昭和53年10月10日、ロッキーの御霊石を日本で祀る | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今日は10月10日です。昭和53年10月10日にアメリアのロッキーの御霊石36個に、位山の古代遺跡「祭壇石」にお鎮まりいただきく五色人の祭りが開催されました。

 

その経緯は高坂和導が昭和53年7月にアメリカのニューメキシコ州サンタフェ、ロッキー山中の広い場所で、「ムウアヤワタカマナハラナヤサワ」と正しい言霊で世界平和を祈っていた時、突然、アメリカインディアンの先祖を名乗る霊が語りかけてきましたことから始まりました。

 

「我ら一同日本の神政復興に馳せ参じたい。語りたくても語りつくせぬこの思い。汝らは世界平和を祈るけれど、我らを祭らずしてなぜに世界平和がくるものぞ。このロッキーに五色人の真の祭り場を作ってほしい。汝は約束を果たすと思うから、汝の家系を調べてのうえの頼みであるぞよ。」 高坂和導は竹内文書を研究していましたので、彼らが日本から派遣さてたアメリカインディアンの先祖であることがすぐ分かったようです。

 

その後、真の言霊で再び太陽・月・地球を一つに貫く祈りを捧げ、大地に頭を垂れ、その場の小石を拾い上げ、「その御心を日本までお連れいたしますので、どうぞこの石にお鎮りください。」と高坂は申し上げ、御霊をロッキーの36個の石にアメリカインディアンの祖霊が宿られました。その後、高坂は「キバ」と呼ばれるアメリカインディアンの祈りの場を訪ね、アメリカインディアンに思いを馳せますと、高坂に異変が起きました。突然詠んだこともない和歌が、よどみなく朗々と口から出てきました。

 

「あまつかみ わすれじたかみね くもはらし たいこのひびき あまつかなでん」

その後の移動中もバスの中でずっと次から次へと和歌が飛び出してきました。

 

このような現象が昭和53年にアメリカインディアンの地で起こり、帰国して10月10日に位山の祭壇石日にて式典を開いたのです。祈りを捧げると、曇っていた天が割れ、光がカーテンのように降り注いぎました。・・・・・・・・

人類発祥の地である日本に住む人の心を水平にすること、水平な心とは鏡と同じで、神の心を歪めることなく映し出す済んだ心になるように一同で祈りました。

 

詳細は高坂和導著 竹内文書でわかった太古の地球共通文化は縄文JAPANだった (ヒカルランド刊)をお読みください。

 

私が今日、急遽2つ目のブログでこれをお知らせする理由は、先程、この42年前の10月10日のこの日にの位山での祭壇石とロッキーの御霊石が出てきたからです。