昨日からなんか喉がイガイガします。これってもしかして花粉症?もしそうだったら人生詰みます(笑)。どうか花粉症ではありませんように。

 

 さて今回は,月曜に話題となり,火曜日に調べた事柄である,両税法と一条鞭法と地丁銀についてのお話。高校生に地丁銀について質問されて,その場で答えることができなかったので調べました。

 

 オイは高校では一応世界史選択して,共通一次では87点も取ったのですが,何せ税制は当時は難しくてあまり理解できていませんでした。両税法も一条鞭法も地丁銀も言葉は知っていたのですが,じゃあそれが何なのかと言われたら何も言えないってダサすぎました。

 

 ですから,勉強しました。中国の税制の理解のためには土地制度も勉強しなければなりません。中国の土地制度は周の井田制,魏の曹操の屯田制,西晋の占田・課田制と移り変わり,高校世界史で有名な北魏の孝文帝の均田制となります。これって日本でいうところの班田収授で,口分田を与えられてそこから租庸調の租と言われる税を納めなければなりませんでした。

 

 この均田制ですが唐の中期まで続きます。しかし,これまた日本同様,税が払えなくなった人たちが口分田から逃げ出す人(庸という兵役もあり結構大変となった)が多くなり,均田制の存続がヤバくなった上に,あの安史の乱です。いわゆる,国破れて山河在りですね。これで国内の土地が荒れ果ててどうしようもなくなりました。

 

 それで,民衆は頑張って土地を立て直し,そして新しく誕生した税制が両税法ですね。このころは米と麦の二毛作が盛んとなり,それぞれの収穫の時期にそれぞれについて税を徴収する,すわなち,年に2回税を納めるので両税法という名前になりました。

 

 これが,明の時代まで続きます。ですから750年ぐらい続くわけです。明になると世界は大航海時代。そしたら銀の流通が始まります。日本ではあの石見銀山が有名ですね。ヨーロッパのお貴族様たちがこぞって銀を欲しがったことにより,その影響が明にまで及びます。そこで,不安定な税収より安定した税収という風な時代の流れとなり,租による徴収でなく,銀による税の徴収となります。これが一条鞭法ですね。この税制は人頭税(丁税)と地税を一括で納める方式でした。

 

 んでその一条鞭法をちょっといじったのが清の時代の地丁銀となります。一条鞭法が丁税と地税のそれぞれを一括で納めるのに対し,地丁銀は地税の中に丁税を含ませることにより,納税額がちょっとは緩和されることになります。そして,中華皇帝の中でもとびっきりの優秀な皇帝の一人であるあの康熙帝は,丁税を固定させて,いくら人口が増えても丁税を増やすことをやめます。そして次の皇帝である雍正帝は実質丁税を廃止し,地税だけとなります。これが地丁銀ですね。

 

 簡単でありますが,昨日はこれ調べたらなるほどなるほどとなりました。税制においては,なんか日本も中国もやることあまり変わりませんね。でも安史の乱によりガラリと税制が変わることを考えると,やはり楊貴妃ってすごかったんですね。