なんと、33歳にして新しい親戚が見つかりました!
33年間まったく知らなかったけど、
実は近い親戚だった!!という方にお会いしたのです。
それもまた、
徳島市内でメチャメチャ有名な料理店を経営している方だった。
まぁ、親戚をヒイキするのは嫌なんで、店名は出しませんが(笑)、
僕の亡き母のこととか、母の父(爺ちゃん)のこととか、思い出話に花が咲いた。
なにより一番嬉しかったのが、
その喋り方や、笑い方や、話しするときの身振り手振りや、ちょっとしたクセなどが、母そっくりなのである。
18年ぶりに見た。こんな近くにあった母の面影。。。。。。。。
ふと突然、東南アジアに行きたくなった。
なんで急に???
母の話はおいといて、
大正15年生まれのうちの父は太平洋戦争に行った。
お爺さんや曾爺さんが戦争に行ったという同世代は多いが、
親父が戦争経験のある若い世代はほとんどいない。
父はたまたま生きて帰ってきたのだが、
父の兄弟(つまり僕の伯父)は、戦地で命を落とした。
奇跡的に生還した別の兄の片腕は、途中で切れている。
子供ながらに、その切れた腕を見るたび戦争のおぞましさを実感したものだ。
ところで、
伯父が命を落としたのはどこだろうか・・・・・・・・・・
シンガポールか、
インパールへの陸路か、
硫黄島か、
それとも戦艦大和か、、、、、、、、、、、、
伯父たちがどこの部隊に配属されていたのか調べればある程度の最期の地はわかると思う。
超高齢出産の父母だったので、必然と僕の親戚たちは毎年のように死んでいっている。
そんな中、
最も近い親等である伯父の最期の地を見に行く意味はあるような気がしてならない。
60年以上も経ってからこんなこと思うのも、伯父に申し訳ないが。。。。。