三和 導代 です。
東京・上野の東京国立博物館にて特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」に行ってきました。明治政府の廃仏毀釈により、現在大神神社の若宮(大直禰子神社)内にありました大御輪寺の十一面観音菩薩立像は同じ市内である桜井市の聖林寺に移されました。今回は奈良県から東京へと初めての旅となりました。
その他に国宝《地蔵菩薩立像》(法隆寺蔵)、《日光菩薩立像》《月光菩薩立像》(どちらも正暦寺蔵)が150年ぶりに再会を果たしたのです。十一面観音は、名前のとおり11の顔をもった菩薩像です。今回展示されていますかつて大神神社にありました4体の菩薩像で一番私が目を引きましたのが菩薩像の指先の表現です。人差し指と中指を穏やかに内部に曲げた指先は一見穏やかそうに見てますが、ここに大きなエネルギーを発信させているように私は感じました。
同時に大神神社で私が必ず訪れる山ノ神遺跡で発掘されました何らかの祭祀に使われた道具をかたどった模造品と考えられる酒造りにかかわる器物をかたどった石製品や土製品が数多く展示されています。大神神社の祭神である大物主大神がお酒の神様ですので、出土品の存在から、現在まで残る大神神社の酒造信仰が4世紀から5世紀の古墳時代までさかのぼることができます。
大神神社の宝物館にも展示されていますが、現在はコロナ禍で長期間閉鎖されています。また東京の国学院大学博物館にも展示されていますがこれらはオリジナルではありませんので、久々の実際の目で見ることができましたのは感激でした。その他、大神神社の大直禰子神社(旧大御輪寺本堂)天井裏から発見された碧玉勾玉や禁足地からの子持勾玉も展示されています。
大神神社は本殿はなく、三輪山をご神体としています。日本古来の自然そのものを崇拝する信仰が今でも残っています。このような自然に対する信仰にかかわるものが三輪山や狭井川沿いに祭祀遺跡である磐座が存在しています。その中の一つが山ノ神遺跡です。大正7年(1918)5月13日ミカン山として開墾するために露出していた巨石を動かそうと周りを掘った際に発見されたそうです。今でも神社関係者の中では「お山の神様」として大切に祀られています。いつ行きましても掃除が行き届いた森の中の遺跡です。この場は一般には公開されていないかと思います。細いから入った森の中にありますが、標識も何もかりませんので、口伝えにしか知られていないのだと思います。そんな意味で今回の展示会で数多くの発掘品が公に公開されたのは驚きでもありました。
さてこの山ノ神遺跡の磐座ですが、おそらく古代においては他との星との通信機として使用されていたのではないでしょうか。ここに何度も足を運びましたが、ある日とてもお天気の良い日にこの森の中に太陽が差し込みました。そしてこの磐座に差し込んだ時の太陽に当たった際の光の競演は今でも忘れられません。同じ体験をしましたのは青森県の大石神ピラミッドで、夕刻に太陽の光が磐座に差し込んだ際の光の競演でした。古代の他の星の人々とのコンタクト場所がこの磐座であったかと思います。