NHK交響楽団ベートーヴェン「第9」演奏会(23日、NHKホール)

 

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」

 

指揮:パブロ・エラス・カサド

ソプラノ:髙橋絵理

メゾ・ソプラノ:加納悦子

テノール:宮里直樹

バリトン:谷口 伸

合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)

 

今年のN響第9の指揮はスペイン出身のパブロ・エラス・カサド。2週間の待機を経ての登場。

 

この人の指揮、私は日本で、そしてN響でしか聴いたことがない。最初に聴いたのが、2009年のサントリーホールにおけるシュトックハウゼン「グルッペン」の3群のオケのうちの1つを振ったもので、その時点でこの人は現代音楽の人だとてっきり思ってしまっていて、次に2011年にMusic Tomorrowで聴いたのでやはり現代音楽の人だと思い込んでいた。もちろん、実際はそうではなくて、昨年12月のN響定期ではチャイコフスキーなどを振っている。そして最新の録音はベートーヴェンの第9、フライブルク・バロック・オーケストラを指揮した古楽器演奏である。

 

さて今回の第9、私が今まで聴いたN響のどの第9ともスタイルが違う演奏であった。

 

弦楽器は12型で、コントラバスが右側に来る通常の配置。私の座席が3階Lサイドだったこともあり、4本のコントラバスはかなり遠くて、低音は全く響いて来なかった。NHKホールでも、N響の弦セクションは比較的リッチに聞こえてくるのが普通なのだが、この日はかなり弦の密度が薄く感じられたのである。

この時点で本来、私好みの演奏ではなかったのであるが…この演奏、驚くべきは明晰なテクスチュアだ。譜面に書かれた全ての音が聞こえるような、クリアな鳴らし方をしているのである。例えば第4楽章、独唱が出る前に歓喜の主題が提示されたあとの管楽器による展開など、今まで聴いたことがないような清新な響きであった。

第3楽章、4番ホルンのソロは3番奏者が吹いていた。

第4楽章、「おお友よ」のバリトン独唱もオケのアプローチ同様軽め。あえてそのような声質の歌手を選んだのか、歌手が指揮者のアプローチに合わせたのか。続く男声合唱も、声を張り上げることなくとても慎ましい歌いぶりだ。合唱は音大生の合唱団ではなくて、プロの精鋭集団である新国立劇場合唱団。総勢40名、間隔を空けて配置されている。少数精鋭ゆえもあるが、とにかくがなり立てる要素が皆無で、バリトンやテノールの高域も苦しさが全くないのである。

指揮姿を見ているととても熱いアプローチなのであるが、聞こえてくる音はとても明晰でクール。エンディングに向けても、決して熱くなることがなく、そういう意味で高揚感とか祝祭感は感じられないが、あえてそのようなアプローチを採っているのかもしれない。ヴァントのように第9が嫌いという指揮者もいるし、カンブルランのように第9の後にアタッカで「ワルソーの生き残り」を演奏する変態指揮者もいる。「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である」とアドルノが言ったように、未だに似たようなことが地球上のどこかで行われている現代においても、歓喜の歌を高らかに歌うのは野蛮なことなのかもしれぬ。

閑話休題。独唱陣、合唱ともに声楽のレベルが高い。弦の編成が小さいのがやや残念であるが、極めて高水準の演奏だったといえよう。

 

合唱団40名の最前列の中央に独唱者4人が配置されていたが、オーケストラの最後列の後ろにアクリル板が張られ、合唱と独唱からは隔離された状態であった。まあ、どれだけの意味があるのかわからないが。第2楽章のあと、独唱者はマスクなし、合唱団はマスクをして登場。まさかマスクをしたまま合唱するのかと思ったが、さすがに歌う直前にはずした。

使用楽譜はベーレンライター版(のはず)。

 

ちなみにエラス・カサドの新譜、フライブルク・バロック・オーケストラを振った第9を本公演の後に聴いてみた(新譜なのにナクソス・ミュージック・ライブラリーにてCD音質で聴ける。すごい時代だ)。古楽器オケゆえピッチが低いのがやや気持ち悪いのだが、基本的なアプローチはN響における演奏と同じ。今回のN響も、ティンパニなどは古楽器におけるそれと同じぐらいの瞬発力が感じられるが、古楽器ほどその音色は乾いていない。録音における第3楽章の4番ホルンのソロ、ナチュラルホルンゆえゲシュトップを多用して完璧に吹いている。すごい。

 

客席は1席おきの販売だったから、平年と比べると聴衆の数は半分ということになる。

コロナ禍で色々と不便になった最近の演奏会ではあるが、逆に良くなった点としては

・演奏中無神経に咳をする奴がいなくなった

・オケが登場するとき、拍手するようになった

ことではないだろうか。

 

総合評価:★★★★☆