三和 導代 です。
阪神淡路大震災から26年の年月が経過しました。沢山の方々な震災により命を失いました。大変な大震災でした。私はこの映像を極寒のオーロラを見るツアー中でアメリカのロッジの夕食中にテレビで見ていました。最初は映画シーンを見ている心地で本当に日本でこんな大惨事がと想いながら、お客様に神戸の方がいらっしゃらないことを確認し複雑な思い夜でした。
そして1995年(平成7年)1月17日は私にとりましても大変な日となったのです。オーロラは夜遅くなって、つまり寝る時間帯に部屋の中、あるいは近くの観測所(部屋から数分歩きます。)から見るのです。もちろん防寒具は用意され、ほとんどの人は観測所にてオーロラが出現するのを待つのです。この日も参加者と時間を待ち合わせ、観測所へ。オーロラが出てくるのを待ち続けました。オーロラはいつも出るわけではありせんので、ラッキーでしたら、見られるものなのです。
この晩はなかなか芳しい美しいオーロラは出てきませんでした。観測所で粘る人、待ちきれずにお部屋に戻られる方と様々でした。私は最後まで残りましたら、この日の残念ながら期待のカラーのオーロラは出現しませんでした。そしてロッジに戻り、先に帰られた方はもうお休みになったかた?と思いながらお部屋沿いを歩いていました。
ふと胸騒ぎがしましたのは何度も私もご一緒した高齢の女性のお客様の部屋を通った際に大分前にも戻られたにもかかわらずお部屋の電気がついているのです。ドアをノックしてお名前を呼んでも全くお返事がありません。窓のカーテンの隙間から覗いても電気は全部ついているのですが、姿が見えないのです。そしてよくよく見ますと、ドア越しの床に防寒着が見えるのです。そこに人がいるのかどうかはわかりませんでしたが、何度の窓をたたいても反応がありません。この部屋はお一人部屋でしたので、他のお客様はいません。
不信に思いロッジに戻り、事情を話し、合い鍵を持って部屋へ。何と中のドア越しに防寒着を着たままのお客様が倒れていたのです。全く何の反応もなく、すぐにお医者に来てもらいましたが、既に命が絶たれていました。心臓麻痺だったのです。推測するに外は極寒、部屋の中はかなり暖かかったはずですので、温度差があり部屋に入った瞬間、あるいは防寒着を脱ごうとした際に心臓麻痺を起こされたのだと思います。
これは密室での死亡で、第一発見者が私でしたので、この後が大変でした。お医者様の他にすぐに警察の立ち合いで、長時間の取り調べでした。どう見ても殺人ではありませんでしたが、密室の死亡、そしてこの方はかなりの資産家で最高額の保険に入っている方でしたので、すこし厄介でした。しかし捜査後にはすぐに保険会社が動いてくれましたので、私としましては助かりましたが、ご家族のご意向にてアメリカで火葬をすることになり、私が代理で火葬の仕方(骨か粉か、つまり焼き具合)、最後の衣装選び、骨壺選択などを行うこととなったのです。その当時はまだ葬儀の喪主を務めたことはありませんでしたので(まだ若かったので当たり前ですが)、さまざまな体験をし、骨壺を抱えての帰国となりました。
そして成田空港にて迎えの会社の上司と一緒にタクシーに乗り、亡くなった女性のご自宅のご家族の元へご遺骨をお届けしました。何回も私はこの女性の方と旅行をさせていただきましたが、何と主人が主人がと言ってたこの女性のご主人は当の昔に亡くなっていたのです。そして同じ敷地内にはご主人の息子さん(亡くなった女性が再婚であったために義理の息子さん)がお住まいでしたが。。。。。現地にもどなたもお迎えがない、そして成田空港にもどなたもお迎えがないんて・・・・と思っていたのですが。複雑なご家庭だったのです。
つまり保険の受取人はこの息子さんには一切相続の権利がなかったのです。なぜならば、亡くなった女性とご主人の息子さんと養子縁組をしていなかったからなのです。最高額の保険金も、この女性が残された遺産もだったのです。
この女性は亡くなったご主人をとても愛されていた。しかし同じ敷地内に住まわれていても義理の息子さんとは何のお付き合いもなかったようです。お金は山のように持っていらした。そう、私にとりましてはとても良いお客様だったのです。ご遺骨が愛していたご主人のお墓に埋葬されたかどうか、そのことは不明でした。保険金は法廷相続人であるこの亡くなった女性の実弟に支払われたそうです。
私はその時、私の父が私が結婚する際に、もし本当に結婚したいのなら彼の連れっ子と養子縁組をし、実の子として育てなくてはいけないと私にアドバイスしてくれたことを思い出しました。父は苦労人で義母、義兄、義弟、義妹などがいる環境に育った人でした。ああ、こういういことだったんだと。
主人がねえ、とよく言っていました。今でもスーツケースに入っていた私の選んだ鮮やかな衣装をまとい、きれいなお化粧したお顔を忘れることはありません。なぜ、極寒のオーロラのツアーにこのような美しい衣装がないっていたかは今でも謎ですが。そうこれが私の阪神淡路大震災の思いです。