昨日から比べたら、ちょっと雲が多いお天気ですね。
夜遅くからは雨の予報。
ウチの緑のカーテン、琉球朝顔は、毎日よく咲いています。
以前は一番上のあたり、2階のあたりだけで咲いていましたが、脇芽からの脇芽が伸びてきた先端からも咲き出したので、真ん中や地表近くでも咲くようになりました。
9月いっぱいで、とか思っていたけれど、まだまだもったいないので、もう少し様子見です。
葉っぱもあまり枯れません。
とても丈夫です。
母は傾眠が少なくなったような
元気な感じだと思います(母比)
昨日10月1日(日)の読売新聞の安心の設計では
見出しは
「死」語り合い「生」有意義に
看取りの対応確認する機会
このページの特集
QOD 生と死を問う
が、優れた医学・医療記事に贈られる
「第36回ファイザー医学記事賞」の大賞を受賞したという内容でした。
ブログでもこれらの記事のことを書いているけれど、
QOD = Quality of Death 死の質
転じて「より良い逝き方」とされています。
QOL = Quality of Life 生活の質
私の解釈では、なんでも自分で自立してできるようにです。
これののマネっこですよね?って、違うか。
一連の記事は私の超個人的解釈では、
介護保険医療保険なるたけ使わずに、ちゃーんとピンピンコロリして下さいね。
その為には、ちゃんと家族で責任持って考えておいて下さいね。
って、感じ。
だから連載を読むとちょっとだけ、「お宅、ちゃんとしてちょーだいよ」と叱られてる気分になる
QOLが下がるから、より良いQODの為に、手術受けずに敗血症にでもなれば良かったんじゃないの。
と、言われているような言われてないような
延命措置についても、「するなさせるな」っていう前提で、本人の意思確認とか書いてあるけれど。
本人が「何が何でも生かせてくれ。意識無くとも生かせてくれ。」っていう人もいるかもと思う。
ちょっと(てゆーか全然)違うけど、親の死を隠して年金をアテにしてる人とかいたし。
「口から食べられなくなったら」というフレーズもよく言われるけれど。
じゃあ、意識があって喋ることができても、餓死させろ、ってことなの?黙ってそれを見てろ、ってことなの?
その線引きは。とか思ってしまう。
ここまで被害妄想が激しくなるのも問題だよね
近い未来、2025年に向けての意識改革の誘導なのかな、とも思うけれど。
介護や高齢者医療についての、過渡期に立っているんでしょうね。
QODの記事は、「ヨミドクター QOD」で検索して読むことができます。
まとめて読むとどんよりしてしまうかもです。