「群盲象を撫(な)ず」
という言葉を教わりました。
何人かの目の不自由な人が象の体の一部を触り、象とはどんなものかと尋ねたところ、
鼻を触った人は、「象とは長いものだ」
耳を触った人は、「象とは平らなものだ」
足を触った人は、「象とは丸太のようだ」
尾を触った人は、「象とはヒモのようだ」
と、みんなが違う印象を言った、という話。
「物事の一部だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう。」
「凡人には大人物や大事業などの全体を見渡すことはできないものだ。」
のような意味があります。
私たちは物事を判断するときに、知識と経験を基準にします。
ですが、その知識と経験はたった数十年分のものであり、
人類の歴史と比べれば海と一滴の水ほどの差があります。
また、未来のことを予測する際に過去の知識で判断しても、
予測が当たらないことはたくさんあります。
それなのに、知識と経験を元に、
「絶対○○ない」とか「無理」という判断をします。
新しいことや難しそうなことに挑戦する際に
「絶対○○ない」とか「無理」と判断したら、
挑戦することを止めてしまいますよね。
無理だと思っていて挑戦する人はいません。
挑戦している“フリ”をする人はいますが…。
挑戦をするときは、自分の知識と経験で決めつけない。
目をつぶって自分の感覚を研ぎ澄まし、
出来るかどうかじゃなく、やりたいかどうか、
それが本当に欲しいのかどうか、
好きか嫌いか、で判断しよう。
頭でなく心で感じることにより、
脳の活性をじゃましていた思い込みが取れ、
人と歴史の知恵を受け入れられるようになります。
そうなれたら、尊敬する人や大好きな人の言葉に耳を傾けよう。
なお、心で受け取れず頭で判断してしまうので、
好きじゃない人の言葉は聞かないでいいです!
人や歴史の知恵を使えるようになったら、
脳が活発に動き出し、出来ない理由ではなく
「どうすればできるか」を集中して考えられるようになります。
眠っていた潜在能力が発揮されるのはその時です。
それが、「人間的成長」です。
幼少の頃の私たちは、周りからの情報を全て信じて受け入れていました。
それが、自分の智恵となり、成長してきました。
やがて歳を重ね、周りからの情報を自分の知識と経験で判断し、
智恵として受け入れるかどうかを選択するようになります。
受け入れる量が減るので、大人になるにつれ、
成長のスピードは落ちていきます。
もし幼少の頃のように周りからの情報を素直に受け入れられたら、
大人になっても限りないスピードで成長することが出来るのです。
ところで、世の中の奇跡は、みんな「無理」から始まっているようです。
宅急便や日清のカップヌードルやキリンFREEやTOYOTAのプリウスなど、世の中にイノベーションを起こした素晴らしい商品は、超優秀な人たちが「そんなの無理だ」と感じることを、「絶対に作りたい」と思うことから始まり、奇跡を生んでいます。
私は「群盲象を撫(な)ず」という言葉に出会い、
物事の本質を見極めること
を学びました。
自分の知識や経験だけで物事を判断せず、
人と歴史の知恵をお借りして判断します。
そして最後は、好きか嫌いか、粋か野暮かで決めます。