南米旅行記⑥ 〜パラグアイ〜 | プロテニスプレーヤー赤羽毅朗オフィシャルブログ Powered by Ameba

南米旅行記⑥ 〜パラグアイ〜

旅行記お久しぶりになりました。

前回の続き、アルゼンチンからパラグアイにフェリーで渡ったところから。



12/3(月)
・プエルトイグアス昼発 パラグアイ行きのフェリーへ
(フェリーでトラブル発生)
・夕方、次の目的地であるパラグアイのイグアス居住区(日系人の移民の街)に無事到着




税関のスタンプ押し間違いゴーバックトラブルから無事パラグアイに乗り込み、シウダー・デル・エステという町のバスターミナルへ。
まさかのここでも日本人の方とバッタリ。しかもサッカー選手で、今は南米を旅行中とのこと。(名前を聞いたのだがfacebookに同じ名前が何人もいて探せず・・・。残念。)


そしてそこからガタガタなバスに揺られること2時間、無事?お目当てのイグアス居住区(日系人の町)がある『41km地点』というバス停に到着。
       ↓


$プロテニスプレーヤー赤羽毅朗オフィシャルブログ Powered by Ameba-41km地点


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写真で見てたけどホントに何もない。笑  41km地点の目印はこのesso。




ただこのすぐ近くに宿を発見。その名も・・・・・





『ペンション園田』
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事前に電話をしてあったし、快く迎えてくれました。南米に来てから毎日必ず聞いている日本語、恋しいまでは行かなかったけどここまで意外と大変な道のりだったので、やっぱりちょっとホッとしました。
ペンション内には複数日本人旅行者も。




そしてこの日はこの地域の日本人学校へ。ここに、日本から軟式テニスを教えに来ている女の子がいるとのこと。


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イグアス居住区の日本人学校



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そしてまさかのお初・軟式テニスを体験 笑






そして夜は宿泊者みんなと日本食料理屋へ



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とんかつ定食 笑






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ペンション園田には、こんな感じで漫画本もずらり





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情報ノートという、旅人たちが書いていった色んな場所のマメ知識が載ってます。経験談のみ書かれているので、これがまた頼りになる。






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こんな感じで書いてあります





12/4(火)
・午前 シウダー・デル・エステを観光
・午後 日本人移住史料館を見学



この日はまず、ペンション園田に宿泊している世界一周旅行中の中島君(勝手に載せちゃってゴメンネ!笑 彼はまだ旅行中です。ブログもチェック!)とシウダー・デル・エステの観光に。


この町は東京の秋葉原のような超電気街で、露店もたくさん。活気に溢れてます。

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これが南米の人には不可欠なマテ茶の専用容器。観光客用に売ってるから意外と高い!





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帰りのバス内でチューペット?的なアイスを購入






パラグアイの印象としては、アルゼンチンと比べても貧しいかなと。

バスターミナルの近くには、こうしたテント(とも言えないような)のがずらりと並んでいる。

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道には大量のペットボトルが積み上げられていて、テントの中で多くの子どもたちが電気も水道もガスもない貧しい生活を強いられていた。



一方でもう一つのパラグアイの印象としては、意外と高級車が多いということ。
僕がそう感じただけなので実際は分からないけども、道を走っている車の高級車の割合がアルゼンチンよりも多いのではないかと思うほど。ベンツとか、トヨタのグレード高そうなやつとか。





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午後はペンションのオーナー園田さんに移住史料館に連れていっていただいた




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【日本人の移住の歴史について】(聞いた話をうろ覚えでメモしたので多少違うかも・・)

●1900年ちょっとにブラジルに初めて日本人の移住が始まり(今ネットで調べたところ、初の移民はハワイと書かれたりペルーと書かれたり様々。ただ、年代はおおよそ合っている)、ここパラグアイのイグアス居住区への移住は1936年頃。

●海外に移住した日本人移民は約260万人。その内一番多いのがブラジルで、約150万人。パラグアイは約7000人。内イグアス居住区には700人ほどで、パラグアイの別の地区にもっと大きい移住区がある


●移住してきた当時は上の写真のように、歩くのも困難な森林地帯で、そこを切り拓いていった


●第二次世界大戦が始まり、パラグアイは連合国側(日本の敵)についたため日本からの移民はストップし、国交も絶たれた。
終戦後、アメリカにいた移民は強制収容所に送られることもあり、ペルーやボリビアにいた移民もそれと同じ扱いを受けたという。


●パラグアイは1800年後半に三国戦争があり、13歳から大人までの男は全て戦争にかり出され、ほとんどが戦死してしまった。そのため、ここイグアス居住区には女の人がほとんどという時期もあったとか。


●戦時中死ぬのは名誉といった、日本の特攻隊と同じような感覚があったため、日本人への理解はあったようだ。移民も多くいるし。そのためパラグアイ内部では大戦後でも親日が多かった様子。




この他にももっと色々教えてくださったのだが、覚えきれず。笑  改めて学び直す必要ありと感じます。





【2日間のまとめ】

●自分が一番磨かれると感じるときは
→「日本人が自分一人しかいなく、心細い状態のとき。そしてそこを乗り越えたとき。」これが一番だなと再確認。ここまでどこかで必ず日本人に助けてもらっていたため、不安も少なかったし、その分タフさという意味では足りなかったかも。
大学4年次に3ヶ月遠征に行ったスペインでも感じたが、日本人が一人いるのと誰もいないのとでは安心度が天地ほども違う。



●今の時代に生まれたことがどれだけ幸運か
園田さんが数十年前にこの地に来たときもまだ貧しかったが、園田さんよりも前に来た移民たちはさらに貧しい生活を強いられてきた。だから、同じ移民と言っても数年差があるだけで生活環境はまるで違ったという。
史料館の写真で当時の様子を見て、あの頃に生まれていたらどれだけ不便なことか、今がどれだけ便利な時代か、それの運と感謝を凄く感じた。



●イグアス居住区の人たちは、皆とっても人柄がいい。見慣れない日本人だと分かると、挨拶をしてくれる。こちらから挨拶をすると、必ず素敵な笑顔で返してくれる。とても温かい、良い町だなと思った。たった15分町を散歩しただけで、凄く良い気分になった。

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この子たちは日本語は出来なかったが、向こうから「コンニチハー!」と声を掛けてくれた





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街中にはこんな日本語名のお店もたくさん




●ちなみに、ここの町の人たちは日本語ができる人が多いみたい。





中途半端なところですが、今日はこの辺でニコニコ


今から友人の結婚式二次会に行ってまいります!!