日本はパン大陸の生き残り | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

1882年にアメリカで出版された「オアスペ」はご存知でしょうか。何度かこれまでも取り上げてきましたが、ジョン・ニュブローが天使からの天啓をタイプライターを通して自動書記されたものです。竹内巨麿が竹内文書を公開しましたのが1892年ですので、既にその10年前までにはオアスペが出版されたのです。

 

その中で日本は沈没したパン大陸の北の残骸のような場所だったと書かれています。名前もパン大陸の残骸という意味で「ザ・パン」と名付けられました。

 

地球の神はかつてパン大陸が地球の文明の中心であったことを示す証拠として、パン大陸沈没とそれに伴う大洪水の際、アジア(中国とインド)、アフリカ、アメリカに散った4船団のほかに、二隻だけを日本に漂着させた。つまり日本は沈没を免れたパン大陸に漂流し、他の4船団は他の大陸に漂着します。そして日本はパン大陸から他の大陸に文明を広めたと書かれています。実はこのパン大陸に漂流した日本人グループはイヒンと呼ばれた•小柄で、黄色もしくは白色人種で楽園に住むことが許されていた宇宙からやって来た天使を先祖とするスピリチャルなことを理解できた人々でした。

 

パン大陸の沈没は今から2万4千年前のことだと書かれています。その後日本から世界各国に文明が広められるという点では竹内文書と非常に合致しています。今、世界中から日本の縄文文化が世界上に広まったことを意味しているのではないでしょうか。

その他、竹内文書との類似点が数多く見られます。オアスペの中でパン大陸、そして日本が登場する場面をここで紹介します。

 

福永裕史氏の翻訳を見てみますと、

オアスペ第1章11節には

11/1.55. 北へ運ばれた二隻の船だけの船団はイスタと名づけられた。イスタとはワーガ語(パン語)で「パン大陸の残された地」を意味する「ザ・パン(Zha’Pan)」のことであり、今日「ジャパン(日本)」と呼ばれている国のことだ。というのも、日本はパン大陸が二つに引き裂かれた後、北に残されたパン大陸の一部だからだ。

11/1.56.そして、首長は彼ら(訳注:イヒンのこと)に言われた。「見よ、あなたがたは、これから8つのヒダンの後(訳注:約2万4千年後)に訪れるであろう『天国の御業(the labors of heaven)』を解き放つ鍵となるであろう。というのも、あなたがたはすべての人類の中で最も古い人たちであると評価されるからだ。私が来て、海を解放するまで、あなたがたはすべての民族と国の中で特別な種族のままでいるだろう。

 

この興味深いオアスペがやっと日本語で読むことができるようになりました。是非、お読みください。

 

ヒカルランド刊「オアスペ」全3巻

著者 ジョン・ニューブロー

翻訳 福永裕史

【オアスペ全訳 第1巻】