かつてSNSで「こんな歌会があったら困る」という話題になった。私は軽い冗談で「すべての歌に一票ずつ入った歌会」と返したのだが、笑いとともに思いかけず多くの反応があった。つまり選歌結果の票数が「一、一、一、一…」である。

一般に、票がばらける歌会はよくないと言われている。「五、三、二、〇…」のような選が理想的であるということだ。佳き歌が複数の眼でもってしっかり押し上げられた確かな読みの結果であり、これからも歌会のあり方として不動の規範となるものである。もちろん「票数」だけが問題ではないのが歌会の奥深いところなのだが、ここではひとまずそれは置いておく。「一、一、一、一…」に近い歌会は、既にかなりの頻度で起きているのではないか。この十年ほどの我が参加した歌会を振り返ってみてもそう感じる。

背景に大きくあるのは評価点の多様化であろう。多様な枝々の広がりによって、世代間の断絶はもちろん、同世代間でも読みのコードや言葉感覚の違い等が個々でさらに細分化されて深くなり、互いに強く屹立し始めている。他人がどうであれ、自己の感覚にだけはしっかりと合う、読みの「十人十色」の誕生である。

基本、眼鏡やスマートフォン等は貸し借りはしない。自分だけにカスタマイズされた専用の道具だからだ。もし他人が使ったら不便極まりないが自分にはぴったりと合う。コックピットのような個室にいて、こうした器機の操作のように自分に合う歌だけを快適に味わう感覚。逆に合わない歌とはどこかでうっすらと平和にやさしく繋がってさえいればそれでいい。こうした感覚を「パーソナル短歌」、略して「パソ短」と名付けたい。

「一、一、一、一…」はこれからさらに加速する。短歌ブームと騒がれる一方で結社やその歌会は概してあまり人気がない。SNSの充実によって「個」であっても歌の世界を充分に愉しめるからだ。こうしたところにもまた「パソ短」的な感覚を思う。
(「短歌往来」2025年8月号「今月の視点」より)