今までと逆の回路(『デカルト的省察』解説その2) | takehisaのブログ

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みなさん、こんにちは。このブログはフッサール現象学の解説書(竹田青嗣『現象学入門』NHKブックス)を「関西弁訳」して噛みくだこうとしています。毎回「1回読み切り」を心がけているのですが、今回は予備知識がいります。それは<主観ー客観>図式(主観と客観が一致するかどうか)の立場に立つかぎり、論理に反してしまうということです。なぜなら<主観ー客観>図式をつきつめていくと、極端な不可知論か、偶然の入る余地のない極端な決定論に行きついてしまうからです。能書きはこれくらいにして関西弁訳に入っていきましょう。

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「他者」がまず存在するいう前提は論理に反することなんよ。なんでか言うたらこれは客観を前提にしとるからや。それを避けよう思うたら他のもん全部と同じで「他者」も、<私>の中で納得できるもんやと考えなしゃあない。

だからこの問題も、<私>がどないして、自然世界、他者、文化世界、その総体としての世界全体という納得(信憑)を<私>の中で疑いにくいもんに構成するかっちゅう問題の一部になるわな。

フッサール先生の経典『イデーン』では、自然的世界像→還元(エポケー=判断停止)→純粋自我(超越論的主観=経験に先立った主観)の抽出いう考え方の順序が見られた。これを「超越論的(自我論的)還元=経験に先立った還元」と呼んどこか。これから行うんは、いうたらその逆回路、純粋自我から自然的世界像の納得の構成へ向かう構造の解明なんよ。とりあえずこれを「形相的還元」と呼んどこ。

これはたとえば、人間が赤ん坊のときからどないして世界像を組み立てていくんかを考えるのと似てるんやけど、それと同一視したらアカンのや。なんでか言うたら、「形相的還元」いう概念の意味合いは、<私>の世界像のありようにエポケー(判断停止)をほどこして、<私>のうちに現にあるいろんな言葉の”意味本質”を本質直感(形相的に還元=形相的に判断停止)するいうことやからや。

ここでフッサール先生の考えの順序を簡単にまとめてみよか。
A <自我>の意識(=無自覚的な自我意識)の「自己構成」。
B 第一次的な<自我ー世界>の構成。
C 第二次的<自我ー世界>いう場からの<他我>の構成。
D <他我>の構成を通じて、それと同時に成立する客観的世界(客観的時空間)の構成。
E 文化的世界、歴史的世界いう<世界像>の構成。

フッサール先生が言わはるには、人間は誰でもこないなプロセスをへて、自然な世界像(の納得)を作り上げるんやけど、「他我」の問題はCとDや。

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みなさん、ここまで読んでいただきありがとうありがとうございました。言い忘れましたが、前回からこのブログではフッサールの『デカルト的省察』を扱っています。ではまた次回。