明けましておめでとうございます☆ 頑張るしかねぇべ | たけはら農園のブログ

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初心者農家の奮闘日記+α

明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します☆

 

園主の竹原誠朗です。年末近くの12月28日に無理を言って退院して来ました~。

退院とはなんぞや?と言う方へ軽く(?)ご説明を・・・

 

12月3日にたんかん畑周りの雑木を伐採していたのですが、「怪しいなぁ。狙った方向に倒れそうも無いなぁ」と思いながらもあまりにやる事が多すぎて焦って切っていた大木が自分方向へ倒れてきて、それを咄嗟に身をかがめ腰(背中)で受けました。あまりの痛さに長い間、「う゛ーーーーーーー」と「あーーーーー」しか声が出なかったのですが、少し痛さが落ち着いた(でもかなり痛い)ので自力で何とか動こうとしたのですが、足に力が入らず立てない・腰や背中が痛すぎるので、その後救急車を呼び、救急搬送されました。

 

恐ろしく痛くて声を出すのも大変なのに、瀬戸内消防署へ電話をかけて救急要請して説明をしたら「本部へも電話をして」と言われ、また説明をしあれこれ何度も繰り返し聞かれるのが辛すぎて辛すぎて大変でしたが、違う遠い場所で草刈りをしていた妻に電話とメール(終わったかも、とメール)を送っていたのを妻が運良く気がついて見てくれたおかげで、妻が消防署と連絡を取り、私のいるみかん畑に救急車を連れて来てくれました★

 

事故現場が斜面だったことと、周りに木々が多かったことで救急車が着いてから救急車に乗るまでに1時間近くかかったようでした。そこから救急車は段差を避けたりゆっくり走ったりして瀬戸内徳州会病院へ。

一番強い痛み止めを希望したのですが、最後の最後に一番強い痛み止めを打たれるまでに何度か痛み止めを打たれましたが痛みは引かず・・・「う゛ーーーーーーー」「あーーーーーーーーー」と唸る中、CTを取りましたT T

 

そこで分かったのは背骨6本、肋骨3本は折れているとの事。

急遽奄美市の県立大島病院への転送となりました。→県病院で肺挫傷や食道裏に血だまりがあるとの話がありました・・・

救急外来で痛み止め(麻薬と言われるとても強い物)や尿道カテーテル・酸素・心電図などを付け、1週間近くICUで過ごしました。その時は血圧も下がっていたので血圧を上げる注射をし、両手に二つずつルートを取り(採血・痛み止め・生食・栄養など)、足は血栓予防の為の機械を付け、身動きも取れない(繋がれまくっているのと、痛すぎる)状態でした。

ICUにいる時は毎日のレントゲンが一番の激痛で、「う゛ーーー」や「あーーー」は減ったものの声が出ない状態でした。

 

12月9日(入院7日目)、整形外来(一般病棟)に移りました。後から聞いたのですが、私の状態が悪すぎて整形外来が私の引き受けを拒否していたとか。12月9日にはとりあえずは全て取れていた(尿道カテーテルは付いている)状態です。

12月13日(入院11日目)、コルセットの採寸をしました。11日ぶりに身体を起こしたのでスゴイ目眩がしました。

12月20日(入院18日目)、コルセット完成☆ようやく尿道カテーテルも外れ、いきなりのリハビリ開始。

以後、毎日自主トレとリハビリの繰り返しで12月28日に退院となりました。

 

予定では1月10日までは入院でしたが、コルセットを巻いてからの経過がすこぶる良い(久しぶりに起きて立ってをすると3日~1週間目眩が続く人もいるそうなのと、リハビリが痛くて諦める人がいるみたいですが、どちらも大丈夫でした★)

 

ただ、3ヶ月はコルセット着用と3ヶ月はフライパンなど重さのある物を持つのは禁止(腰に負担がくる→手術や下半身不随になる可能性がまだまだあるとの事)、車やバイクなど衝撃が腰に来るのも禁止(助手席を倒した状態で移動はオッケー)、完治までは半年かかると言われています。。。

 

歩くのもヨチヨチ歩きで、図体ばかり大きくて何も出来ない状態です★

たんかんの出荷や収穫も家事も洗濯もほぼ全てを妻にお願いする他ありません。本当に申し訳なく思います。そしてありがとう☆

 

なので、たんかんの受付も止めています。

今後どうなるかはまだまだ分かりませんが、とりあえずは生きていたこと、下半身不随でないこと、予想より大分早く動けている事が全て奇跡だと何度も何度も病院でお医者さんや看護師さんに言われました。

まずは無理をしないように、少しでも早く元に戻れるように生きていきたいと思いますm(_ _)m

 

 

救急隊の皆様、救急外来の皆様、整形外来の皆様、心配して下さった皆様、頑張った妻、本当にありがとうございました<(_ _)>

 

僕、生きてます☆