三和 導代 です。
アフリカの中央部にはカメルーン共和国という国があるのをご存じでしょうか。そう、サッカー選手で有名なカメルーンです。5年前に当時のサッカー界で憧れの的であったエトー選手の家を見に行ったことがありました。すごい豪邸でした。本人は住んでいなくても、家族親戚一同がとても潤っていました。個人が成功しても、その富は決して独り占めにできない掟がアフリカの国々での伝統です。親兄弟だけではない一族が共有するのです。サッカーはアフリカで一番の人気、そして一攫千金のチャンスでもあります。場所はいくらでもあります。ボール一つで皆で遊べるスポーツです。
カメルーンにはこれまで通算4回行きました。毎回、行く度にもう絶対こんな国行かないと憔悴して帰る私ですが、また数年後には忘れてまた訪問、そしてまたパンチをくらい疲れ、でもまた忘れるの繰り返しをこの20年以上繰り返してきました。なぜそんなに憔悴するか?それはインフラの面はもちろんですが、それ以上に日本人である私の中の常識は全く通じない、喧嘩(私がいら立つでけで、相手は?????で一枚上手です。)
口約束(お金を払っていなければ)は全く確保されない宿泊地、現金を持った人が先に到着すればその人たちが優先とか、約束の時間は全く存在しないとか・・・・事前に払いたくても銀行口座がなければ払えない、カード支払いが出来なければ払えないのですよね。つまり、着いてみないを何もわからない、こんなことが連日続きますと、さすがの私の憔悴するわけです。予定は100%未定ということです。それは全くの個人旅行でしたら済みますが、ひと様をお連れするのですから、胃のない私も胃が痛くなるのです。
2002年に日本でワールドカップが開催されました。その時に代表として来日したのがカメルーンとセネガルでした。カメルーンの引き受けキャンプ地は大分県の中津江村という当時人口1000年ほどの小さな村でした。そして予定より5日遅れの選手の到着でした。受け入れ先の人々がどんなに心配したことか、私にはよくわかります。一方セネガルを引き受けたチームの静岡県藤枝市の真面目な担当者は疲れ果てて自殺をしてしまったというショッキングな出来事がありました。つまり、時間に対する感覚の相違がこの不幸を招いてしまったのです。
ですから当時のカメル―ンの受け先の中津江村も歴史始まって以来の大騒動だったことでしょう。しかしここではご縁が終わらず、より両者は強固な関係に。カメルーンから翌年、中津江村の村長に友好関係に貢献したということで勲章が送られ、その後もカメルーン代表選手が引退した後にもこの村でサッカー教室が開催されました。そして2010年南アフリカ大会、2014年のブラジル大会にも日本より村長がカメルーンチームを応援にでかけています。
そう一度絆ができましたら、すごい信頼関係を結ぶことができることも事実なのです。私も10年以上前に知り合ったセネガルの女性と今でも非常に強い信頼関係で付き合っています。つまり義理堅い性格が強いです。もちろん個人差はありますが、昔の日本人の間でも関係と同じように密な関係となっていくのです。
さて私はここでまたシャーマンのついて書きたいと思います。カメルーンは現在は一つの国となっていますが、数多くの王国が合体した国ですので、まだまだ多くの王様がおり、アニミズムの世界で複数のワイフがいて、独自の伝統や文化を守っているのです。肩書きはもしクリスチャンとなってもそれは表面的なことであります。
そんな中でたくさんのシャーマンに会ってきました。亀の甲羅で占いをする比較的マイルドなシャーマン、強いローカルのお酒を飲んでトランス状態となり一晩中踊り森の精霊と語るシャーマン、先祖を崇拝し憑依するシャーマン・・・・・シャーマンは現在でもとても尊敬される存在なのです。
今は日本にじっとしている私ですが、またこんなまた疲れるパンチを受ける世界に性懲りもなく戻りたくなる私です。本当に数多くの豊な体験ができるのはこの上ない財産であります。