最近「死ぬこと以外かすり傷」を出版された箕輪さんの講演会で「失敗やアクシデントも全てネタにしてしまえばいい」というお話があった。


私にはまだ、これができない。


もちろん小さな失敗についてはいくらでもネタにできるが、キャリアや仕事上での人間関係、恋愛関係の失敗についてネタにすることがなかなかできないのだ。
もう少し正確に言うと、過去の重大な失敗について話してしまう場面と話せない場面という2つの局面があるが、いずれのケースにせよ「ネタ」にはできないのだ。


話せないケースは、経済的な利害が関わる場合。転職活動や、独立しての自分の売込み場面でも、過去の重大な失敗はできるだけ触れない。そして、うまくいったこと だけを話す。まずは「選ばれること」に注力するからだ。「選ばれたら少しずつ自分のダメな部分も出していこう」と思うのだが、結局先に自分をすごく見せてしまったので、今度は相手に「期待外れ」と言われないために、弱みを見せられず、がんばるということを繰り返していた。




一方で、経済的な利害が生じない場面、特に仕事以外のコミュニティに参加している場合、自分の失敗を最初の方にバーンと言ってしまうことが多い。だが、これは「ネタ」としてではなく、「私は実はこんなダメなヤツなので、変な期待はしないでね」「あとでこんなダメなヤツとしってがっかりしないでね」という後で責められないように言い訳に使っている。


「ネタ」というのは、相手のために使うことで相手 との距離を縮める効果を発揮する。つまり、相手を安心させたり、愉しませたりするためのものだ。他者から責められないよう事前に言い訳したり、これ以上踏み込んでくるなというバリアを張るために過去の失敗をさらすのは、「ネタ」とは言わないだろう。



他者を信頼して本気で親密な関係を築こうとする土台がないと、過去の失敗を「ネタ」にまで昇華できないな、と思った。

そして、その土台がないのは自分を信頼していないから。その失敗の時に感じたつらい感情を未だに受けとめず拒絶したままだから。拒絶したまま置き去りにされた感情がたくさんあると、その感情を刺激されるのが怖くて人と親密に付き合うのが難しくなる。

そして、過去の失敗を人に伝えることで「あなたは私にあの時の感情を味あわせないでね」と牽制する行為につながるのだ。


自分の負の感情は自分でしっかり受けとめて、過去の失敗を牽制ではなく、ネタに使えるようになりたいと思う。