昨日は朝からチャリ使ってお出かけしようと思ったら,リアタイヤがなぜかパンク。空気入れてもダメ。もう勘弁してくださいってな感じです。

 

 さて今回は,長篠の戦いで武田が負けた最大の理由とは?というお話。中学校の歴史の教科書ではなんか当たり前のように織田・徳川連合軍が火縄銃部隊使って武田に勝ちましたというお話で,この戦いで戦国時代のドンパチが変わりましたみたいなことが書いてあります。

 

 また,火縄銃を効果的に使うために,部隊を3列にし,弾込め・火つけ・発砲の順を入れ替わり立ち替わりやるというやつですね。その結果,当時最強の武田騎馬隊を倒したということでした。

 

 でもですよ,これってあることを味方にすると武田が勝てた可能性が高いのです。それは何か?

 

 天気ですね。

 

 つまり,晴れの日にドンパチしたので相手は火縄銃を使えたわけで,もし雨の日にドンパチやったら火縄銃が使えないので,最強の武田騎馬隊を持つ武田がおそらく勝てたのではと思いますし,武田勝頼のお父さんである武田信玄だったら,間違いなく雨の日を選択したはずです。

 

 じゃあなぜそうしなかったのか?これはオイの推論ですが,晴れの日にドンパチやるために織田・徳川サイドの交渉術が武田よりも勝っていたのでは,それと武田勝頼は,それでも最強騎馬隊なら織田・徳川に勝てると踏んでいたのではと思います。

 

 結果的に,この戦いが戦国時代の戦い方の転機になってしまったのは事実で,これより鉄砲が戦いにおいて重要なアイテムになっていきます。またその鉄砲も進化していき,雨の日でも使えるようになります。

 

 この戦いをきっかけに,その後甲斐武田家は滅亡してしまいます。あんなに強かった武田があっさりと滅んでしまうって,なんか切ないですよね。まあ信玄も勝頼を跡取りにしたことで,こういった運命だったのかもですね。