アフリカには黒人はいなかった・・・・・ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

今から18年前のこの日はそう、ガーナのコフォリデュアに住んでいたのです。今は4月の雨期前で乾期の終わりで一番暑い時期です。仕事が終わって、扇風機にあたりながら一番暑い時間を部屋でごろり昼寝をしていたことが懐かしく思い出されます。

 

ガーナに居るときは本当に彼らの考えにはついていけずに本当にいつも文句を言っていました。そして喧嘩をしていました。が、現在の私という存在が出来上がったプロセスの中で一番強烈な影響を残したのも事実です。

 

帰国後もまた別の西アフリカへ、そして今でも西アフリカには年に1度は行きませんと本当に寂しくなります。まあ第2の故郷と言えるかもしれんません。先週より新たなツアーを企画し、昨日完成しました。そんな作業中に、私がガーナに滞在中に高坂和導が2度ばかり私の元を訪れています。

 

その際の手記が何と今回のツアーを企画している際に出てきたのです。1冊のノートにびっしりと書かれていました。西アフリカと日本の超古代の関連性がなかなか面白く、くやしながらあっぱれです。黒人祖の謎についても新たなる定義を残しています。

 

アフリカには黒人はいなかった。・・・・・ 玉響6月号に寄稿します。