50年間逃げ続けていた指名手配犯。
桐島聡容疑者(1954.1.9〜2024.1.29 享年70歳)
随分前から指名手配の張り紙に出ていたので、名前と顔は知っていたが、1月25日逮捕の報を聞いて驚いた。その4日後に死去したことも聞き余計に驚いた。
上の写真の右側は最近(2012年)の写真らしく、当時58歳くらいだ。亡くなる直前、既に末期の胃癌でありゲッソリ痩せて歯が殆ど無い状態だったという。
桐島容疑者は、約50年前に連続企業爆破事件の犯人グループの1人だった。
以前のハイジャックやあさま山荘事件の場合、グループは全て学生運動崩れであり、1970年代に入り学生運動が廃れてくると「一抜けたニ抜けた」のように、学生運動から次々と離脱する者が多発。残った連中がより過激化していき、事件へとつながった。
対して連続企業爆破事件の犯行グループは、「東アジア反日武装戦線」とかなり仰々しい物騒な名称であるが、それ以前のハイジャックやあさま山荘事件のグループに比べるとかなり小規模であり、ノンセクトと呼ばれ以前の左翼系過激派のグループと関係がなく、学生運動等の経験(暴動やデモ活動)の経験のない者で構成されていた。(とはいえ、根っこは当然赤軍らと同じであり、一部は後に赤軍らと合流することになる)
⬇︎東アジア反日武装戦線のメンバー一覧。
・狼、・大地の牙、・さそりの小グループがあった。桐島容疑者はさそりグループにいて、1975年の爆破事件に関わっていた。メンバーにはマニュアル本(腹腹時計)があり、周りに怪しまれないように地下ゲリラになりきる為のことが書いてあった。
・デモや市民運動には参加しない
・周りにノンポリと思われるようにする
・近所に挨拶は欠かさない
・あまり深い仲にならないこと
・昼間は市民として労働し、収入の幾らかを活動へ。
1975年5月19日にさそりの宇賀神と桐島以外の全員が一斉に逮捕された。宇賀神は1982年に逮捕され、約20年間獄中生活の後出所している。
桐島容疑者は40年以上も、神奈川県藤沢市の某工務店で住み込みで働いていたらしい。内田ヒロシという偽名を名乗っていて、「ウッチー」というあだ名があった。当然、健康保険証も銀行口座も免許証も持てなかった。給料も銀行振込ではなく、現金手渡しであった。
その為か病院へも行けず、行ったことあるかもしれないが全額実費。歯医者も行けず、逮捕時は歯がなかった。先月末道端で倒れた桐島容疑者を発見した人が、救急車を呼んで病院に連れていったらしいが、既に末期の胃癌で29日に亡くなった。
警視庁の方も任意で事情聴取したが、犯人しか知り得ないことを喋ったり、DNA鑑定などで桐島本人と確認した。
⬇︎現時点で国際手配中の2人。
以前逮捕されていたが、1977年のダッカ事件で超法規的措置にて釈放。以降、国際手配されている。
1994年撮影、大道寺あやこ
1998年撮影、佐々木規夫
最大の謎、なぜこのようなグループが出てきたのか❓
社会学者の故小室直樹氏によると、日本の敗戦と天皇の人間宣言をきっかけに急性アノミーが大発生したからだという。
その急性アノミーは左翼運動、会社共同体、旧タイプの新興宗教へ吸収されていった。その内左翼勢力の退潮が1970年代に現れる。それが、バラバラになったから一連の事件が起きた。
さらに1980年代になると、この左翼暴力側に行った急性アノミーは、校内暴力や家庭内暴力に変貌したという。この急性アノミーは個人の体験を超え、全く違う世代やグループに伝染するようである。
更に旧タイプ新興宗教から新タイプ新興宗教へも移る。それがオウム真理教だった。それらも一斉に没落する。最後の要だった会社共同体すら崩壊した。
だから、行き場を失った急性アノミーはネトウヨ、偽医療、反ワクチンらに伝染。
さらに陰謀論へ移り、最終的にそれも壊れる局面を迎えようとしている。
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