MISSという言葉は自分にとってすごく大きな意味を占める言葉だと思う。
失うわけでもなく、壊したわけでもなく、最初からないものをずっと探し続けてる感じ。
がちゃがちゃと枠の中のピースを動かして遊ぶ、パズルのオモチャ。
ピースが足りないから、ずっと完成することはない。それでもああでもこうでもないと動かし続けると、段々と言葉や音楽が溢れ出てきて、創造力だけが支配する無限の空間に行ける。
だけど、それはいつだってそれ相応の痛みを伴う。
小手先で考えたって、子供騙しのような作品になってしまうし、その前に自分を騙すことも納得させることができないから、日の目をあびる事はない。
だから自分が納得できる作品を産み出す時は、どうにも目を逸らしておきたいことや二度と思い出したくない事をわざわざ自分で掘り返してこねくり回し傷を抉って、がちゃがちゃとパズルを再構築する。もちろん完成することはないと分かってて。
心が冷たくなったりあったかくなったり、剥がれそうになったり美しいと思ったり。
そういう時の心はすごく忙しい。普段動いていないところが動いて、自分自身がびっくりする。
そして、同じことで何度も何度も泣く。
うなされるように泣く。
悪夢のように、体と心に染み付いたトラウマに何度も何度も泣く。
その度に「あぁ、まだこの感覚から解放されることはないんだな」って思う。
だけどそれを感じる時、いいようのない孤独の傍らに寄り添い続けてくれた、音楽や言葉を思い出す。
そのかけがえない作品たちは、確かに自分を救ってくれた。
部屋で一人フッドフォンをして目閉じる。
その音や言葉は、何色にも名付けられない宇宙に連れて行ってくれる。
コードを伝って旅に出ると、だれかの感情の根源が繋がって、独りじゃないんだよって思わせてくれた。
「そんな寂しいことや暗いこと考えてるのはきみだけじゃないんだよ」って。
恩返しという言葉は綺麗すぎる。ただ仲間を捜したいのかもしれない。
今でもいろんな音楽に感動するし、感動させることで繋がった、絆のような共犯性を信じたいのかもしれない。
作品で救われ繋がること。
それは自分にとって、まっすぐに愛を注いでくれる恋人や、心を開いて笑いかけてくれる友達よりもずっとずっと‘リアル’なことだったと思う。
誰かに合わせることは、そんなに難しいことじゃない。
理解しようとしてくれる人に会うのは好きだけどキライじゃない。
どうせ全て分かりあえるはずもないし、間違った解釈で勝手に自分都合のキャラクターを作り上げられるゲームみたいなもの。
だけど、偶発的に起こる何かで自分の心が此処じゃないどこかに向かえることを期待して、だれかと関わろうとする。
寂しいくせに、平気なふりをする。相手よりも有利な位置で安心しようとする。
こっちはお前がいなくなっても大丈夫だよって。
誰も必要としないってことは、自分がだれからも必要ないってことに似てる。
別にどれも特別なことじゃなくて、みんながみんな感じていることなんだろうなとも思う。
だけど、それに振り回され続けている以上、それと向き合って苦しんで産み出していく。そういうスタイルなんだと思う。
もっと楽なやり方があるのも知ってるし、もっとみんなを悲しませたりしないやり方もある。
だけど、やっぱり自分の真実で勝負したいんだろうな。全部をさらけ出すって意味じゃなくて、作品にうっすらと、違う角度からみないと気づかないメッセージみたいなものも込めて、今も独りどこかで泣いてる誰かに独りじゃないんだよって届けたいんだと思う。
MISSINGから始まるプロジェクトは俺が16の頃から考えているお話と世界観。
寝かせ続けたのはそれを表現できるだけのレベルアップを待ってたってのもあるけど、単純に怖かった。
多分今までで一番自分と向き合って、戦わないと創れない作品だと思う。
だから今すごく怖い。自分の中のバランスが崩れてしまいそうで、それを表現してしまったら違う人間になっちゃうんじゃないかって。
だけどその分、もの凄い作品ができるって確信もある。
自分を犠牲にっていうとカッコ良すぎるかもしれないけど、自分を救ってくれたアーティストがそうだったように、傷ついていも核心に迫って、いつ終わってもいいような覚悟で創り続けていたい。
続けるじゃなくて、続いていくが美しい。
勿論、別にそんな重たい捉え方をみんなにしてもらいたいわけではないし、ファッション的な感覚だったり気分転換やBGMでも全然いい。
それぞれの楽しみ方でいい。
だけどそこに真実を込め続ける。
まだ会えてない誰かと、自分を救いたい。
