久しぶりにヴィーガンネタ。




生活・ライフスタイルそのものがそれだから、


わざわざテーマにして書くようなことが浮かばないのです。


ヨガも然り。



だけどここ数日、


すごくいい『気』が巡っているのがわかる。


だからちょっとレコードしておきたい。



以下、長~いから

ご興味がある方、お時間がある方のみ先へお進みくだされ。



ペコ┏○"



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ここ最近 いろいろな人と'繋がり'だして


いや、もともと繋がっていたのだろうけど


それを意識できるアンテナがたってきて



とても心地がいい。



そしてまた その繋がりのなかで


私の人生の大きな研究課題でもある



『多様性』



についても改めて考える機会を頂いたと思っている。



多様性。



みーんな、違って、みんな、良い。



(金子みすゞ)




違いを見つける事じゃなくて



あなたとわたし。


違っていて当たり前。



それを理解して、受け入れて


そっとそのスペースに寄り添う。



だけど なんでかな。


違いを知ると 人はすぐに対立したがり 攻撃したがる。


または無視して 自分の世界から排除したがる。



違っているところをより明確にしたがって


「あなたとわたしはこう違います。」って理由づけ。



自他の境界線を用意する事は否定しなくなった。最近。



だけど 例えばロープのような境界線を張ったらどうかな?


ぐにゃぐにゃ柔軟にどんな形にも変えられる。


コンクリートの境界線じゃ、自分も相手も がんじがらめになっちゃうよ。



ヴィーガンというライフスタイルを選んだ人たち。


もともとそういうライフスタイルだった人たち。


色々な理由があるよね。



動物性食品を食べられない人


動物性食品を食べたくない人


健康至上主義・ダイエット・食餌療法から入る人


動物愛護・アニマルライツ・アヒムサ(非暴力)の観点から入る人


アーティスティックな感覚を研ぎ澄ませたい人


心身を浄化させ、ヨガ・瞑想に取り組みたい人


環境汚染の影響に気づいてしまった人


宗教による禁忌・・・



ざっと思いついただけ書き出してもこんなにたくさん。


まだまだ数えきれないくらいあるね。



そしてさらにカテゴリ分けすれば


肉は食べないけど、魚はたまに食べる人


肉も魚も食べないけど、乳製品と卵は食べる人


動物性食品は一切厳格に口にしないけれど


毛皮を着る事には抵抗のない人



などなど


果てしなく分類は進んでいく。



これらの人たちが互いに


「あの人は肉は食べないけれど、シュリンプは食べるから 私の方がより浄化された身体だ。」


とか


「はちみつを抵抗なく口にするような人をヴィーガンとは呼べない。」


とか


「動物性食品を一切摂らないうえ、動物愛護のデモに参加する私が最も崇高なヴィーガンだ。」



などと 優劣をつけているとしたら




それはとても滑稽な話ではなかろうか。



ルートは違えど 行き着く先はみな同じ。



ルートが違うということは、見ている景色も今は違う。



一直線に'その場所'にむかう人もいれば


螺旋状にグルグルとむかう人もいる。



一直線に進む人からすれば


螺旋状に進む人を見て 時に逆行しているように愚かに感じるかもしれない。


でも着実に一歩一歩、'その場所'へ行こうとしていることに違いはないのだ。




早くたどり着く人もいれば


気が遠くなるほど遠回りしてたどり着く人もいるだろう。



いいじゃないか。それで。


いずれ同じ景色を共有する仲間なら、いがみあう事は何もない。



「こっちの方が近道だよ。」



と言って自分の信じたルートに引っ張り込む?


それも相手を思えばこその1つの信念かもしれないね。



だけど、私はこう思う。



You can lead a horse to water, but you cannot make him drink.



対機説法という言葉があるように、


その人なりのタイミングを他者がコントロールすることはできないのだ。


種を蒔くことはできるかもしれない。


そのあとはただ機が熟すのを待つのみ。



押しつけは、いい結果を生まない。




>ルートは違えど 行き着く先はみな同じ。



この法則さえ、ココロに留めておけば



ヴィーガン、ベジタリアンはもちろん


本流は同じとする宗教も


無数に存在するヨガの流派も


ディスり合いから殺し合いにまで発展してしまうヒップホップ界も



互いに歩み寄れるのではないかなと思うのです。



ディベートと喧嘩の違いは理解してね。






宗派・流派を超えたワンピースフルワールドの実現。



これが今、私の考えるヴィーガンライフスタイルかな。



長文 最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。




ペコ┏○"







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