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読者のママさんからショックなメールが届いていた。
「今月号のワイヤー買いました。いつも一番に社長さんのエッセイのページから読んでいますよ。そこに、ケータイからも社長のウエブ日記が見れるようになったと書いてたのでさっそく見てみました(パソコンは会社でしか見れないんです) 日記でも毒を吐いてらっしゃると書いていたにもかかわらず、とっても真面目でちゃんとしたことしか書いてらっさらなかったのでちょっとショックでした。もちろん真面目なのもいいんですが、私は社長のエッセイでの毒が好きなので、もしよかったら日記でもたまにはヨロシクお願いします。」
ヒーン(泣)。
ホンマじゃ。今月号の33ページには思いっきりこう書かれていた。
「ケータイからも、たけぴの日記が見れるようになりました。
こっちは毎日毒吐いてまっせ~!!」
スイマセンでした、吉野川市のCさん。
実は雑誌でエッセイを書いているのは【毒たけぴ】というヤツなんです。
でもこの日記を書いているのは【善たけぴ】というヤツです。
なんかカッコイイこと書いて女の子の同情を買って、あわよくば女子大生のメル友でもできんかな~とか思慮深いこと考えてた自分を思いっきり反省しました。
今日は日記にも【毒たけぴ】を登場させます。
武藤敬司とグレートムタのような関係だと思ってください・・・て、よけわかりにくいですね。
ということで最近、かなり深く思った出来事が続いてたのだけど、わざわざ書くこともないかなと思ってましたが、敢えて書くことにします。
僕はなかなか年相応に見られないので、
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、
クライアントさんはよく僕のことを「クン」付けで呼んでくれる(これは実は嬉しい!)。
でもやっぱり「さん」付けで呼ばれることも多くて、
メチャ年上の先輩経営者さんから、
「さん」付けとか「社長」なんて呼ばれると、こんなワカゾーに申し訳ないなぁとも思う。
しかし、中には
逆にまだ20歳そこそこなのに、
俺のことを「クン」付けで呼ぶ起業家のタマゴもいる。
きっと彼女は、周りの先輩経営者たちが僕のことをクン付けで呼んでいるを見て、
ちょっと背伸びしたい気持ちと、「ワタシは周りの先輩と同じ立場なのよ~」という優越感を楽しんでいるのだろう。
まぁ、若い娘にクン付けで呼ばれても、それはそれでアリかな~とも思うのだけど、一番思うのはその子を見ていると、かわいそ~だなぁということである。
なぜなら、一回りも年上の経営者を彼女が「クン」で呼んでいるところを見て、きっと周りの人たちは彼女のことを無礼で生意気な子だと認識しているからである。
もっというと、そういう社会的常識心の欠けたこの子には、大きな仕事は任せられないわ・・・と思われているに違いないのである。
そしてもう一人。
俺に面会したいということで、時間を取って会いに行った経営者のタマゴな若者がいたのだが、まだ20代中盤の彼は、僕を見るなり開口一番こう言った。
メチャやり手っすねぇ!!
はぁ、こいつもカワイソーなやっちゃな~と思った。
まずは名刺出して挨拶が普通である。
そして、まずは自己紹介が当然である。
しかし、そんなのをすっ飛ばして、ため口で「メチャやり手っすねぇ」ときた。。。。。
いや、ここで誤解しないで欲しいのだけど、
今あげたこの2人の若者のことは嫌いではない。
二人とも普段から小生意気でギラギラしてて挑戦的でプライドが高いやっちゃけど、
嫌いどころか、俺は大好きである。
でも、だからこそシンパイなのだ。
なぜなら、かくいう僕が20代の頃
こいつらみたいに、ごっつい世間知らずで、ごっつい礼儀知らずで、ごっつい我が道を行くタイプの小僧だったからである。
そして、そのお陰で僕は、いろんな失敗を繰り返し、いろんな人を傷つけたりを繰り返してきたのである。
たまたま奇跡的にまだ今も(この業界で)活動できてはいるが、
これは本当に周りの人たちが助けてくれたというラッキーなだけである。
だから、若き2人のとんがった同志よ。
キミらの歩むべき道は、間違いなくイバラの道になるだろう。
お前ら今からはい上がるのしんどいぞ。
どいやらしいオッサンやオバハンに、つぶされるかもしれんぞ。
とくにこの町は、閉鎖的で保守的だから、キミらみたいな人種は生きにくいぞ。
だからこそ、どうか若き2人の同志よ。
そのままで行くなら行くで突っ走るのもいい。
しかし絶対にどんな壁があっても潰れないで欲しい。
どんな障害が現れても這い蹲ってでも前進して欲しい。
そして、そういう資格を有していると俺は確信している。
なぜならキミら2人には、
我々のような連中のたった一つの武器である
“ベンチャー魂”
コイツが、間違いなく備わっているからである。
ベンチャーには、いろんなアナリストによって定義が異なるが、俺がここで使っているベンチャーとは読んで字のごとく「今までその土地や場所に無かった商品やサービスや価値観を創世する“冒険”心」だと思ってくれ。だから、狭義のベンチャー企業の意味とはちょっと違うぞ。
そして、ここで言う
