エトルリア人と古代エジプト人 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

私は多種多様な民族のルーツに大変興味があります。現在でも消えゆく少数民族が多くあります。未開と呼ばれる地域においても超古代からの火が途切れそうな民族が生活をしている地域の人々を訪れるのが今でも大好きです。

 

現代のエジプトの超古代の建造物は現代のアラブ人ではなく古代エジプト人によりアトランティス文明からの叡智を引き継ぎ、文明を発達させました。現代の文明よりはるかに優れら文明があったことは明白です。ギザのピラミッドも奴隷が建造したお墓ではありません。まだまだピラミッドは地下を発掘中であると聞いています。

 

さてヨーロッパのイタリアではギリシャ文明の後、ローマ帝国が繫栄します。イタリアという国は統一されれまだ150年という短い歴史の国です。沢山の小国が統合されて現在のイタリアという国ですので、地方地方に様々な歴史があるのは当然です。さて過去にはよく知られているラテン人やローマ人以前にエトルリア人がいたことはご存知でしょうか。日本で言えば縄文時代ですね。2年前にイタリアを訪問した際にエトルリア人の文明や生活スタイルに触れて驚きを隠せませんでした。

 

エトルリア人の墳墓を見学した際にすぐにエジプト人のお墓を連想しました。文化的関連性については、他に例えば、エトルリア美術における彫刻の文様、墓地の埋葬の仕方や副葬品からエトルリア人と古代エジプト世界との共通点を見ることができます。特に墳墓内のカラフルな色合いの壁画は眼を見張るものがありました。全くエトルリア人の存在を知らなかった私はこれまでイタリアのどこを見てきたのだろうと自己暗鬼に陥りました。

 

古代エジプトでは死後の世界においても生前と同様の豊かな暮らしを得るために副葬品として、財宝や装飾品などの他にもあの世でも必要な日常品や食べ物などが供えられることがありましたが、古代エトルリアでも同様に生前に使っていたのと同じの姿で供えられていました。棺が納められた石室の壁面には、死者の魂を癒す明るい色を使用した踊りや楽器の絵が残っています。3000年以上前の生活が目に浮かぶようでした。生前と変わらない世界が存在していることを信じ、旅立ちでの船も同じです。
 

また石室の中に置かれた彫像の中には、婦と思われるカップルの男性と女性が仲良くならんでいる彫像がありますが男女が平等に絵が描かれているのもエトルリア人の世界では古代ギリシャやローマ時代に比べて女性が男性を同じ評価、つまり平等と考えられている進歩した世界観であったことが想像されます。

 

古代エジプト人も現地ではアラブ人化し、現在では存在しません。同様にエトルリア人もローマ時代となりますと姿を消し、今では幻の人となっています。まだ歴史上ではエトルリア人のルーツは未だに謎もままであります。私は古代エジプト人と同様にこのエトルリア人も滅んでしまったアトランティス文明の叡智を残影の人々であったかもしれないと想像を膨らませています。