萩の町は日本海側で、秋でも冷え込むらしいですが、バスを降りるとポカポカでしたオレンジ






おっと、よーけ書かなあかんことあるけん、パパッといくわな。





いや~ホンマに役得ですわtakepi



萩の町をプロの解説付きで廻れたのですから!!





▼地元の吉田松陰研究の大家・児玉さんが、

「へぇ」連発の松陰関連トリビアを盛り込んでいろいろ巡ってくれました!!

吉田稔

↑吉田松陰の門下生・四天王のひとりで、

池田屋襲撃で新選組に殺られた吉田稔麿の誕生地で弁をふるう児玉さんの図。


それにしても、しょっぱなから吉田稔麿って、、、マニアは感涙もの。。。。。。。





▼サブキャラ(ゴメン、稔麿!!)の解説ですらかなりのヒートアップなので、

も~『松陰神社』に入るやいなや、、、、、、聞いてるこっちもすでに泣きそうですtakepi3

しょーいんじんじゃ

↑萩の人にとって、吉田松陰がどれだけ“重い”か、想像以上でした。




そして。




▼ついに来てしまいました『松下村塾』。しかもココは講義室です。

講義室




▼奥に松陰さんをバックに撮ったのですが、心なしか背後からパワーを感じまくりでしたよ。

せんせーまえ

↑これ写真加工じゃないぞ!!!!!! いわゆる“逆光”やぞ(笑)。





次に。




▼一度は参拝してみたかった『東光寺』へ。

東光寺




ここは、長州の殿様・毛利家の藩主がズラリと眠っているのですが、

それよりも幕末好きにとっては深い意味があります。。。。。






▼木魚の元祖となった、ホンモノ木魚がある!!

もくぎょ



・・・・・・ぢゃなくて、

『禁門の変』の大敗退で責任を取らされ、腹を切らされた長州藩士たちが一堂に眠っているのです。


中には、責任もないのに、藩のメンツのため自害した者も。。。。悲劇です。合掌。





んで、その禁門の変に大反対して、

門下生双璧のひとり・久坂玄端たちを止めたのが、高杉晋作なのですが、、、、、、、






いや~。


▼行ってきましたよ、晋作の実家ですtakepitakepitakepi

しんさくんち



本当は次の日にゆっくり行こうと思ってたんですが、我慢できずに(笑)。


解説の児玉さんと別れて、地図を片手にたどりつきました。





でも、晋作の実家といっても、今はフツーに今の持ち主が住んでらっしゃるので、

11月からは4時には閉まるんですよ。う~知らなんだ。。。。。4時かなり過ぎてるし。。。。。。。

でも、開けてくれました。イエイ!!!!!





▼晋作風呂。あ、「東行」とは晋作の別名です。晋作が憧れた室町時代の僧侶・西行にかけた名前。

初湯


▼居間でツーショット!

しんさくしょっと

↑晋作の家は広かった。噂通り、ええとこの子でした!!





おっと、

吉田松陰と、高杉晋作といえば、

旧松本村の団子岩と呼ばれる風光明媚な高台に、

二人の墓があります。もちろんお参りに行ってきました。




▼前に松陰、後ろに晋作、右手には久坂、左手に吉田稔麿・・・・・圧巻です。

せんせーぼち




ここから徒歩30秒くらいの、これまた風光明媚な場所に、

松陰が生まれた家の跡地がありました。




今は家もなくただの空き地になってましたが、

畳8畳あるかないかの本当に小さな小さな家でした。





その場所から萩の町を眺めてみました。






▼萩の町が一望でき、向こうには日本海。今は無き萩城も見えたでしょう。

はぎのまち




松陰の言葉。

「飛耳長目」がふと脳裏をかすめました。





日本全国を飛び回り、見聞を深め、

地元では、武士も百姓も関係なく、青年達を平等に指導。


この高台から、松陰は未来の日本のことを考えていたのでしょうか・・・・・。







ペリーが乗ってきた黒船を見て、

ほとんどの日本人がビビッてパニックになっているところ、

「ワシも乗せくれ~」と、英語もしゃべれないのに、小さな手漕ぎボートで乗り込むムチャな行動力。



まぁ、結局はそれがきっかけで「こんな危険なヤツは生かしておくのはヤバイ」と幕府によって打ち首にされるのですが、

外国を敵視していた他のほとんどの志士たちとは違い、

「なんとかしてあの技術力を学びたい!そして今の日本をなんとかしたい!!」と思えること自体が、クレイジーなのかもしれませんね。



クレイジーといえば、

よく、高杉晋作こそがクレイジーの代表っぽく言われますが、師匠の松陰に比べたら、晋作なんてメチャメチャ常識人に思えてなりません。



最期まで、ちゃんと親父の気持ちを大事にし、日本のため・・・というより長州のために動いた晋作に対し、

親の心配をよそに日本中を駆け回るわ、長州を飛び越えた日本という視点で動くわ、、、、、、松陰こそクレイジーの祖だ。







しかし、そんな松陰ですが、ムリヤリに自分を狂気に追い込んでいたんやろなぁ・・・と思わせる句があります。







まずは2つの句を読んでください。

この(一)(二)は、どっちかというとクレイジー松陰です。



一、今日よりぞ 幼心を うち捨てて 

            人と成りにし 道を踏めかし 


【意味】 今までずっと親にすがって甘えてばかりだったけど、今日からは人としてちゃんと生きていくぞ!!





二、世の人は よしあしごとも いわばいえ 

            賤(しず)が誠は 神ぞ知るらん


【意味】 世間は俺のことを悪いやつという人もいるだろうが勝手にどうぞ。私の信念は神様ならわかってくれていると思う。






なんか、ムリヤリ自分を奮い立たせてる感が否めません。。。。。

本当にクレイジーなら、こんな言い訳っぽいことを言う必要もないですしね。

このへんは、坂本龍馬も同様の句を残してますね。きっと彼も遠くから松陰の影響を受けたのでは???




さて、それらに対し、

本当の人間・松陰を感じられるのはこの(三)だと、僕は思います。

ちなみに、下の句にある「けふの音づれ」とは「松陰が処刑されるという知らせ」です。



三、親思ふ こころにまさる 親ごごろ 

              けふの音づれ 何ときくらん


【意味】 子供が親を思う心よりも、親が子供を思う心の方が絶対に勝っている。

それなのに、今から処刑される子供の便りを、どんな心境で聞くのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




こんな息子で本当にゴメンな。。。。。。。



ワイヤー読者のママなら、この気持ちは痛いほどわかるのではいでしょうか。。。。。



この句を読んだあと、松陰は29歳という若さで世を去りました。









さて、明日は晋作についてです赤たけぴ赤たけぴ赤たけぴ