今日は、香川県・高松へ日帰り出張でした。
いや、“出張”というよりも、“同窓会”に近かったかな~。




集まったのは、
▼写真左から、
愛媛県
岡山県
香川県
そして徳島県から僕の4人!
3人の先輩
まずは、左から
愛媛県の老舗ナンバーワン・タウン誌『タウン情報まつやま』 の頭脳として、
長年、中四国の別冊の取りまとめや、新規事業を立ち上げ、
今は独立されて、地元でプランニング会社を経営されているクシベさん


その横は、
岡山県最大のタウン誌『タウン情報おかやま』 で、
雑誌部門のみならず、IT部門も軌道に乗せるなど、
20年以上も会社の中核として活躍されているミヤタさん

その隣は、
香川県のタウン誌『TJかがわ』 の第2代目編集長で、
初代編集長の田尾さんが口火を切った“讃岐うどんブーム”を、
しっかりと県内どころか全国に発信したあと、
現在は独立されて地元で編集事務所を経営されているサエキさん

実は、このオッサン3人とも、
僕の以前の会社であるタウン誌時代の大先輩であります。


なんせ、12年前、
僕がタウン誌業界に就職した23歳の時、
『中四国・新人研修』の講師をしていただいたのが皆さんです。

そして、
その後は、なにかにつけて可愛がってくれて、
数年後に、僕が『全国タウン情報ネットワーク』 の企画委員として選ばれたときも、この先輩達と一緒に、全国を飛び回り、熱く語りまくり、そして、各県ではしゃぎまくった(笑)いわば、タウン誌時代の“戦友”でもあります。

香川のサエキさんとは、約5年ぶり。
岡山のミヤタさんとは、約7年ぶり。
愛媛のクシベさんとは、約8年ぶり。

この3人、皆さんタウン誌・入社同期の全員43歳!!

そんな大先輩が待っている高松市内の居酒屋に、
仕事で1時間ほど遅れて到着した僕。。。。。。。
かなり緊張して、部屋に入っていったのですが、
嬉しかったのは、皆さん、昔のままのテンションでした。

岡山の小室哲哉ことミヤタさんはあいかわらず切れ者だし、
香川の“編集者の中の編集者”サエキさんはまだまだ熱いし、
愛媛の変なオッサンも相変わらずノリノリだし・・・・・・・。
当時、北は北海道から、南は沖縄まで、全国各地ににタウン誌の仲間はたくさんいましたが、やっぱり、自然と仲良くなるんですよね~、場所が近い中・四国のタウン誌同士は!!

なにより、
今はタウン誌業界を退いた方もいますが、
それぞれが、いまだに編集やデザインやプランニングを生業として、
地元で現役バリバリで活躍されていること!! う~ん、なんて熱い43歳たち!!!
あの頃、25~26歳の僕は、
“タウン誌・第3世代”と呼ばれ恐れられていた(笑)彼ら先輩たちに、
「なんとか追いつきたい!そして追い越したい!!」という気持ちで、
猛烈に編集や企画の勉強をして、彼らに引き離されないよう必死だったことを、昨日のように思い出します。



みなさん口をそろえて、
「ワイヤーのコンセプトはすごい! 原田くんこそタウン誌卒業生の出世頭だ!!」なんて、気を遣ってお世辞を言ってくれてますが、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!!!!!!! この人達が、各都市で20年もにわたり成し遂げてきたことにくらべると、僕のやってることなんて本当にまだまだです。

いや、本当に彼らに追いつきたかったんです。。。。。。
まるで、サッカー少年がロナウジーニョや、ジダンを見るような感覚に近かったかもしれません。




そうだ。
一番思い出すのは、9年前。
1998年冬JR岡山駅での出来事です。
みんなで『タウン情報ひろしま』 に会議に行って、
帰りは新幹線でJR広島駅からJR岡山駅へ帰ってきました。
その時、岡山駅のホームには、
僕の目に飛び込んできた黄色い大きな看板がありました。

その看板、
広末涼子の写真の横に書かれたコピーには、
「1999年、iモード発進!」というティーザー広告。
その時、思わず、先輩達に必死に聞きました。
「あのiモードって何ですか? なにが起こるんですか???

悔しいけど、常に情報の早い先輩達からいろいろ教えてもらいました。
※今でこそ、ケータイメールなんて小学生でも当たり前のようにやってますが、
当時は本当に頭をガツンと殴られたような衝撃があったんですよ。

先輩いわく、
「これが普及したら、タウン誌の存在意義もガラリと変わるで!」
「僕らタウン誌も、今回のドコモの動きは絶対に要チェックだよ!」
「う~ん、でも数年は首都圏だけで、地方で流行るのは時間がかかるかもね~」
「いや、逆に彼らと組めるような地方コンテンツを早急に整理するべきだ!!」
それらの会話を聞きながら、僕が覚えた興奮は今でも忘れられません。
そして翌年、
iモードのサービスがスタートすると同時に、ソッコーで契約したことを覚えています。
当時の会社では僕が一番で、アドレスなんてまだ【番号+docomo.ne.jp】のみ!!
※好きなアドレスを設定できるサービスなんて、まだまだ後からでした。

思い起こすと、あのJR岡山駅の広末の看板から、
すでに僕と、雑誌と、WEBと、地元コンテンツとの本気の挑戦は始まっていたのかもしれません。


2007年1月、
ついに1億台を突破したケータイ電話・・・・・つまり国民1人に1台。
とにもかくにも、あの日のJR岡山駅から、
僕はノンストップで、走り続けてますよ、先輩の皆さん! 
これからもガンガンいきます、今日は呼んでくれて本当にアリガトウございました!!





▼僕が前の会社を辞めるとき、

福岡の博多で送別会を開いてくれたクールだけど優しい岡山のミヤタさん。
ミヤタさんと



▼う~ん、どうしても四国同士はノリがこうなっちゃう(笑)、愛媛のクシベさん。

お子さんも小さいので、ワイヤー愛媛50冊買ってくれるとのこと♪
クッシーと



▼同じ四国でも、なぜか熱い仕事の話になってしまう、香川のサエキさん。

昔のエディターと、今のエディターの違いについて暑苦しく語っています!
サエキさんと




これから数年経っても、

彼ら先輩達に“ちゃんと会える存在”であり続けたいと心から思いました。判たけぴ