忘年会のカラオケでヘッドバンキングしたらむち打ちになりました。ちなみに息子が歌ってた菅田将暉のさよならエレジーで。2019年の最後に『獅子舞』というあだ名が付きました。


















なにやってんの?





こんばんは、目黒です。





小袋成彬さんが新しいアルバム出したのが嬉し過ぎてディズニーランド前日なのに寝れません。もう寝るのやめようかな。寝坊が怖いなら寝なきゃいいじゃん。














って思うじゃん?


それは違うって数年前の帰省で飛行機乗り損ねた時に学んだんだ。『寝坊が怖いから、いっそ寝なきゃいい。』っていうのは『失うのが怖いから最初から誰も愛さない。』っていうのと同じで間違っているという事を。









…私は何の話をしているの?












週末


半蔵を連れて、沼津のおばの家に行ってきました☺️お母さんと染助も来てて、そこで全員集合。




(おばとお母さんは双子で、とっても仲良し)










おばが私の小さい頃の写真を出してきてくれて






ん、面影がない…?






とりあえず私は無表情がデフォルトだって事が判明した。昔から、楽しくないのに笑うのがド下手くそ。

















世界で一番愛してたおじいちゃん。





らぶ…☺️♡









大人になって、思い出せば思い出す程

色んな人から話を聞けば聞く程



おじいちゃんってヤバい事ばっかしてたし、お金にだらしないダメ人間で。







ゴミはポイ捨てするし

「カラスを捕まえてしつけて銀行強盗させよう」とかマジな目で言うし(やらなかったけど)「メジロを捕まえてヤ○ザに売ろう」とか(それは実際やってたし私は訳もわからず鳥の餌をこねてた)給料入ったその日にパチンコで全部すってきておばあちゃん泣かせてるし、愛読書は『食べれる野草』だし、常に大五郎飲んで酔ってたし、ヘビースモーカーだし、完璧なまでの駄目人間だったのにみんなが何故か『しょうがねぇなぁ!』と許していた。いや、許してはいなかったのかも。よくわからないけど、何故か嫌われてはいなかった。おじいちゃんの周りには、いつも人がたくさんいた。




そして私にとっては、私をひたすら愛してくれる世界で一番、最高のおじいちゃんだった。一度も怒られた事がない。竹トンボも竹馬も木刀も頼んでないのにすぐ作ってくれて、下手な三つ編みを私をコタツで温めながら編んでくれて、とにかく私を喜ばせようと何でもしていた。同じ絵本を何度も読んでくれて、寝るまで背中をかいてくれて、あせもができたらすぐベビーパウダーでパフパフしてくれて、セーラームーンの曲も覚えてくれたし、大福や饅頭の皮だけ食べる私の余り(あんこ)の処理を黙ってしてくれるし、怪我したら全部アカチンで治ると言って私を真っ赤にしてくれた。運動会の保護者競技ではズルしてでも思いきり一番を取り、番犬だともらってきたシベリアンハスキーには成長し過ぎて引きずられ…


常に色黒ロン毛で、野性味溢れた松崎しげるって感じのとにかく憎めない人だった。よく一緒に夕方、川に蟹を取る網を仕掛けに行った。たくさん獲れたら誰かに売った。鳥カゴも犬小屋も小一時間で作れる人だった。週末はパチンコの景品のお菓子をかじりながら、おじいちゃんがナタやノコギリの手入れをするのを見てるのが週末の楽しみだった。もしくは釣りについていき、エサの干し芋をかじりながら大きな岩に寝そべって目を閉じてお日様を浴び天国ごっこをしていた。暇になると砂を掘って『おじいちゃんのトイレ』をいくつも作った。帰ったら家に入る前に、おばあちゃんに怒られないように服についたくっつき虫を二人で取り合った。




自分の畑で取れる物をはじめ、アケビ、ビワ、鮎、タケノコ…年中、その辺でとれるものをとって食べていた。お金はなかったけど貧乏だと思った事はなかった。おじいちゃんは色んな物を器用にとったり、もらったりして、それらの美味しい食べ方を知っていた。私はそれを心から尊敬していた。




風呂が家の外にあって、毎晩おじいちゃんと裸で風呂場まで走った。だから冬はマジでお風呂が嫌いだった。たまに風呂場のスノコの裏にヤバい色のキノコが生えたけど、それすら売ろうとした時にはさすがに引いた。









とにかく毎日大冒険だった。
















その時は気付かなかったけど



私が18歳になり、おじいちゃんが死んでしまって。しばらく深い深い悲しみに打ちひしがれたあと




ふと、私は産まれて来ただけで、生きてるだけで、おじいちゃんを幸せにしてたんじゃないかと思った。本人に聞いた訳ではないけれど、確信している。




私と暮らした10年間。


私をお姫様のように愛でた10年間。





世界で一番大好きだ、大人になったらおじいちゃんと結婚する!と私に愛されたあの10年間は、時よ止まれと願う程幸せだったんじゃないか。まだ私には孫がいないから想像でしかないけど、自分に子供ができてもうすぐ10年。なんとなくわかるようになってきた。









私は、しばらく『私なんかいなくたって』と思って生きていたけど。


私が産まれたというだけで、生きてるというだけで喜んでくれた人がいた。誰かの人生の数年を温めて、輝かしい思い出を作ったのだとしたら、



あぁ、産まれてきてよかったのかもしれない。と思えた。おじいちゃんの死は底無しに悲しかったけど、逆に生きる事や人を愛する事について真剣に考える機会を私にくれた。『自分の死が、子供や孫への最後の教育』だと誰かが言っていたのを、なるほどな…と思った。そう思うと、いつか来る自分の死も、少し怖くなくなる。















そのうえ、驚いた事に私とおじいちゃんは血が繋がってなかった。(亡くなってから、遠い親戚からうっかりヤバい情報が入ってしまった。)






あんなに愛してくれたのに


毎日、「俺にそっくりだ!」と言って撫で回していたのに。


ニュースで怖い事件を見るたび、「愛が誰かに何かされたら、俺は警察なんかに頼らず自分で○○○○してやる!」と鼻息を荒げたり








実の孫じゃないのに、あんな真っ直ぐ、深く愛してくれていたなんて。(おじいちゃんは血が繋がってないのを知っていた。)








ちょっと、文章に起こしきれないけど




とにかく




大勢に愛される人生はもちろん素晴らしいけど。たった一人、深く愛してくれる人がいたらそれだけでこんなに幸せになれるのかって。心や愛の正体なんて未だによくわからないけど、その大切さはわかり始めた。32歳です。




もっと、生きたら、もっとわかるんだろうか。











おじいちゃんについてはもっともっと面白い話があるんだけど…明日ディズニーランドだからもう寝ます。笑







とにかく、血なんか繋がってなくても今でもこんなに愛してる。(てか結婚したヨッシーとだって血は繋がってない。)


だったらそれって、凄い愛なんじゃないかって。何の義務もなく底無しに愛おしいと思えるなんて、子供を愛するよりも難しいじゃないか。




わかんないけど。懐かしい写真一枚で、真剣に愛について考えた夜でした。









で、明日ディズニーランド。





よっしゃ、気合い入れて短時間寝ます。











では٩(๑❛ᴗ❛๑)۶☆