ワタクシ趣味は仕事と読書ですので、

毎月2~3万円くらい本や雑誌に費やしているのですが、

そのほとんどが仕事関係のビジネス書か、広告関係、デザイン関係、IT関係ばかり。






しかし・・・・・・・・・・



歴史書だけはまた別モノ。





そんでもって今月の『歴史街道』ですが・・・・・・・









▼こりゃ、買わなしゃーないわメラメラ ある意味ヒキョーやわ。。。。。

かわな





最も好きな幕末という時代を駆け抜けた日本人の中で、

一番、共感できるのは、同じ四国の龍馬でもなければ(龍馬は志士ではないです。メチャ器用なビジネスマンです)、

勝海舟でも新選組でもなく、それは紛れもなく長州藩の風雲児・高杉晋作である。







晋作といえば、

彼が農民から相撲取りまでシロート集団を組織化した“騎兵隊”や、

歴史教科書にも出てくる“イギリス公使館焼き討ち”、

はたまたイキに三味線で弾き語った数々の都々逸などが有名であるが、

僕が大好きなエピソードが、馬関戦争の講話談判のおける“超ハッタリ”である。




馬関戦争とは、詳しく書くと長くなってしまうのですが、ココ にメチャ解りやすく説明してくれてました。


てゆーか、この山口県教育委員会のふるさと学習コンテンツ『知っちょる!?やまぐち』って、

メチャメチャわかりやすいサイトで驚きました。 → http://www.ysn21.jp/furusato/main.html





んで、まぁ簡単に言うと、

今から150年くらい前に

山口県(長州藩)は、もーヤケクソな戦争をしたことがあったんですよ。


なんせ、

アメリカ&イギリス&オランダ&フランス

vs

山口県

やからね、今の北朝鮮どころじゃないヤケクソ具合ですよ(当然そこまで追い込まれる背景もあったのですが)。



そんで、当然のごとく、ボッロボロにやられますわ、山口県。


ほなって、敵の軍艦まで大砲が届かないんですから、向こうからはガンガン打ち込まれるのに・・・・・。



で、結局、戦争も終わって、この4カ国と山口県との間で、戦後交渉に入ったわけですわ。



イギリスを筆頭とした4カ国は、そりゃもー上からガンガンもの言うてきますわな。戦勝国なんですから。



山口県としては、誰もおらんわけですよ、彼ら強気なガイジンと、真っ向に渡り合える人材が。。。。。。。



んで、この時、高杉晋作は何をしてたかというと、まぁ山ごもりですわ、上司から謹慎させられとったんですよ。



でも上司は勝手なヤツで、

「こんな状況でなんとかできるのは、腹立つけど晋作しかおらんわ・・・・・。

謹慎といてやって、すぐに交渉に行かせて!!」みたいなのりですわ。



晋作にしてもたまりまへんわな。



いままで山に閉じこめられとって、自分の関わりない戦争、、、それも自分だったら絶対に反対しているような無茶な戦争に負けといて、あとの交渉はおまえに任せたでぇ~とか言われても。。。。。



でも、晋作は山口県のために立ち上がったんですわ。愚痴一つ言わず(いや実際には言うたかもしれんけど)。




イギリス代表のオッサンはこんな要求をしてきました。


「賠償金を300万ドル払えや、ゴルァアアアアア( ̄へ  ̄ 凸」


あと、こんな要求もしてきました。


「オマエんとこの“彦島”という島をワシらに差し出せや、ゴルァアアアアアア(-_-メ」




そのとき、晋作はどうやって対応したかというと・・・・・・



まぁ一言でいうと、


前者の要求には“屁理屈”で対応。

後者の要求には“ハッタリ”で対応。



もー、それがなんつーか痛快というか、

晋作だからこそ可能な、“酔狂”や“粋”すら感じてしまいます。



ま、顛末を全部書いてもしゃーないので、

▼興味ある方、詳しくは読んでみてね。

しゃーない




どっちにしても、

完全に敗戦国である山口県側が、当然不利な条件ばかりなのに、

敵国の通訳に「まるで魔王である」とまで言われた晋作の迫力と気概のおかげで、

彦島を他国に貸し出すことから奇跡的に免れ、それこそ日本の香港とならずに済んだのです。


きっと、今の日本地図、変わってると思います。あの時、晋作が出て行ってなければ。。。。。。




そして、

そのときの晋作の年齢は、、、、、、26歳。。。



その後、結核に倒れ命を落としたのが29歳。。。。。。




蛇足ながら、

龍馬が寺田屋で襲われたとき使用したピストルこそは、高杉晋作が龍馬に贈った物であります。










・・・・・・・・・・・・・・・おっと、

書き始めると止まらなくなってしまいそうです(これくらい仕事の筆も進めば・・・)。




ありがたいことに、「願えば叶う」で、この5年間やって来まして、

この秋に、仕事で山口県萩に行けることになりました。

そこでは、晋作や吉田松陰や久坂玄端ゆかりの地を巡ることができるらしいです。


観光じゃなくて、仕事で、というのが本当にありがたい話で、




さぁ、長州とくれば、次は薩摩かぁ????? 


もちろん、行くからには観光では行きません。絶対に仕事として行きます。


願えば必ず叶うのであります!!



それを来年あたりにはご覧入れましょう。





・・・にしても、アベさんなら少しは“魔王な外交”をしてくれるだろうか。。。。。