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みなさん、こんにちは。。このブログは「自分はどう感じるか」から「出発して」それを突き詰めていったフッサール現象学の解説書、竹田青嗣『現象学入門』(NHKブックス)を「関西弁訳」してわかりやすくしようとする試みです。今日もフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(『危機』と略)の「生活世界それ自身を普遍的な学的考察対象とすべきこと」について触れた部分を扱っていきます。

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ぼくらの素朴な世界像は、事物の存在と、その意味、価値の関係を、<それ自体としてあるもん>(=客観)/<人間の関心によってつけ加えられたもん>(=主観)いうかたちで了解しとる。せやけど、現象学は、これらをじつはただひとつのもん、人間の生活世界の実践的関心に応じてそのつど妥当(=これこれのもんとして存在するという)を得る「志向的相関者」として理解する、いうことなんよ。そしてフッサール先生が言わはるには、こういう考え方こそ生活世界の意味本質を普遍的なもんとして解明するための唯一の道なんよ。

換言すれば、世界が純粋にもっぱら世界として、また、ぼくらの意識生活において意味と存在妥当をもち、しかも、たえず新しいかたちの意味と存在妥当を得てくるそのままの姿で、主題となるんよ。こうしてのみぼくらは、自然的生活においてものを企てたり所有したりするさいの基盤として妥当する世界が何であるんか、またそれと相関的に、自然的生活とその主観性とは究極的に何であるんか(略)を研究することができるんや。(『危機』第39節)

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今回は短かったですね。今回で『危機』の「生活世界それ自身を普遍的な学的考察対象とすべきこと」について触れた部分は終わりです。次回からは「人間の具体的生における『根源的意味形成』と世界の意味」に触れた部分に入っていきます。ではまた次回。