かつて短歌大会に応募していた頃、入選作に職業詠が多いのに気づかされた。世の中には実に様々な職業があるが、その個性的な表現に選者先生が「これは自分にはとうてい作れない」と感じさせるような力がこもるのだろう。

・誰もいないフロアにファクスの音つづくインクの匂う夜明けのデスク
・殺された人は実名、自殺なら匿名、死者を分ける線あり
・二時間後ポストに音がするだろう作り手たちの声を畳んで

タイトルからも想像できるように新聞記者の世界である。真摯に仕事に向き合う作者の、骨太で真っ直ぐな思いが伝わってくる。

・罫線をはみ出して書くわたくしは規範意識が足りない、少し
なにも規範を無視しているわけではなくて、頭から鵜呑みすることなく常に自問自答しているのだろう。

・近づいてゆけばゆくほど雲はなれ遠い水平線だ、読者は
読者を遠くの水平線に喩える。日々送り出す記事がちゃんと届いているかどうか…読者の数は膨大だし、反応を逐一確かめる術もない。

2008年の角川短歌賞次席作品からのセレクトだろう。新聞記事を書くことと歌を作ることは、いわば対極の世界。事実を正確に伝えるための記事の文章は短歌の詩的世界からずいぶん遠い。その両方の世界を言葉で行き来しているところがすばらしい。

・くろぐろと死者満ちていし川の面を見下ろす鳥の名のラブホテル
長崎の原爆をうたった竹山広を思い訪れたという。竹山の「くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川」の、アイロニーを効かせた本歌取りである。他にも東日本大震災の福島原発事故の取材の歌が収められている。激戦地ニューギニアのビアク島を取材した、こんな連作もある。

・雨後の空の青さに映える珊瑚礁の小島、致死率九割五分の

  ビアク島で、私は確かに見た。
・肉体でありしは二十四、五年か以後七十年白骨のまま
記事としてまとめ上げた部分、そして歌に昇華させた部分、その線引きの確かさを思う。

終盤はふたたび仕事の歌が並ぶ。
・トレンドに並んだネット記事を読む通勤時間は勤務時間だ
・放言と暴言飛び交う打ち合わせの直後ちょっとと目くばせを受く
通勤時間も仕事モード、社に入ればまるで戦場…バリバリの記者魂が伝わってくる。

・薄雲に白くけぶれる名残りの月 きょう本当を伝えられたか
掉尾を飾る一首。序盤の歌たちの真骨頂のように響いてきた。

『夜明けのニュースデスク』
ながらみ書房
2024年10月3日発行
2500円(+税)

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