癌の告知を受けた時、一番に思い浮かんだのは、当時13歳の息子のことだった。
私の母は、私が19歳の時に癌で亡くなった。妹に至っては13歳。
私も東京で一人暮らしを始めたばかりだったので、ふとした瞬間に襲われる孤独と虚無感に苦しめられたが、さらに年少で、多感な時期に差し掛かっていた妹は、それ以上に苦しんだことだろう。皮肉にも、その妹と同じ年だった息子。
なんとしても生きなければ・・・
これまでの人生でこれほど強い意志を持ったことがあったか、と思うほどの、強固な決意だった。
ステージが何だろうが、転移していようが、この際関係ない。あちこち切り取られてどんな姿になろうとも、どんなに抗がん剤治療が苦しくても、息子が成人するまでは意地でも生き抜いてやる!!
しかし、もう一人、思い及ばねばならなかった人物がいたことに、今頃になって気づいた。
「父親」である。
幼少期、亡くなった母が、喘息で苦しむ私を見て、泣きながら「私が変わってやりたい」と言ったそうだ。父も「子供が幸せになるためなら、自分の命など惜しくない」とたまに言っていた。私が発作を起こすたびに、真夜中に空気のきれいな山の上までドライブに連れて行ってくれたりもした。
親になると、そんなに献身的になれるものかね??
くらいにしか感じていなかったが、その気持ちを真に理解したのは、自分が母親になってからであった。
私だけかな。私が母親だからかな?父親だと違うのかな??
たまたま、腎不全患者の腎臓移植のドキュメント番組を見ている時、夫に
「もしT(息子)が腎臓移植が必要になったら、あなた、差し出せる?私はTと血液型が違うから・・・」
と聞いてみると、何の迷いもなく
「そりゃ、当たり前だろ。」
と答えた。あぁ。やっぱり父親なんだ。
「まぁ、1個の腎臓でどのくらいの生活が送れるか見極めなきゃな。仕事辞めるわけにいかなくなるもんな~でも1人っ子でよかったな。2人いたら、俺の腎臓がなくなるし(笑)」
・・・いや、そういう算数的な問題ではないんだが・・・
そう、親にとって子供は、喜んで自分の命を差し出せるほどの存在なのである。
冒頭に戻ると、逆に親が必要なうちは、「息子のためなら、なんとしても生きねばならぬ」と強く決意させるほどの存在、ともいえる。
小さい頃はもちろんだが、20歳になろうかという息子に対しても気持ちは同じ。
父親にとって、40台も後半にさしかかっていた私に対しても、同じ気持ちだったのだろう。
親孝行、という言葉が嫌いな父である。素直に子供の好意を受け取れない、ひねくれもので偏屈である。それでも、きちんと教育を受けさせてくれ、きちんと愛情を注ぎ、きちんとした生活をさせてくれた。息子を成人させた私にも、まだまだ元気に生きる義務があるのだ。
親より先に死ぬのは、最大の親不孝である。
息子がそのことに気づいてくれる日も、やがて来るのだろうが・・・
今は「親の心、子知らず・・・」といったところである。