こんにちは、竹花です。


時は1333年(元弘3年)護良親王の命により挙兵した赤松則村が京に兵を進める最中、姫山に砦を築きました、これが後に赤松貞範によって本格的に城に改築され、姫路城が出来ました。


しばらく城の所有者を変え、1545年(天文14年)
黒田重隆が小寺氏に姫路城を任されて入城、翌年黒田職隆の嫡男黒田孝高(官兵衛)が誕生します。


1580年(天正8年)織田信長の命により中国地方討伐に赴いていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が黒田孝高の勧めで姫路城に入城します。


1581年、羽柴秀吉により姫路城に三重天守が築かれます。


1582年本能寺の変があり、1583年羽柴秀吉が大阪城に移ると弟の羽柴秀長が入城、1585年羽柴秀吉の正室北の政所の兄木下家定入城と城主を変えます。


1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの功績から池田輝政が播磨52万石で姫路城城主になり、1601年姫路城大改築始まる、1609年現存の五重層7階の連立式天守が完成します。


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1617年(元和3年)徳川家の重臣で徳川四天王の一人本多忠勝の息子本多忠政が入城します、その息子の本多忠刻千姫豊臣秀頼の正室で大坂夏の陣で秀頼が自刃、1616年忠刻と再婚)が姫路城で短い間(一男一女に恵まれるも息子は3歳で病死、忠刻も31歳の若さで病死)ですが、幸せに過ごしたと伝えられています。


それから幾ばくかの大名が入れ替わり1808年(文化5年)藩主酒井忠道の家老河合道臣が財政改革に着手し、当時73万両にも及ぶ負債を姫路木綿の江戸専売権取得や様々な藩営事業を行い、1834年(天保5年)に負債を完済し、見事藩財政を立て直す功績を挙げる。


1867年(慶応3年)大政奉還発令、1868年(明治元年)最後の藩主酒井忠邦が領地と領民を天皇の返還する版籍奉還を発案し、1869年(明治2年)姫路藩知事に任命される、明治4年廃藩置県により姫路藩は廃止され姫路県が置かれる。


1873年(明治6年)廃城令が発令されるが全国56の存城の一つに加えられ存続を許される。


1945年(昭和20年)太平洋戦争で2度空襲されるも、奇跡的に姫路城は生き残り、1951年(昭和26年)姫路城は国宝に指定される。


1993年(平成5年)日本で初めて世界文化遺産に登録され、2009年(平成21年)平成の大改修を経て今日の姫路城が健在します。


長くなりましたが最後まで、ありがとうございます。




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