大河ドラマ、鎌倉殿の13人


今日は頼朝の死、という節目の回だった。

多くの主要人物が毎週のように亡くなったが、

死を意識するようになった頼朝の心境は、これまでになく細やかに、切なく描かれていた。


人の命は定められたもの 抗ってどうする

甘んじて受け入れようではないか


源氏の血筋を大事にしつつも、血のつながった義経、範頼を殺す、という矛盾の中に生き、最後に大切な話をしたのは、北条家の人間、政子と義時だったという皮肉な演出である。脳梗塞をイメージさせる亡くなり方、そういう解釈かな?最期の時に頼朝の馬を引いていたのは、伊豆に幽閉されていた頃からお世話をしていた安達盛長。


魂が、伊豆に呼び寄せられていくような、原点に帰っていくような、幻想的で、切ないシーンであった。


この後、頼朝の願いとは真逆の結果となる史実を知っていると尚更、やるせなさが増す。


義経のことを『まるで平家を滅ぼすためだけに生まれてきたよう』と時政は表現したが、

頼朝もまた、鎌倉幕府を開くためだけに生きた人だったように思える。死後の混乱期を強く生き抜ける力を持った政子を正妻としたことすらも、運命の導きだったのではないかと思う。遡ればこの男を生かすことを選択した平清盛に思いが及ぶ。清盛の心の中では、斬首と決まっていたものを、池禅尼(義理の母?乳母だったかな?)の懇願により命を救った説もあるようだが、なんの因果で、このようなストーリーになってしまうのか。

まさに、事実は小説よりも奇なり。


しかし、この大河ドラマの主人公は頼朝ではない。来週から始まる大混乱。いよいよ主人公、義時の出番である。私の歴史的興味は、なぜかわからないが、頼朝の死後、8代執権の時宗まで飛んでしまっており、実はこの後北条家が執権政治を始めるまでは、小学生レベルの知識しかないのである。この機会に、勉強してみよう。

卑弥呼のような占い師はさておき、本当の政治の表舞台に立った女性としては、北条政子がはじめてではなかろうか。後半は北条政子に注目してみたい。