三和 導代 です。
東京の都心である新宿区からも何と12,000年までの縄文早創期の隆起線紋系土器が発掘されていたとは驚きです。発見されたの新宿区百人町三丁目から北新宿四丁目かけての地域で現在は都営百人町三丁目アパートや新宿消防署、淀橋市場などの敷地となっています。
韓国人街が続く大久保駅や新大久保駅からは遠くない地域です。
現在は新宿区百人町3丁目西遺跡と呼ばれていますが、ここは武蔵野台地の東部に位置し、北東から南西方向に向かって緩やかに傾した地形で、西には神田川が南西から北東へ流れています。
今から13万年から12万年前は温暖で海面が今より5mほど高い時期で、現在の新宿区は海の中でした。その後6万年前から1万年前の最終氷河期には、海面が今より数百メートル低く、東京湾は陸地となり、江戸川や荒川や多摩川などの川は古東京川に合流して海に注いでいました。新宿区で最初に人類の活動痕跡が確認できますのは、約3万2000年前の最終氷河期の頃だそうです。東京都の発掘調査により旧石器時代の石器などから年代測定をしたのもです。
縄文時代には温暖化となりなり、縄文土器が登場しますが、土器の形やデザインも次第に複雑化し芸術豊かな土器へと発展していきます。
使用目的は煮炊きに使用されたり、神への捧げものをする際の器でもありました。後年には遺体を壺に埋葬することにも使用されました。
そして大陸からの影響を受けた弥生時代になりますと、土器はシンプルな形状となっていきました。
縄文時代には動物性食糧としてはイノシシやシカ、冬鳥、海洋性食糧としてはイワシ、アイナメ、メバル、ウナギ、アジ、サバ、フグ、アナゴ、そしてアサリや海藻、植物性食糧としてはフキノトウ、アサズキ、ワラビ、ぜんまい、クリ、クルミ、トチ、キノコ類、芋と四季折々の食生活を楽しんでいました。わたしたちもこのような食生活をすることにより、アレルギーなどもでない健康的な肉体を保つことができるかもしれませんね。