帰ってきたら、徳島の仕事がてんぱってたので(V^-°)
パパッとご紹介しますね、京都出張の業務の合間に行った観光地。



まぁ、まるで修学旅行生のようなベタベタコースですが。






▼いわゆる、清水の舞台が見えます。そうです、清水寺です。


きよきよ




そして、小学校の修学旅行以来なんで、
22年ぶりに行ったこの“音羽の水” ですが、、、、、
みずみず


この音羽の水は、
向かって左が学問成就の水、
真ん中が恋愛成就の水、右が延命長寿の水。
どれかひとつだけ選んでひとくちだけお飲むと御利益があると言われている水。



22年前はこれは無かったぞ!



▼水をくむシャクシを殺菌する機械。いや~時代の流れを感じます。
みずくみ



それと、清水寺でビックリしたのは『胎内めぐり』というアトラクション(?)。


これ、内容を詳しく書くと、ネタバレしてこれから行く人の楽しみが減るので解説は控えますが、

カキコミで教えてくれた“のりちゃん”、ありがとー! メチャ怖かったけど、メチャ良かったですよ!!







▼こちらは銀閣寺。
ぎんぎん


ま、銀閣寺に銀箔が使われてないのは有名な話ですが、
銀閣寺という名前も通称で、正式には慈照寺(じしょうじ)。



キンピカ派手派手の金閣寺を代表とする北山文化よりも、
今では銀閣の東山チックなほうが好きです、これも22年前とは大違い。






そして!!

どうしても行ってみたかった京都の名所。


今日、初めて行ったのはココ↓






二条城ですよ! 二条城!!
にじょーじょー


そうです!
ラスト将軍・徳川慶喜が、家老を集めて大政奉還を決意した場所でもあり、薩摩藩との衝突を避けるために、大阪城へ向かった慶喜の命を受けて、その後をあの新選組が守って、幕府側の超エリート軍団・水戸藩士と対等に渡り合った場所でもある。



いや~。
城内はホントに圧巻です。
大広間の襖絵や、武家書風の書院造りなど、見所はたくさんあって、そりゃ“世界遺産”も当然でしょう。

しかし、
どうしても幕末好きにとっては、その造りや庭園の美をさしおいてもよりも感慨深かった想いがある。


1867年11月9日------
260年もの長期にわたり続いた徳川幕府を、今、慶喜が勇気もって終わらせるという決断をくだすか?くださないか???
その結果を二条城の外で、ハラハラしながら待っていた坂本龍馬や中岡慎太郎の心境を、ほんのちょっとですが垣間見れたような気がしました。


「やはり戦となるしかないがか、この国は・・・・・・・・・・・・・・
慶喜~~~っ、己を捨て、徳川を超え、日本を考える男であってくれ~~~!!


「大樹公(将軍)、政権を朝廷に帰するの号命を示せり・・・・・・・・・
坂本さん、ついに幕府の野郎をぶっ倒したがですね!! 坂本さんが!!!」


「よくぞ、よくぞ決心くだされた。身を切る思いの決断であられたじゃろう、よくぞ・・・・・・。
日本はこの回天の時期に、家茂公・慶喜公という二人の素晴らしき将軍を持った!!
このご決断に今度はこっちが答える番じゃ!!
将軍慶喜を決して敗軍の将として陥れてはならん!!
革命の功績者として、救い上げにゃならん!!
徳川家康から270年・・・・・・・・・・・・・
15代と続いた徳川の天下を終わらせる・・・・・
さぞや悔しく断腸の思いであったろう。
それも周りの強い反対を押しのけて、孤独な決断を、どんなに孤独であったろう、今も・・・・・・・・・・・」
『おーい!龍馬22巻より』


・・・・・あ、書いてて涙出てきそうなので、このへんでやめます。

てゆーか、
清水寺とか北山文化に比べて、幕末の話になるとえらい温度が変わるというわかりやすさですね、ホント(; ̄ー ̄A





いや、でも今回の京都は、
業務も意義があっておもしろかったのですが、
それらの合間で訪れたいたるところで、ワイヤーに関するかなり新規のアイデアがばんばん浮かんでくれた。



それは、幕末系以外の部分で・・・・・

たとえば、



▼禅宗臨済宗の総本山である南禅寺の翠深き苔庭や
なんなん


▼国宝・三十三間堂の本堂や千住観音像・・・・・・・・・・・・・
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やっぱり日本人です、当然ながら。改めて。そして、ありがとう先人たち。


ワイヤーファンのみなさま。
これら神聖なる地で注入されたアイデアを近いうちに、そうですね、おそくとも清水寺の桜が咲き誇るくらいまでには公開できるよう進めます。まずはお楽しみに判たけぴ