一瞬一瞬で、別の人間なんじゃないかって自分でも思うくらい気分屋なので、色々こみ上げてきた時に残しておきたくて長々と書いてしまった。
MISSINGという作品発表を通して、活動休止から復活を通して感じたことがたくさんあります。
すぐ目を背けてしまうことから、逃げたくないって思える。
俺たちはこれからどんどんカッコ良くなる。
思い出したくないことや納得いかないことはどんどん増えていくだろうけど、しっかり傷ついてカッコ良くなっていく。
それを一緒に感じて、思い出話で笑い合える。それが、今の俺にとって一番のリアル。
重たくていびつでも、そうなんだ。
そうじゃないと笑えないから。
ちゃんと向き合って、みんなと笑い合いたいなって思います。
ただいまって言って、おかえりって返ってくる。
それってこんなにあったかいんだなぁって改めて思いました。
「おかえり、SuGのこと待ってたよ」って泣きながら伝えてくれるみんなの顔を見てると、こんな俺でもステージに立ち続けていいんだなって思えます。
みんなは大勢の中のひとりって言うかもしれないけど、その声が集まると信じられないくらい大きな力になって、とてもひとりではできないことを乗り越えようって力をくれます。
ありがとう。
しばらく会えてなかったらなのか、昔よりも口下手になった気がしてます。
それとも、自分が知っている言葉だと想いを伝えきれなくなったのか。
やっぱり音楽に乗せた言葉が今の、一番のメッセージ。
MISSING
Rolling!!
0 song
そのどれもが本当に大切な作品で、これからもっともっとみんなの力で大切になっていくんだなぁって思うと嬉しくてたまらない。
いつもあえて険しい道を選んでいくタイプだけど、その分他では見れない景色がきっと見れる。
長い間待っててくれてありがとう。
こんな時代に、だれかを待ち続けたり応援できるってもの凄いことだと思います。
裏切らないバンドになります。
誰よりもカッコ良くなります。
一度バラバラになったことも、絶対無駄にしない。
前に進むことしか考えてないから、しっかりついてきてほしい。
照れくさくて、ライヴで音にのせないと伝えられないけど。
愛してます。
そして、一緒に創った作品を愛してあげてください。
いつも、これからも、ありがとう。
失うわけでもなく、壊したわけでもなく、最初からないものをずっと探し続けてる感じ。
がちゃがちゃと枠の中のピースを動かして遊ぶ、パズルのオモチャ。
ピースが足りないから、ずっと完成することはない。それでもああでもこうでもないと動かし続けると、段々と言葉や音楽が溢れ出てきて、創造力だけが支配する無限の空間に行ける。
だけど、それはいつだってそれ相応の痛みを伴う。
小手先で考えたって、子供騙しのような作品になってしまうし、その前に自分を騙すことも納得させることができないから、日の目をあびる事はない。
だから自分が納得できる作品を産み出す時は、どうにも目を逸らしておきたいことや二度と思い出したくない事をわざわざ自分で掘り返してこねくり回し傷を抉って、がちゃがちゃとパズルを再構築する。もちろん完成することはないと分かってて。
心が冷たくなったりあったかくなったり、剥がれそうになったり美しいと思ったり。
そういう時の心はすごく忙しい。普段動いていないところが動いて、自分自身がびっくりする。
そして、同じことで何度も何度も泣く。
うなされるように泣く。
悪夢のように、体と心に染み付いたトラウマに何度も何度も泣く。
その度に「あぁ、まだこの感覚から解放されることはないんだな」って思う。
だけどそれを感じる時、いいようのない孤独の傍らに寄り添い続けてくれた、音楽や言葉を思い出す。
そのかけがえない作品たちは、確かに自分を救ってくれた。
部屋で一人フッドフォンをして目閉じる。
その音や言葉は、何色にも名付けられない宇宙に連れて行ってくれる。
コードを伝って旅に出ると、だれかの感情の根源が繋がって、独りじゃないんだよって思わせてくれた。
「そんな寂しいことや暗いこと考えてるのはきみだけじゃないんだよ」って。
恩返しという言葉は綺麗すぎる。ただ仲間を捜したいのかもしれない。
今でもいろんな音楽に感動するし、感動させることで繋がった、絆のような共犯性を信じたいのかもしれない。
作品で救われ繋がること。
それは自分にとって、まっすぐに愛を注いでくれる恋人や、心を開いて笑いかけてくれる友達よりもずっとずっと‘リアル’なことだったと思う。
誰かに合わせることは、そんなに難しいことじゃない。
