罪は許されるのか
と、いきなり重たい書き出しから。
さて、みなさんは人生の中での一番の悪事はなんですか?私はクソガキの頃衝突事故でショタを吹っ飛ばしたことです。慌てて手当をしようとしたら猛烈に謝られて転がるように逃げられ、見失ってしまいました。やっぱ大声でとっとこ○ム太郎歌ってたのがいけなかったのかなぁ。
さて、今回の本です。
今回は中村文則さんの「悪と仮面のルール」です。
こころなしかゴシックダークなロゴ、良くないですか?
中村文則さんといえば芥川賞受賞者でもあるんですが、非常にエンターテインメント性の強い作品を書かれることでも定評がありますね。彼の作品を純文学とするか大衆文学とするか、たぶん意見が分かれるところですね。ちなみに私は純文学とか大衆文学とかいうカテゴライズがあまり好きでないので、ここでは控えますね。
ちなみに中村文則さんって私の地元の作家なんですよ。この本を読むまで知らなかったんですけどね。偶然ってすごいなぁ。
主人公は由緒あるおうちの末っ子、久喜文宏です。
この久喜家というのが曲者なので、読む際にはしっかり覚えていてくださいね。
物語は文宏が幼いとき、父親に呼ばれるシーンから始まります。
父親は文宏を「邪」だと言いました。「邪」とは、この世を不幸にする存在のこと。文宏はこの世を不幸に貶める存在になるのだと言うのです。
そしてこうも言いました。
文宏が14歳になったら地獄を見せると。
そして時を同じくして、久喜の家に謎の少女・香織が住み込むことになりました。
文宏と香織が惹かれ合うまで、時間はかかりませんでした。中学生になるころには、文宏にとって、香織はなくてはならない存在となったのです。
そして、とうとう14歳が目前となったある日、文宏と父親の間で大きな事件がありました。
それが、文宏にとって人生の転機となったのです。
「邪」とは結局なんなのか。それは、物語を通して明確には語られません。「邪」は悪には違いありませんが、では、悪とはなんなのか。ルールを逸脱した人たちでしょうか。そのルールとは?
それが、物語の根源となる問いです。それを念頭に起きながら読むと、より物語の奥深くに入っていけると思います。
恐らく、読んだ後も明確な答えは出ないと思います。出ない人が大半でしょう。
それでいいのです。その問いかけが生まれることに意味があるのです。
今回も参考文献をご用意しました!
みなさんご存知、ドストエフスキーの「罪と罰」です。
この力のあるドギツイ表紙めっちゃ好き。
こちらも悪や罪について問いかける作品となります。
主人公ラスコーリニコフがお金欲しさ(どストレートかつシンプルな動機)に老婆を叩き殺してから、罪の意識に苛まれていくお話。
「悪と仮面のルール」と併せて読むと、また深く洞察できると思います。ちなみに読むのは「悪と仮面のルール」より50倍ぐらいしんどいです。
「罪と罰」については、いつか単体でご紹介できたらと思います!
それでは!
以下リンクです
・悪と仮面のルール
内容
邪の家系を断ちきり、少女を守るために。少年は父の殺害を決意する。大人になった彼は、顔を変え、他人の身分を手に入れて、再び動き出す。すべては彼女の幸せだけを願って。同じ頃街ではテロ組織による連続殺人事件が発生していた。そして彼の前に過去の事件を追う刑事が現れる。本質的な悪、その連鎖とは。
・罪と罰
内容
一つの死と百の生命(いのち)の交代――
独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る歴史的傑作。
鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。
独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺し財産を奪った貧しい学生ラスコーリニコフ。良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る歴史的傑作。
鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。