僕の中には映画や演劇を観るうえで基軸となる視点がいくつかあります。
役者としての視点。
クリエイターとしての視点。
一観客としての視点。
客観的な視点。
それら全てをとっぱらった自分の感情のみの視点。
役者としてはすごくいいけど、客観的にはちょっと…なんていう作品もあります。
そもそも映画や演劇というのは個々の人生経験によって感じ方が変わるので評価は一定じゃありません。いまさら的な話ですが。
今回はこの映画を感情の視点でお話したいです。
(感情の視点って日本語変か…)
感情の視点というのは、カメラワークがどうだとか、絵が綺麗だとか、演技がいいとか、構成が凄いとか、そういう点での評価じゃなく、「自分の感情がどれだけ揺さぶられるか」や「シーンを観て自分の中の経験がどれだけ想起させられるか」といった点で評価するのです。
いい悪いも含めて感情がどれだけ動いたか、動けば動くほど、感情の視点の評価は高いです。
この映画でたくさん感情が動きました。
※ここからネタバレありです。
水島と黒崎の女性に対する接し方、十和子も十和子で簡単に不義に走る姿、陣治の十和子との距離感、愛とSEXの現実をまざまざと見せつけらた気がします。
十和子の姉が夕食の席で「浮気する男、みんな死ねばいいのに」(セリフ正確じゃないです)って深刻に言い放つシーン、あれもちろん笑うシーンじゃないんですが、でもこれ笑ってもいいのになって思いました。てか笑いたかった。
結構お客さん入っていたのですが、会場が全然そんな空気じゃなくみんな真剣なので(会話の流れ的にもあたり前なのですが)笑えなかった。
でも一方で、とても滑稽なのではないかと。
映画館でこのセリフを聞いている観客、この構図がなぜか滑稽に感じたのです。
このご時世だからか?
何故滑稽に感じたのか、理由を探しても思いつかない。
もう一度観て理由を探したい。
あ、今書きながら思いついた!
ひょっとして「笑いが起きなかったことに笑いそうになった」のではないだろうか?
お客さんがたくさん入っていて、このセリフを余裕を持って聞ける人が少ない、という事実を僕は感じたのかもしれない。
映画の中では、いい男は当たり前のように不倫をしていて、そんな不倫なんて当たり前のことわざわざ取り上げるまでもないといった感じで愛を描いていって、でもそれが現実で、そんな曲がった不幸な現実は観客の周囲と直結している。
でもでも建前では綺麗な愛を礼賛している現実。
そんなちょっと掛け違えている滑稽さ、それを感じたんじゃないでしょうか。
感情の沸き起こり方を理屈にするのは難しいね。
とにかく、たくさん感情を動かされた映画でした。