ベンチャー魂とは、俺の勝手な解釈で申し訳ないけど、
0 を 1 にするチカラだと思ってくれ。
君たちはジャンルは違えど、この徳島で何もないところから頑張って商品やサービスを創り上げた。
その若きセンスと行動力は、オッサンが束になっても敵わない才能だろう。
キミらは決してまだ企業ではないが、
われわれと同じベンチャー(企業)であると勝手に認識している。
まったくゼロのところから、新しい価値観を生み出したベンチャーなのだ。
0 から 1 をつくりあげたのだ。
この無から有を生んだときの苦労と涙と汗・・・ベンチャー魂を、
どうか、若き同志よ、ずっと忘れず持ち続けていて欲しい。
ただし誤解はするな。
0 から 1 にしたわれわれベンチャーがスゴイのかというと、
そんなことはまったくない。
今も存続する大企業や老舗企業は
われわれが1だとすると、
100の規模である。
つまり、単純計算で俺らの100倍は大変なのだ。
動く金も100倍、人材への配慮も100倍、社会的メンツも我々の100倍あるのである。
俺らなんて、しょせん甘チャンなのだ。
100を200にし、300にしてゆくほうが
よほど大変な作業である。
つまり、われわれは彼らの1/100くらい甘ったるい生活をダラダラと送らせていただいているのだ。
それを忘れるな。
しかし若き同志よ。
俺らには、彼らが逆立ちしても(今では)手に入れられないチカラが備わっていることも忘れるな。
0 を 1 にしたことのパワーであり、根性であり、不屈の魂である。
人は“動かない”ことの方が楽だから、常に“評論家”の道を選ぼうとする。
「○○会社のやっていることは私だったらこうするのになぁ」
「僕が○○社長だったらこんな企画をさせるのにぃ」
「○○という商品はきっとダサイので流行らないって」
「僕だったら、○○のサービスはこうするのにもったいない」
こいつらは、
0 を 0にしかできない。
なぜなら、自分は動かずに評論するだけの方が楽だから。
そのうえ、なんか知ったかぶってるみたいで気持ちええから。
でも一生 0 でしかない。
でもお前らは違う。
お前らの道が正しいかどうかはワシにはわからんが、
少なくともお前らは
0 を 1 にした。
おなじ「プラス1」でも
0 から 1と
1 から 2では、その重みはまったく違う。
0 から 1が楽だったら、どれだけ世の中から評論家が減るか・・・。
そして、きっとキミたちのチカラをピュアに活かすことができれば、
その1が2になり、そして 5になり 10になってゆくはずだ。
しかし、
0 を 1 にしたときの気持ちだけは、一生忘れないで欲しい。
仮にキミの努力が報われて10になり50になり、
そして100になったときは、
キミも大企業の仲間入りだ。オメデトウ!
しかしその時にも、0 から 1 の時代を忘れないで欲しい。
100を101にすることばかり躍起になり、
不正や不祥事を引き起こす大企業が跡を絶たないではないか。。。。
若き同志よ、
見てみよ、ソニーという企業を。
彼らは100どころか100000くらいになっているにも関わらず、
0 を 1 にした時の気持ちを今でも忘れず我々を驚かせてくれる。
若き同志よ、
見てみよ、松下という企業を。
彼らは 0の時代の創業者の魂を、1000000になっても
持ち続け我々の生活を支え続けてくれる。
世にあるすべての企業は、
創業当初は 0 を 1 にしたベンチャーだったのである。
それとここで、この日記を読んでくれている読者のママさんへ。
今日はホンマにスンマヘン。
先に言うときますけど、今日はこのあとでオチも何もないですから、
「今日の社長うっとーしーなー」と思われた方は、しょうすけノホホン日記を読んでやってください。この前「僕の日記だけ人気無いような気がする」と凹んでたので、「ほんなことないわよ、しょうすけさんの日記を毎日見てる隠れファンけっこうおるでよ」とテキトーなこと言うときましたから、ぜひ見たってください。
僕の今日の日記は、ホンマにオチはゼロですからね!!!!!!
ほなけどムリヤリかもしれませんが言わせてください。
貴方の子育てにも当てはまりませんか?
大きく成長した子どもに対し、いろんな思いが交錯するなか、
どうか
0から1にしたとき・・・つまり
貴方のお子さんが生まれた日のことを忘れないでいただきたい。
貴方のお子さんが、
貴方を選んでくれた瞬間のことを、どうか忘れないでいただきたい。
スンマセン、エラソーで。。。。。。
しかしこのように、わいの言うベンチャー魂とは、
会社だけに当てはまるものではないと思う。
何か新しいものを開発する新規プロジェクトチーム。
何か新しい商品を作り出すショップや工場。
何か新しいサービスに挑戦しようとしている部署。
何か新しい人間を育てようとしている人間。
世にあるすべての 0 を 1 にする人が持っていないといけないものだと思う。
「初心忘るべからず」・・・とは意味というよりも観点が違うのである。
そして若き2人の同志よ。
なんべんも言うけど、きっとそのままでは苦労するだろう。
俺もそうだったから間違いない。
けど、それでいくのなら覚悟は決めなさい。
とにかく悩め、落ち込め、悲しめ、自己嫌悪に陥れ、眠れぬ夜に噎び泣け!!