理解しようとしてくれる人に会うのは好きだけどキライじゃない。
どうせ全て分かりあえるはずもないし、間違った解釈で勝手に自分都合のキャラクターを作り上げられるゲームみたいなもの。
だけど、偶発的に起こる何かで自分の心が此処じゃないどこかに向かえることを期待して、だれかと関わろうとする。
寂しいくせに、平気なふりをする。相手よりも有利な位置で安心しようとする。
こっちはお前がいなくなっても大丈夫だよって。
誰も必要としないってことは、自分がだれからも必要ないってことに似てる。
別にどれも特別なことじゃなくて、みんながみんな感じていることなんだろうなとも思う。
だけど、それに振り回され続けている以上、それと向き合って苦しんで産み出していく。そういうスタイルなんだと思う。
もっと楽なやり方があるのも知ってるし、もっとみんなを悲しませたりしないやり方もある。
だけど、やっぱり自分の真実で勝負したいんだろうな。全部をさらけ出すって意味じゃなくて、作品にうっすらと、違う角度からみないと気づかないメッセージみたいなものも込めて、今も独りどこかで泣いてる誰かに独りじゃないんだよって届けたいんだと思う。
MISSINGから始まるプロジェクトは俺が16の頃から考えているお話と世界観。
寝かせ続けたのはそれを表現できるだけのレベルアップを待ってたってのもあるけど、単純に怖かった。
多分今までで一番自分と向き合って、戦わないと創れない作品だと思う。
だから今すごく怖い。自分の中のバランスが崩れてしまいそうで、それを表現してしまったら違う人間になっちゃうんじゃないかって。
だけどその分、もの凄い作品ができるって確信もある。
自分を犠牲にっていうとカッコ良すぎるかもしれないけど、自分を救ってくれたアーティストがそうだったように、傷ついていも核心に迫って、いつ終わってもいいような覚悟で創り続けていたい。
続けるじゃなくて、続いていくが美しい。
勿論、別にそんな重たい捉え方をみんなにしてもらいたいわけではないし、ファッション的な感覚だったり気分転換やBGMでも全然いい。
それぞれの楽しみ方でいい。
だけどそこに真実を込め続ける。
まだ会えてない誰かと、自分を救いたい。
一瞬一瞬で、別の人間なんじゃないかって自分でも思うくらい気分屋なので、色々こみ上げてきた時に残しておきたくて長々と書いてしまった。
MISSINGという作品発表を通して、活動休止から復活を通して感じたことがたくさんあります。
すぐ目を背けてしまうことから、逃げたくないって思える。
俺たちはこれからどんどんカッコ良くなる。
思い出したくないことや納得いかないことはどんどん増えていくだろうけど、しっかり傷ついてカッコ良くなっていく。
それを一緒に感じて、思い出話で笑い合える。それが、今の俺にとって一番のリアル。
重たくていびつでも、そうなんだ。
そうじゃないと笑えないから。
ちゃんと向き合って、みんなと笑い合いたいなって思います。
ただいまって言って、おかえりって返ってくる。
それってこんなにあったかいんだなぁって改めて思いました。
「おかえり、SuGのこと待ってたよ」って泣きながら伝えてくれるみんなの顔を見てると、こんな俺でもステージに立ち続けていいんだなって思えます。
みんなは大勢の中のひとりって言うかもしれないけど、その声が集まると信じられないくらい大きな力になって、とてもひとりではできないことを乗り越えようって力をくれます。
ありがとう。
しばらく会えてなかったらなのか、昔よりも口下手になった気がしてます。
それとも、自分が知っている言葉だと想いを伝えきれなくなったのか。
やっぱり音楽に乗せた言葉が今の、一番のメッセージ。
MISSING
Rolling!!
0 song
そのどれもが本当に大切な作品で、これからもっともっとみんなの力で大切になっていくんだなぁって思うと嬉しくてたまらない。
いつもあえて険しい道を選んでいくタイプだけど、その分他では見れない景色がきっと見れる。
長い間待っててくれてありがとう。
こんな時代に、だれかを待ち続けたり応援できるってもの凄いことだと思います。
裏切らないバンドになります。
誰よりもカッコ良くなります。
一度バラバラになったことも、絶対無駄にしない。
前に進むことしか考えてないから、しっかりついてきてほしい。
照れくさくて、ライヴで音にのせないと伝えられないけど。
愛してます。
そして、一緒に創った作品を愛してあげてください。
いつも、これからも、ありがとう。