息子が熱を出しました。来月早々…やっとこさ一歳を数える幼児が39度もの高熱に喘いでいるのに…父である私はまったくもって役に立たず、右往左往すら出来ません。
言い訳だけは一丁前に出てくるのですから、嫌になります。
守ってやりたい。
それだけです。
すやすや寝てくれるだけでホッとしてしまう夜なのです。
愚痴でした!
空が赤く燃えていた。
「それじゃあ、僕はこっちだから…」
「ああ」
「ここで、さよなら…」
「うん。元気でな」
お互いに背を向け合い、新たな一歩を踏み出した。
たった一日の出来事が、二人の一歩を大きくさせた。
「それじゃあ、僕はこっちだから…」
「ああ」
「ここで、さよなら…」
「うん。元気でな」
お互いに背を向け合い、新たな一歩を踏み出した。
たった一日の出来事が、二人の一歩を大きくさせた。
サッカーをやっていた。
初めて見たのは、六つ上の兄の練習だった。
有名な選手でもなく、試合ですらない。
ゴールキーパーをやっていた兄が横っ飛びでシュートをキャッチングした。
たったそれだけの光景が、当時幾つだったのかすら定かではないガキンチョを、サッカーというスポーツの虜にした。
記憶は思い出に変わるとき美化される。
この思い出もきっと幾重にも重ねられたフィルタ-によって、着飾っていることだろう。
現在、兄とはサッカーの話題にすらならない。
それ所か、その兄と一緒にボールを追いかけた記憶もない。
しかし、その光景が今も脳裏に焼き付き離れない。
二十数年前、当時プロサッカーもなく、試合観戦すらしたことのない保育園児が、プロサッカー選手になりたいと、卒園文集に書いたのを憶えている。
中学に上がり、その夢は簡単に潰えたが、今もサッカーの虜であるところに変わりはない。
プロ選手の凄いプレーに心が震える。
その選手たちが大金を稼ぐのも当然だろう。
だけどどうか、そこに胡坐をかかないで。
夢中でボールを追いかけた記憶だけは無くさないで欲しい。
勝ち負けよりもひとつでも多く心震える試合を見せて欲しいと切に願う。