でも最後には必ず復活してくれ。
君らみたいにとんがってた若者が、
つぶされ消えてゆく姿など俺は見たくない。
君らみたいに勝ち気満々の若者が、
世間に変えられ夢を捨て去る姿を俺は見たくはないのだ。
そのためなら、
このオッサンがいつでもチカラになろう。
若手が育たずして、なにが地方の時代だ。
そのためなら、
この外道がいつでも協力しよう。
こんなウンコのようなオッサンでよければ、
いつでも頼ってくれ。
若いチカラを潰すことの、どこが世代交代だ。
逆に、いくら若くても中途半端に完成しちゃってるような大人びたヤツには、
どれだけ巧言令色使われてもチカラなんか貸さねー(まぁそいつらの方から俺なんかお断りだろーけど)。
まして、夢も持たずテキトーに“ゆる~く”生きることがカッコイイなんて風潮になりつつもあるが、そんなやつら俺は認めねー。
「頑張る」という言葉はカッコワルイか?
はー、どうせスマートな生き方じゃないでしょーよ。
今冷静になって気づいてちょっと凹んだけど、そりゃこんなこと言よるオッサン、
女子にもてんわだ。今一番、流行りに乗ってないわだ。反エグザイルやわだ。
ほなけどな、俺は「ガムシャラ」とか「ムガムチュウ」とか「ハリキル」とか「シャカリキ」とかいう言葉、ぜってーに死語にはさせんぞ。いや、「シャカリキ」は死語やけど、ほんな細かいことええでないかだ。
だから若き同志よ、
こんなウンコに頼るのが嫌なら別にええぞ。
ほなけど、それだったら約束してくれ。
絶対に消えるな!!!!!!!!!!!!
3年後5年後、町で会ったときに
「お前クソ生意気やけど、がんばっとるなぁ」と声をかけさせてくれ。
逆に、3年後5年後、何をしてるのか消息不明とか、
町で会っても俺に合わせる顔がなくて避けてしまう・・・なんてことだけはやめてくれ。わしお前のこと追いかけてでもはり倒すぞ。
なんなら3年後5年後に
「アンタをとっくに抜いちゃいました~!」とヘラヘラ笑ってくれ。
まーお前らに負けるつもりはないけどよ。
もっかい言うぞ、若き同志よ。
とにかく消えるな。
変な大人の言い訳を身につけて自己防衛と、夢のすり替えをはき違えて、
しょーもない経営者にはなるなよ!!!!!!!
もしそうなるのなら、
今のうちにベンチャー魂は捨ててはくれないか。
そりゃきっと歳を重ねるにつれ、社会に適応し、丸くなっていくに違いない。
それはカッコワルイことではないぞ。
心の奥底にギラギラした気持ちを持ち続け、なおかつ丸くなってくなんて、
一番カッコエエやないか(俺はそれがなかなかできんで困っとる)。
ほなけんどな、丸くなるのと、ベンチャー魂を捨てるのとは違うぞ。
どこかにギラギラしたこの魂を持ち続けてくれ。
ほれに多少の苦労で消えるようなヤツに、
ベンチャー魂を持つ資格など無いと、わしは思っちょる。
しかし逆に言うと、ベンチャー魂さえ持ち続けていれば、
どんな苦労があろうと絶対にお前らは消えたりはしないのである。
売り上げがゼロの月でも、給料が払えない月でも、
ベンチャー魂さえ胸に抱いてさえいれば、
タンポポの葉っぱを醤油と砂糖で炒めてご飯にのせて食っても、
小腸がちゃんと消化してくれる。それがベンチャー魂を持つ者の消化器だ。
最後に若き同志よ。
ホンマ書こうか書くまいか・・・こんなのやめておもろい話題の日記にしようかとも思ったが、わしが言うてやらな誰が言うてやるんなという超勝手な使命感のもと、書いたったので、この日記は、前途ある若者へのメッセージなどという綺麗なものではないぞ。100%、ウンコ経営者からのエゴ丸出しの贈る言葉である。お前らが俺の日記を読んでることを知っての確信犯である。お前らのような連中がスクスクと生きていける徳島に、俺はしたいんだ。
そして、俺も俺で、こういうことを日記に書くことにより、
お前らに負けないようベンチャー魂を抱きながら頑張るわ。
お前らに笑われないように。
つーか【毒たけぴ】って、毎日続くとウザイでしょーね。
でも、もうなんか飾ってもしょーがないんで、乱文乱筆大目に見てね♪