こんにちは。最近、小学校の頃をふと思い出すことがあります。

今までも思い出すことはあったのですが。。

改めて書いてみようと思います。一人言にはなりますが。


工場が周りにたくさんあり、小学校では「光化学スモッグ注意報」なるものが発令され、夏休み、あまり外に出たらあかん。日がありました。


外には子供が溢れ、みーんな外で遊んでいました。

私は父親の会社の社宅に小学校1年生くらいに引っ越しました。入学前なのか、後なのか、もう定かではありませんが。。


その頃社宅は2棟あって、前の社宅と私達は呼んでいましたが、前の社宅はお風呂がなく、台所、二間あってベランダがありました。ドアの前は少し共有スペース的な空間があり、犬を飼っている人の犬小屋や、花を植えている人の花壇などあって、自由にしていたように思います。

隣のおっちゃんが飼っていて、聞いたらセッター犬と言っていたので、結構大きかったし、花壇には夏はひまわりがたくさん咲き、作ったへちまを干したり、そこに住んでいる人達もみんな、集団就職などで、田舎からきている人が多かったので、今思えば、思い思いのスタイルを楽しんでいたのかなぁって思います。


昼間はみーんなドアを開けて網戸にしていて、私は近所のおっちゃん、おばちゃん達が大好きでした。特に犬を飼っていた隣のおっちゃん、おばちゃんは優しくって、友達のケンカの相談をしたこともあるくらいでしたから。


だんだん記憶が定かではないけど、近所に豆腐や、八百屋があって、おつかいにいったら豆腐はボールでもらいに行き、八百屋のおっちゃんは新聞紙で野菜をくるくるっとまいてくれて、「はい、おおきに。ありがとう」と言ってくれました。


社宅だけで子供が20人くらいいたので、社宅だけで子供会、登校班も社宅だけでした。

朝、集まるときにはみんなで、一遊び。運動会前にはかけっこの練習。社宅の子はみーんな運動出来る子多かったので、いっつも5着とか6着の私は一生懸命。せめて3位に、とか何かの手違いで1位に、とか大した努力もせず、そんなこと考えてました。学校でも社宅は有名で、一度、学校でこわくて有名な先生、「あのセンセ、○ク○みたいやー」って言ってた先生に「自分ら、社宅の子やろ、どこか教えてくれへん?」って声かけられた事が有り、ドキドキしながら友達と走って「こっちーー!」と道案内したことがありました。


周りはみーんな、誰の子って知っていて、まだよその子やから怒らん、怒るって感覚はなく、自分の子と同じように怒るってゆう人が多く、それが嫌とかいいとかなく、でもみんな気のいい人達で、悪意に晒されたことがないまま、育ちました。


「社宅の子」そう言われるのを、少し誇らしげに思っていました。学校でクラスの子とあまり喋ったことも家に遊びに来てもらったこともほぼありません。その必要がなかったから。学校から帰ってきたら、社宅の子と遊ぶ毎日でしたから。。



なかなか長くなってしまいましたガーン

なにが書きたいのか分からなくなってきたので今日はこのへんで。。ニコニコ

意味不明ですいません。お許し下さい。