ロサンゼルスオリンピック集って、
もっと字がいっぱいと思って
期待してたのにぃ。
ただの新聞スクラップじゃないですか~
的なご意見を読者様からいただいた。
大目に見てよ~。
小学生やっちゅうねん!!
つーか、あれこそが本来の“編集”でっせ~。
ほな、しゃーないなぁ。
これ見せちゃいますわ。
実家から持ってきた段ボールに
入ってた高校時代の記念校誌。
わしがクラスを代表して
修学旅行のこと長々と書いてました。
※今読むと変な文章ですが
敢えて原文のまま掲載します。
古い表現が多々入ってますが、
なんせ15年前・・・ご了承ください。
平成2年3月5日発行
徳島県立阿波高校
校誌『粟』第10号より
東京に触れてみて
27HR 原田剛
二十四時間戦えますか?
花の大東京での一日をそっくりくれてやるという「自由行動」の日が修学旅行三日目にして、ついにやって来た。
その朝、ホテルから新宿駅へ向かう僕たちの足元には、右足に期待の、左足に不安の靴をそれぞれはいていました。
僕たちのグループ(計五名)がたどったルートを簡単に紹介します。
新宿 → 原宿 → 表参道 → 浅草 → 上野 → 東京タワー → 恵比寿 → 池袋の夜 → 新宿。
歩いて走って、走って歩いて、地下鉄、電車、バス。
二十四時間戦えません。
笑っていたのも最初のうちだけ。後半からは気力だけで歩いていたような気がします。しかし何処へ行っても、そこには新鮮な発見が待ちかまえていました。
新宿副都心、ビルの森・人の海に圧倒されたかと思うと、浅草、下町の人間味あふれる雰囲気に、また違った東京の顔を見たような気がします。
大都会の大空に一番近い地点---東京タワーからみた風景には、足の疲れを一瞬忘れさせるような国際都市東京の躍動感を感じました。
駅などは、それ自体でひとつの街を成しているように思われ、かといって意外と地下鉄は混雑してなくて、JR徳島駅の方がよっぽど席を獲得するのが困難なくらい。
外国人が多いのも流石TOKYO。
ホテルのエレベーターの中。東京人の言葉は聞きづらいなぁと思いながら、耳を傾けていると、周りはみんな中国人だったということは今でも克明に覚えています。
他に一日、東京を歩いて気づいたことは、みんな歩くのが速い、ということです。
まさに「時間との競争」で、全く他人同士の集団が同じ方向にゾロゾロと移動していくのには、近づき難い何かがあった。これが都会のスピードか。
「東京の人は冷たい」
よく耳にする言葉だ。
現に東京に一日触れてみて自分もそう感じた。
けれども、あの寒い街の中では、ある程度、沈着冷静な心がなければ生きていけないのではないだろうか。
結局、日本中で最も田舎者が集まっている街が東京と言われ、都会の色に染められることを夢見る若者が、ここで生きてみて初めて、故郷の暖かさを知る街ではないだろうか。
僕の町から上京した人が今この街で一生懸命働いているかもしれない。
僕の町の代表者が、今この街で自分の力を試しているのかもしれない。
東京は、かえってすばらしい空間だと思う。
自分は、もう二度とこの街の空を眺めることは無いかもしれない。
しかし、高層ビルの谷間の、ちっぽけな公園で子供のようにはしゃぎながらキャッチボールをしていたサラリーマンの笑顔を一生忘れることはないだろう僕は。
つーか、
そんな笑顔
忘れてたよ俺は。
もっと字がいっぱいと思って
期待してたのにぃ。
ただの新聞スクラップじゃないですか~
的なご意見を読者様からいただいた。
大目に見てよ~。
小学生やっちゅうねん!!
つーか、あれこそが本来の“編集”でっせ~。
ほな、しゃーないなぁ。
これ見せちゃいますわ。
実家から持ってきた段ボールに
入ってた高校時代の記念校誌。
わしがクラスを代表して
修学旅行のこと長々と書いてました。
※今読むと変な文章ですが
敢えて原文のまま掲載します。
古い表現が多々入ってますが、
なんせ15年前・・・ご了承ください。
平成2年3月5日発行
徳島県立阿波高校
校誌『粟』第10号より
東京に触れてみて
27HR 原田剛
二十四時間戦えますか?
花の大東京での一日をそっくりくれてやるという「自由行動」の日が修学旅行三日目にして、ついにやって来た。
その朝、ホテルから新宿駅へ向かう僕たちの足元には、右足に期待の、左足に不安の靴をそれぞれはいていました。
僕たちのグループ(計五名)がたどったルートを簡単に紹介します。
新宿 → 原宿 → 表参道 → 浅草 → 上野 → 東京タワー → 恵比寿 → 池袋の夜 → 新宿。
歩いて走って、走って歩いて、地下鉄、電車、バス。
二十四時間戦えません。
笑っていたのも最初のうちだけ。後半からは気力だけで歩いていたような気がします。しかし何処へ行っても、そこには新鮮な発見が待ちかまえていました。
新宿副都心、ビルの森・人の海に圧倒されたかと思うと、浅草、下町の人間味あふれる雰囲気に、また違った東京の顔を見たような気がします。
大都会の大空に一番近い地点---東京タワーからみた風景には、足の疲れを一瞬忘れさせるような国際都市東京の躍動感を感じました。
駅などは、それ自体でひとつの街を成しているように思われ、かといって意外と地下鉄は混雑してなくて、JR徳島駅の方がよっぽど席を獲得するのが困難なくらい。
外国人が多いのも流石TOKYO。
ホテルのエレベーターの中。東京人の言葉は聞きづらいなぁと思いながら、耳を傾けていると、周りはみんな中国人だったということは今でも克明に覚えています。
他に一日、東京を歩いて気づいたことは、みんな歩くのが速い、ということです。
まさに「時間との競争」で、全く他人同士の集団が同じ方向にゾロゾロと移動していくのには、近づき難い何かがあった。これが都会のスピードか。
「東京の人は冷たい」
よく耳にする言葉だ。
現に東京に一日触れてみて自分もそう感じた。
けれども、あの寒い街の中では、ある程度、沈着冷静な心がなければ生きていけないのではないだろうか。
結局、日本中で最も田舎者が集まっている街が東京と言われ、都会の色に染められることを夢見る若者が、ここで生きてみて初めて、故郷の暖かさを知る街ではないだろうか。
僕の町から上京した人が今この街で一生懸命働いているかもしれない。
僕の町の代表者が、今この街で自分の力を試しているのかもしれない。
東京は、かえってすばらしい空間だと思う。
自分は、もう二度とこの街の空を眺めることは無いかもしれない。
しかし、高層ビルの谷間の、ちっぽけな公園で子供のようにはしゃぎながらキャッチボールをしていたサラリーマンの笑顔を一生忘れることはないだろう僕は。
つーか、
そんな笑顔
忘れてたよ俺は。