部屋は本だらけ
一般人の私ですらそうなんですから、大学生や専門家のみなさんってどう本を運用しているんでしょうかね。
というわけでごきげんよう。蔵書数が1800冊を目前にして、四畳半の部屋が圧迫されつつあるブログ主です。たかだか1800冊でこうなんですから、世の中の読書家というのはもっと大変なんでしょう。どこかで読んだエピソードでは、本の保管のためにコンテナを借りたという猛者もいらっしゃるそうで、みなさん本の運用には四苦八苦しているんだなあと思うわけです。
さて、本を大量に所蔵している人がかならず聞かれる質問がありますよね。
で、全部読み切れるの?
アンサー。
読み切れるわけねえだろ。
だって一日一冊ペースで読んだとしても、年間365冊しか読めないわけですよ。1800冊を消化するのに何年かかるんですか。プラスでさらに本が増えるわけですし、1800冊の中には1000ページ越えの大物だってゴロゴロいるんですから。
とはいえ中にはメンタリストDaiGoさんみたいに一日20冊以上読む方もいますので、そういう方はその限りではないのでしょう。だけど彼は特殊な訓練を受けた人間。我々には無理です。
じゃあ積読は悪いことなのか?本を積みがちな我々に救いの本はないのか。そう切なる願いを込めて本屋さんにくりだしました。
ありました。
というわけで、本日はその本をご紹介します。
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さて、その救いの一冊はこちら。永田希さんで「積読こそが完全な読書術である」です。
魅惑のあおり文「読まずに積んでよい」が目を引く帯ですね。
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そう、本は積んでいいのです。
この本はさまざまな読書術の名著を引き合いにとり、現代=情報の濁流社会にあらがうためには本を積む必要があるのだと教えてくれます。
知っての通り、現代はまさに情報社会です。出版される本は年々増え続け、Twitterは毎日お祭り騒ぎ、インスタもTikTokは今日も大盛況、電車の中ではみんなYouTubeやネトフリで面白動画を見て時間つぶし。どこを見ても情報だらけです。これじゃあ著者が「濁流」とちょっと極端な言い方をするのもうなずけます。
そんな中、私たちにできることは何か。それが著者曰く、積読することなのです。
著者は「積読」を「ビオトープ」に例えて話しています。ビオトープとはちっちゃな生態系のこと。小学校とかで人工池とかありましたよね。ハスみたいな水草とか浮いて、メダカや金魚が泳いでいた、アレです。大きな「情報の濁流」という生態系の中に、自分だけの「情報のビオトープ」を作っちゃおう、ということです。
これは私の解釈になりますが、自分だけのお気に入りの情報に囲まれた空間を作っちゃおうってことですね。自分の推しをフォローしまくったり、作りもしないガンプラを買い込んだりするのと同じかと思います。そういう「自分だけの世界」を構築することで、情報にあふれた社会に飲み込まれないように身を守るんですね。
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さてこの本。きちんと「読書術」と銘打っているだけあり、積読術の心得もきちんと記されています。
例えば、著者はこう言い切ります。
「ほとんどの本は読まないでいいのです」
かっこよすぎる逆説。
とはいうものの、これを言い出したのはこの著者ではなく、バイヤールという人が「読んでいない本について堂々と語る方法」という本で触れられていることだと著者は言っています。「すべての本を完全に読むなんて不可能じゃん」というのはバイヤールの主張。ほかにもショウペンハウアーやアドラーなど、さまざまな名著を引き合いに出し、著者は「ほとんどの本は読まんでいいのよ」というわけです。さらには
「積んだだけで読んだと言ってもいい」
とまで言います。
もっと言うと、本を読むのにだってタイミングがあるんだから、読むべきときがくるまでは積んでもいいんだよ、ということです。これは私の解釈ですが、極論、中学生がキルケゴールの「死に至る病」を買ったとして、それを読むべきタイミングはそのときかと言われれば、100%そのとき、というわけではないですよね。一部の読書家っ子を除いた大体の子はちんぷんかんぷんなんじゃないでしょうか。だって大人でも難しいもん。
じゃあどうやって積読環境を作ればいいのか。端的に表した箇所を引用しますとこんな感じ。
予算を決めて定期的に本を買いなさい、ただし買った本のすべてをすぐに読む必要はありません。
積みなさい。
(中略)大事なのは、あなたなりの積読環境が構築されることです。
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とはいえ買いっぱなし積みっぱなしはNG。それじゃあせっかくのビオトープも台無しです。
定期的に積読環境を見直し、「これは私の人生には必要のないものだな」と感じたら思い切って処分することも大切。こんまり風に言えば「ときめきを感じない」ものは必要ない、ということです。
積読環境は定期的に新陳代謝をさせて、そのときの自分の関心ごとに合わせて作っていきましょう。自分の好きなものに囲まれる環境というのが、この情報社会にあらがうための最善の方法なのです。
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積むことこそ世界と戦う唯一無二の戦法である、だなんてかっこよくないですか?
じゃあ私たちもどんどん買ってどんどん積もう!そして「読まないくせに」と言ってくる人間には「これが私の戦い方なのよ……現代社会という化け物との、ね」と流し目を使って言ってやりましょう!積読は我々の味方!堂々と積んでしまいましょう!
と、ここまで言うと著者の主張と外れそうだなあと思いつつ今回はこの辺で。読んでくださりありがとうございます!
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以下リンクです。
積読こそが完全な読書術である | 永田 希 |本 | 通販 - Amazon.co.jp
内容
千葉雅也氏推薦
「読まずに積んでよい。むしろそれこそが読書だ。
人生観を逆転させる究極の読書術!」
読めないことにうしろめたさを覚える必要などない。
まずはこの本を読んで、堂々と本を積もう。
気鋭の書評家が放つ、逆説的読書論!
情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、
充実した読書生活を送るための方法論として本書では「積読」を提案する。
バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、
「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く。
たしかに本は、人に「いま」読むことを求めてきます。
でも、それと同時に、書物は「保存され保管される」ものとして作られたものだったことを思い出してください。
情報が溢れかえり、あらゆるものが積まれていく時代に生きているからこそ、
書物を積むことのうしろめたさに耐えて、あなたは読書の前にまず積読をするべきなのです。(本文より)
第一章 なぜ積読が必要なのか
情報の濁流に飲み込まれている
読書とは何だったろうか
情報の濁流のなかのビオトープ
蔵書家が死ぬとき、遺産としての書物
第二章 積読こそが読書である
完読という叶わない夢
深く読み込むことと浅く読むこと
ショーペンハウアーの読書論
「自前」の考えをつくる方法
第三章 読書術は積読術でもある
一冊の本はそれだけでひとつの積読である
読めなくていいし、読まなくてもいい
本を読まない技術
積読のさらなるさまざまな顔
第四章 ファスト思考に抗うための積読
デジタル時代のリテラシー
書物のディストピア
積読で自己肯定する