屋形船にて | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日は生まれて初めて東京の隅田川の貸切の屋形船に乗船しました。私の仕事関係で大変お世話になった人の還暦、そして会社の役職退職のお祝いで、その方の下で働いていた会社の部下が密かに数か月前から計画していたイベントでした。

 

この方は南米のペルー、中米のメキシコ等のツアーの送客数日本一を何年も続けた人です。私も大変お世話になりました。当時、初めてのペルーの4台口の添乗し、国内線が飛ばないために帰国便に間に合わずに、クスコからリマまで軍用機をチャーターして25年以上も前の前代未聞、今でも考えられない経験があります。

 

この方は仕事もできましたが、何よりも人望が厚い人として、若い部下に非常に慕われた方でした。もちろん仕事には非常に厳しい方でしたが、我が身のように親身になっていた部下の相談に乗ったり、自分の責任の下に自由に仕事をさせた人です。しかし、会社という大きな組織の中では、こういう方が出世すすわけではないのです。うまく、上の人に可愛がられた、取り入ることができた人が出世するものです。

 

私はなぜこの方がここまで徹底して仕事ができ、さらに若い後輩に慕われる人望の厚い人であったかを。昨日、涙ながらに屋形船で参加者の前で語りました。

 

実は昔、この方の次男がまだハイハイをしている頃に、自宅のお風呂の浴槽に誤って落ち、命は助かったものの大きな障害が残るという事件があったのです。誰もその後、どのようになったことは、その話題を出すことは暗黙の禁止となっていました。

 

ローンで買ったばかりのマンションも息子さんの治療のために手離し、引っ越していました。

 

春、桜の満開の日、その事故は起きました。桜を見ても色もなく、人生のどん底、会社を辞めて子供に付き添い介護をすることも考えたそうです。元気で育ってた子供がちょっとした親の目を話した際の事故だったのです。しかし仕事を頑張れば治療費、そして子供の将来のためにも働くことが大切と思い直したそうです。

 

周囲の困っている人々、会社の部下等に親身になって相談に乗り、とても慕われていた姿を私はよく知っています。私が高坂を失ったとき、そしてガンになった時にも本当に親身になって心配してくださいました。

 

昨日涙ながらにご自身のことを語っていらっしゃいました。それはどん底の悲しみ、苦しみを味わったのでどんなことも頑張れる、そして他人に優しくなれるたと。そしてその息子もやっと仕事に就けて社会にでることができるようになりましたと。

 

部下の若い方は過去にこんな事故があったことは誰も知りませんでした。そして皆涙して、本当にこれまでありがとうございましたと。

 

そう、この息子さんのお陰でどれほど多くの方が救われたことか。そうなのです。人生は何が功を奏するかはわかりません。一見マイナスと思われることもプラスに転じることができるということを改めて教えていただいた屋形船での出来事でした。