皆様、悲しいニュースが入ってきましたね。
ここでどこまで取り上げるか迷いましたがやはり、少しだけ。
まだ詳細全くわかっていませんが人を暴力により消し去る。
それにより得るものや達成することってなんだろう。
私はこの襲撃犯の感情に思いを馳せました。
小学生の頃とある国のスクールバスに乗っていました。
片道40分ぐらいゆられて学校に向かうのですが今より更に拙い英語力で、単語をつないで会話していた頃だった気がします。
それでも弟のクラスメイトからアジア人を馬鹿にする言葉がかけられたことに気付いた私は反射的に相手の背中をつねってしまいました。
バス内が一瞬静まり返りました。
周囲のびっくりした眼差しが私に向けられ大変なことをしたのかもしれないと気付きました。
学校に到着した後、ビクビクしていたらやはり事が伝わったようで先生に呼び出されて私が持っていた辞書を先生が使い、私に言葉がかけられました。
お叱りを受けました。
私は納得出来ず泣きながら主張しました。
先生は頷きながら言った相手が悪い。
あなたは怒って当然だ。
でもあなたがしたことによりあなたの主張は通らないと言われました。
私は先生に付き添われてつねってしまった弟のクラスメイトに謝罪をしました。
納得はいかないわ、教室に入るのは怖いわでひどく不安定な気持ちだったことを記憶しています。
その日、母に渡すように先生から手紙を渡され、憂鬱な気持ちで帰りました。
帰宅後渋々母に手紙を渡して部屋に閉じ籠りました。
でもその手紙は予想とは違い、英語をキャッチ出来なかったであろう私のために書かれたもので今の私を支える言葉が書いてありました。
あなたは今納得がいっていないでしょう。
でも暴力で解決はいけません。
それは揺るがない事実です。
どんな理由であれ暴力で解決する事を許してしまったら、仕方のないことだと言ってしまったら暴力を受ける側にあなたがまわった時に、仕方ないと思ってしまうでしょう。
あきらめてしまうでしょう。
それにかなわなかった時に、自分は情けない弱い人間だと思ってしまうことになるでしょう。
負けてしまったら仕方ないと思わせてしまうことになるでしょう。
暴力的な解決を拒絶するためにもどんな時にも暴力ではなく対話することを選ぶよう指導したい。
お子様にそれが伝わったかわからないのでお母様の言葉でも理由を伝えてあげてくださいと書いてあったようです。
暴力は絶対にいけない。
と皆が思う社会。
そういう姿勢が全員を暴力から守ることになる。
こういう場合は仕方ないという例外があったら暴力はなくならない。
どんな時でも暴力はいけない。
誰かの助けを借りたとしても対話で解決するという揺るがない原則。
対話しかありえないという原則が誰かが暴力を受けている事がおかしい、暴力をふるわれているのがおかしいという社会をつくる。
平和の芽を、眼をつくる。
安全な社会を作る、お互いの身を守ることにつながる。優しい社会を作る。
それを知る事が出来ました。
私はその翌日、スクールバスで弟のクラスメイトと乗り合わせる全員に改めて謝り、拍手をしてもらうという奇妙なことになりました。
相手から謝罪と握手の手が差し出されたからです。
今思えば先生が裏から手を回してくれたのだと思います。
先生の名前が思い出せないのに、大人になった今あの時以上に先生のしてくれた事に感謝の気持ちが溢れ出て仕方ありません。
だからせめて今、怒りに震える今、改めて暴力を拒否する姿勢の大切さを思い出したいと思います。
このニュースはとても悲しい。
そして怒りにふるえます。
許したくありませんし、目には目をという感情が湧き出てくる。
でもこの怒りはあの銃弾を使った彼と本質的には変わらないのでしょう。
今が暴力を断ち切る時。
安倍元首相のご家族、関係者の気持ちを思うとそんなこと言えないし言いたくない。
そんな私は弱い人間です。
でもこの感情が人を殺すことと同じ顔をしているなら別の選択をするべきなのでしょう。
世界中に非暴力の原則が根づきますように。
その原則を実践できるよう精進します。
そして何より安倍元首相のご冥福をお祈り致します。