前回の記事で、80年周期説から幕末の約80年前には天明の大飢饉があったこと、その時期には米価の暴騰によるハイパーインフレが発生していたことをかいた。


⬇︎前回の記事。


今回は…、

・大凶作の原因となった冷害は30〜50年に一度、群発して発生するクセがあり、凶作群と呼ばれている。過去の飢饉や凶作群について書こうと思う。


世界的、特にヨーロッパと東アジアでは15〜19世紀に、小氷期と呼ばれる寒冷な気候の時代があった。実際には小氷期の期間でも、寒暖の差はあり非常に温暖な頃もあった。


日本🇯🇵では江戸時代は小氷期で寒冷な現象が多く、冷害による大凶作が度々発生、大飢饉が何度も起きている。


・江戸時代の4大飢饉❗️

①寛永の飢饉 寛永19年(1642)~寛永20年(1643)
②享保の飢饉 享保17年(1732)
③天明の飢饉 天明2年(1782)~天明7年(1787)
④天保の飢饉 天保4年(1833)~天保10年(1839)


あるいは②〜④の享保、天明、天保の3つで3大飢饉と呼ばれることもある。このうち②の享保の飢饉は西日本を中心とした、イナゴやウンカによる虫害によるものだった。③の天明の大飢饉は有名で江戸時代の飢饉の中でも最大規模だった。④の天保の大飢饉もそれに次いで酷いもので、天明と天保は特に規模が大きかった。


これは全国飢饉だが、東北だと以下の2つを含む。

元禄の飢饉 元禄4年(1691)~元禄8年(1695)
宝暦の飢饉 宝暦3年(1753)~宝暦7年(1757)

これに天明と天保を加えて、東北の4大飢饉と言われることがある。


・江戸時代から近代の凶作群⬇︎

この図は一番古い時代に天保の大飢饉がある。これは1830年代だった。天保以降は飢饉は発生してないが、凶作になると一部で餓死はあった。それ以降を追うと…、


・1866〜1869年、慶応・明治凶作群

・1902〜1913年、明治末期大正初期凶作群

・1931〜1945年、昭和初期凶作群。

・1980〜1993年、昭和末期平成凶作群

私が非常にショックだったのは昭和初期の凶作群だ。

1931、1934、1935年頃がそうであり、特に1934年(昭和9年)はひどかった。東北地方の農村では食料不足から一部で飢餓が発生、欠食児童問題や人身売買も行われている。


こんなに酷い状況なのに、東京や大阪といった大都市圏では、中流層以上はグルメやお洒落を楽しんだり(洋食レストラン、モボ・モガなど)同じ日本国内なのに、とんでもない格差があった。


今から90年ほど前私の両親が生まれた頃で、戦前とはいえ昭和という時代でこれである。この頃の県や政府は何やってたんだ⁉️と、非常に疑問に思う。


一部の歴史修正主義者や陰謀厨が

・明治維新前の江戸時代は素晴らしかった。

・戦前の日本は素晴らしかった。などと言っているが、

全くのデタラメだとわかるだろう❗️


・平成も大凶作が…

この凶作群、だいたい30〜50年周期で多発期が現れている。さすがに戦後は餓死するようなことはなくなったが、冷害による不作、凶作は度々発生している。


元々は稲は熱帯性作物であり、東北地方の太平洋側は数年に一度はヤマセが吹き冷害の常襲地帯なので、稲作には向かない地域だ。江戸時代の場合稲作が伝わったばかりで、冷害も多い時代だったので凶作にもなりやすかった。


ただし、戦後は品種改良も進み、耐冷品種もたくさんあり、戦前は米の取れなかった北海道が米の最大の産地になった。


最近では1980年代から1993年まで発生していた。30年ほど前の1993年(平成5年)は、稀に見る冷害で戦後最悪の大凶作になり、海外から米を緊急輸入するハメになった。


ところが⁉️

翌年は記録的猛暑と干魃になり大豊作、以降毎年のように暑い夏ばかりになる。最近では"記録的猛暑"が当たり前のようになっており、北日本は冷害の常襲地帯ということも忘れられている。


永久に冷害多発期が来ないならそれはそれで非常にありがたいのだが、前回の冷害多発期だった1980年代から約40年経過し、最後の大冷害だった1993年から早くも30年。そろそろ再来してもおかしくない時期にいる。


話は天明の大飢饉に戻る。

天明の大飢饉は、特に最悪な天候だったのは1783年(天明3年)、史上空前の冷夏と浅間山の大噴火という天災のダブルパンチだった為、食料不足が深刻化し翌年にかけて大飢饉になった。


が、天災だけでなく、

各藩と幕府の失政による人災だった面もあった。


次回は当時の幕府や藩の飢饉対策の失政と、最近の政府と日銀、財務省がやっている経済政策の失敗がまんま同じだということを指摘したい。


⬇︎良かったら、下のクリックもお願いします。