山口百恵『プレイバックPart2』。
NHKで歌われる時には
あの有名なフレーズ「真っ赤なポルシェ」が
「真っ赤なクルマ」に替えられていたことで有名です。
理由は公共放送で個別の商標を歌うことは個別の利益につながるということだった…。
今では考えられないコトですが…。
同じように台湾にももとの歌詞とは違った歌詞にされてしまった歌があります。
羅大佑の『鹿港小鎮』です。
羅大佑(ろー・だーよう)。
今でもそれなりに活躍しているようです。
ボクの印象では
羅大佑は台湾の井上陽水です。
世田谷に肉まんの美味しい名店「鹿港」がありますが、お店の名前の由来となった台湾中部の田舎まちこそがこの曲の舞台になっている「鹿港」です。
『鹿港小鎮』が発表されたのは1982年4月。
羅大佑のファーストアルバム『之乎者也』の中の一曲としてでした。
1982年頃といえば日本では台湾・韓国・香港・シンガポールを
「アジア四小龍」などとも言っていましたね。
台湾もまだ「戒厳令」下でした。
そんな時代にこの歌。
“台北不是我的家 我的家乡没有霓虹灯
(台北は僕の家じゃない 僕の故郷には眩いネオンはない)
鹿港的街道鹿港的渔村 妈祖庙里烧香的人们
(鹿港の街並、鹿港の漁村 媽祖廟で香を炊く人たち)
台北不是我的家 我的家乡没有霓虹灯
(台北は僕の家じゃない 俺の故郷には眩いネオンはない)
鹿港的清晨鹿港的黄昏 徘徊在文明里的人们
(鹿港の明け方、鹿港の黄昏、文明の中でさまよう人たち)
假如你先生回到鹿港小镇 请问你是否告诉我的爹娘
(もしあなたが鹿港の小さな街に行ったら どうか両親に伝えてくれませんか)
台北不是我想像的黄金天堂 都市里没有当初我的梦想”
(台北は僕の思っていた黄金の都じゃない 都市には僕の最初に思っていた夢は無いって)
※()内筆者訳。間違ってたらゴメンナサイ。
1行目の「台北」が「这里」に、
3、6行目の「台北」が「城市」に台湾当局から直されていたそうです。
「台北 対 鹿港」
つまり
「豊かな都市 対 貧しい田舎」
の対比が「美麗島事件」からまだ一年ちょっとしか経っていない、民主化運動に敏感になっていた台湾当局に歌謡曲での「言論統制」を敷かせたのでしょう。
日本ではまだ実現していない政界での女性のトップをいだこうとしている現代台湾ではこのような「言論統制」は今では想像もできないくらいですよね(¯―¯٥)
NHKで歌われる時には
あの有名なフレーズ「真っ赤なポルシェ」が
「真っ赤なクルマ」に替えられていたことで有名です。
理由は公共放送で個別の商標を歌うことは個別の利益につながるということだった…。
今では考えられないコトですが…。
同じように台湾にももとの歌詞とは違った歌詞にされてしまった歌があります。
羅大佑の『鹿港小鎮』です。
羅大佑(ろー・だーよう)。
今でもそれなりに活躍しているようです。
ボクの印象では
羅大佑は台湾の井上陽水です。
世田谷に肉まんの美味しい名店「鹿港」がありますが、お店の名前の由来となった台湾中部の田舎まちこそがこの曲の舞台になっている「鹿港」です。
『鹿港小鎮』が発表されたのは1982年4月。
羅大佑のファーストアルバム『之乎者也』の中の一曲としてでした。
1982年頃といえば日本では台湾・韓国・香港・シンガポールを
「アジア四小龍」などとも言っていましたね。
台湾もまだ「戒厳令」下でした。
そんな時代にこの歌。
“台北不是我的家 我的家乡没有霓虹灯
(台北は僕の家じゃない 僕の故郷には眩いネオンはない)
鹿港的街道鹿港的渔村 妈祖庙里烧香的人们
(鹿港の街並、鹿港の漁村 媽祖廟で香を炊く人たち)
台北不是我的家 我的家乡没有霓虹灯
(台北は僕の家じゃない 俺の故郷には眩いネオンはない)
鹿港的清晨鹿港的黄昏 徘徊在文明里的人们
(鹿港の明け方、鹿港の黄昏、文明の中でさまよう人たち)
假如你先生回到鹿港小镇 请问你是否告诉我的爹娘
(もしあなたが鹿港の小さな街に行ったら どうか両親に伝えてくれませんか)
台北不是我想像的黄金天堂 都市里没有当初我的梦想”
(台北は僕の思っていた黄金の都じゃない 都市には僕の最初に思っていた夢は無いって)
※()内筆者訳。間違ってたらゴメンナサイ。
1行目の「台北」が「这里」に、
3、6行目の「台北」が「城市」に台湾当局から直されていたそうです。
「台北 対 鹿港」
つまり
「豊かな都市 対 貧しい田舎」
の対比が「美麗島事件」からまだ一年ちょっとしか経っていない、民主化運動に敏感になっていた台湾当局に歌謡曲での「言論統制」を敷かせたのでしょう。
日本ではまだ実現していない政界での女性のトップをいだこうとしている現代台湾ではこのような「言論統制」は今では想像もできないくらいですよね(¯―¯٥)



