祖父母と両親の影響にて、生活の根底には常に釈尊の智慧がありました。
親の言う事でさえ、自分の腑に落ちないことは鵜呑みできない性分、
敬虔なブッディストです。だなんて胸張って言えないけれど
大人になり、ヨガを経由し、また仏教へと回帰する不思議を味わっています。
源流は同じであれ、アプローチの違いで「ガツン」とくることがある。
それが私にとっては、チベットハートヨガであり、チベット仏教なのでした。
連休初日、ダライ・ラマが震災の四十九日特別慰霊法要で来日していました。
参列する気満々だったのですが、間もなく臨月の体を心配した旦那さんにあえなく却下され、
しょぼーん。(´・ω・`)
でも、旦那さんのこの判断は、結果、正解でした。
実際参加された方の話では、突然の天気雨、長蛇の行列、飲料持ち込み禁止等々、
確かに今の私にとっては厳しいものだったかもしれません。
しかし、すごい世の中になったものです。
法要の様子がUstreamでライブ配信されたのですっ(`・ω・´) ありがたや~
Om mani padme hung.
供養文の読経のあとには、ラマの法話がありました。
たくさんの友人がいる日本で起きた悲しい出来事に
ラマご自身がとても心を痛めておられるとお話しされたうえで、
日本がしっかりと前に進むための知恵を伝えてくださいました。
なかでも、私の心に強く残ったお言葉を記したいと思います。
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地震は天災ですが、原発事故は人間が作り出した人災です。
起きてしまったことは、もう取り返しがつきません。
ですから、このような悲しい出来事が起こった時でさえ、
悲しんで心配するだけでは、何の役にも立たないのです。
既に、起きてしまったことは変えることはできません。
(シャーンティデーヴァによる「入菩提行論」を用いて)
もし何事かがおきて、それを何とかする方法があるならば、対策を講じる努力をするべきです。
しかし、それを何とかする方法が無いのであれば、それを必要以上に悲しむ必要はありません。
落胆して勇気を失くしてしまうということではありません。
(変えられる事象と変えられない事象を見極める智慧を身につけて)
将来を見つめ、再建復興のためのできるだけの努力をしていっていただきたいと思うわけです。
これから先も、悲しい出来事、自然災害、経済的な問題、地球温暖化など
問題は次から次へと起きてくるものだと思います。
私たちは心の中で、それに対する準備をしておかなければいけません。
そして何かが起きたならば、その状況をきちんと詳しく調べて、どのような対処をするべきか。
これからの時代、私たちはそのような生き方をしていかなければならないのではないのでしょうか。
これからの未来に一切のギャランティはないのです。
物事は常に変化しています。
新しい現実に直面する準備をしておくべきです。
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また、非暴力・対話を重視するダライ・ラマは、英語を話せるようになりましょうと強く訴えておられました。
日本はもっともっと可能性を秘めていると。
今回のラマの法話をうけ、私もまたさらに強くアビヤーサ(鍛錬)とヴァイラーギャ(離欲)の
必要性を痛感しているところです。