞬間、感じたことのないドキドキでいっぱいだった。
 「夢は、、、、。」
 フラッシュバックは続く。規則的に机やイスが並ぶ学校。自分の作品を否定してきた御固い先生の顔。山積みの課題。意味のないデッサン。森山澄香の冷ややかな視線。
 そして選んだのは、そんな過去の自分にも浴びせかけるような、冷たい言葉だった。
 「夢なんか、持ったことない、、、。」
 ふーんと言った感じで、男は何も答えなかった。あたしはその沈黙に戸惑いを見透かされているようで、つい心にもない言葉を続けてしまう。
 「いや別に、夢なんか持たなくても、楽しいこといっぱいあるじゃん。適当に稼いでさ、買い物して美味しいもの食べてさ。今なんか無料でもすごいアプリいっぱいあるし」
 「確かに。だけど、夢みるのも、無料だよ」
 あまりのまっすぐな言葉に、一度は逃げ道を探すけど、結局みつからなくて素直に聞き返してしまう自分が居た。
 「、、、。でも失敗して笑われるかも」
 「そりゃそうだ。でもどうせ失敗するにしても思いっきり失敗した方が、自分自身でも後で笑える。あ、そうだ。俺のお気に入りのフレーズ教えてあげる。勿論!って意味なんだけど、HELLYEAHって言葉」
 「HELLYEAH?聞いた事ないな。勿論って意味のどこがいいの?」
 「まぁスラングなんだけど、当たり前だばーかみたいなニュアンスかな。俺去年NYに一人で行ったんだけどさ、そこで知り合った友達とゲームしてたんだ。何言われてもHELLYEAHしか言えないゲーム」
 「断っちゃダメってこと?」
 「そう。何処行く?これしちゃう?全部HELLYEAH。あっちじゃ危ないやつもガンガン話しかけてくるからさ、ほんっとに色々あったよ。行きたくもない場所に行ったりわけわかんないもん食べさせられたり、チャイナタウンで知らないやつに思いっきりぶん殴られたり、とても公に言えないヤバいことに巻き込まれたり」
 「何それ、ヤバ。最悪じゃん」
 「うん。でも、超ドキドキした」
 「あはは、何それ、めっちゃウケる」
 ドキドキマニアだ。もう清々しいくらいの姿勢なので、なんだかあたしまで楽しくなってきた。あたしが笑ってるのを見て、男も気分が良さそうだ。
 「じゃあ今度やろう」
 「あはは、やだよ」
 「だめ。あ、でさ、そのHELLYEAHって言葉に合わせて曲創ったんだ。それと、、、あ、ちょっと待ってて」 
 そう言うとボックスカーの方に歩き出した。変なやつ。てか曲創ったってことはミュージシャンってこと?あの車も良く見たらすごい高そうな車だし。ほんと謎。
 男は一着の黒いパーカーを持って帰ってきた。袋もなく裸のまんまで。
 「そうそれと、パーカーも創った。まじカッコいいこれ。はい」
 突きつけられたので、反射的に受け取ってしまった。
 「え、くれるの?」
 「10月18日。15時。渋谷。それ着て来たら、ヤバいことが起こる」
 何がなんだか分からないけど、男の得体の知れない勢いに押されて、うなづいてしまう。 
 「二万円」
 「は?」
 「だから、それ二万円」
 「いや、買うなんて言ってないし、そんなお金ないし」
 「いや、あったよ?」
 そう言って男は、ポケットからひったくりにとられたはずの財布を取り出した。あまりにもその自然な行為に、状況が理解できない。が、本能で理解した。とりあえず、こいつが黒幕だ。
 「あんたがひったくりね!ちょっと返してよ!!」
 「違う。あいつだよ」
  男があたしの背後を指差すので、振り返って視線をやると、確かにさっきのシルエットと重なるローティーンであろう男の子が、バツの悪そうな顔して立っていた。
 「じゃあクラッチも返してやれよー」
 不自然に遠くなった声。急いで再び振り返ると、10mほど先に男。もう怒る気力も、追いかけっこをする気力もない。とりあえず足下に置かれた、マイナス二万であろう財布を拾う。
 「忘れんなよ。10月18日。15時。渋谷。」
 「行くわけないでしょ」
 「来る」
 「行かない」
 「だってドキドキしたくて来たんでしょ?」
 「はぁ?だからなんなのそれ」
 「だってこんな物騒なとこ来る理由それしかないじゃん。だから、ドキドキしたいなら来いよ」 
 「それは、、、、」
 「それはじゃない、さっき教えただろー?」
 最後に男は口に手を添えると、声を出さずに、大袈裟に口を動かした。
 (え う いえー)   
 えういぇー 
 へるいぇー
 HELLYEAH

「、、、。言うかばか!」

すると男は、悠々と街に消えて行くのだった。

気まずそうなひったくりボーイからクラッチをひったくり返す。
 「あいつなんて言うの?」
 あたしに罵られると思っていたようで、咄嗟に?の色を浮かべたが、すぐに理解したようだ。
 「SuGってバンドのVo武瑠。俺らのリーダー。最近じゃ浮気者とも名乗ってる」
 「浮気者?」
 「そう、SuG武瑠 a.k.a 浮気者」
  
 本当にふざけた男だ。
 
 途方にくれたあたしは、手渡されたパーカーに視線を落とす。
 
 菫色の糸で刺繍されたHELLYEAHの文字。
 月明かりに照らされて、挑発的に光っていた。