「もし・・・したら~になるかもしれない」という子供たちのイメージ力がここ最近弱まっているように感じます。

簡単な例でいえば、机の上の筆箱をよく落としたり、高学年になっても容器に入っている水や薬品をこぼしたり、白衣の袖を容器にひっかけて落として割ってしまうなど低学年時期によく見られていたことを高学年でもやってしまう子が多い。

決して故意ではないのですが、想定したり予想することが苦手な子が多いように感じるのです。

ものや情報があふれ何でも要求通りに手に入りやすくなっていることや、大人が子供たちの先回りをし過ぎて安全・清潔であることが当たり前になって小さなケガや失敗を幼少期にしていないことが関係しているのかもしれません。

授業ではすぐに答えを欲しがったり、プロセスを飛ばしてラクに答えをもらおうと待ってしまう子、答えになかなかたどりつけないとすぐにあきらめて投げ出してしまう子も多く目にするようになりました。

学ぶときには分からないからこそ面白いと感じてほしいのですが、そうはなかなかなってくれないのがここ最近の傾向です。

ただ一方で、年齢が上がり、テストの得点や学力が高い子たちはこれまで以上に突き抜けた力をもっていると感じることもあります。その子たちを見ていると幼少期にケガや失敗を含めて実体験をたくさん行い、親御さんはなぜそのようになるかを本人に考えさせるような接し方をされています。

それによって物事の本質がどうなっているのかを考えていく芽になっているように感じます。将来の認知能力の土台となる非認知能力を高めるのに最も効果的な接し方と言えます。高学年になって知識を試されるテストや試験を多く受ける段階になった際も、その勉強の仕方は覚えているばかりではなく、原理原則に興味を持ち、頭の中で分析や実験して思考を繰り返しながら、自分の中の知識をいろいろ結び付けて答えを導き出すことを楽しんでいるのです。

その違いは子供たちからの質問を受ける際に強く感じます。質問を積極的に行うことは良いことではあるのですが、結果がどうなるのかという答えを求める質問をする子と、自分が考えた方法以外にも調べる手立てがほかにもないのかと多角的に物事を見ようと質問をする子では身につけている知識の深さが大きく異なります。

実験教室でも結果がどうなるのかを聞きたがる子は見当づけたり、予想・予測する面白さを身につけることができないので、やったことのないことに手をつけなくなったり思考停止でぼーっとしてしまうようになります。これでは現代そして未来の社会では活躍できません。現代社会における課題は答えが誰にも分からないものが多い。それどころか問いすら誰も与えてはくれません。自ら問いを立て課題を見つけ、その答えの分からない課題に対して仮説を立て、過去のデータと照らし合わせて分析を行い、自分なりの考察を示し、他の人との意見の相違を議論して最適解を導き出していくことが必要なはずです。

そこで注目を浴びているのが探究学習。自ら問いを立てて、その解決に向けて情報を収集・整理・分析したり、周囲の人と意見交換・協働したりしながら進めていく学習活動。そして 互いのよさを生かしながら、新たな価値を創造し、よりよい社会を実現しようとする態度を養うことを目的としているわけです。

この時代そして今の子供たちが社会に出たときに必ず求められる重要な力なのですが、探究学習で学んで実社会で活躍する力をつけるための土台が幼児、児童期に身についていない状態では探究する力を育てることは難しいのではないかと私は考えています。

理科つまり自然科学教育の特性として実験や原体験という経験から学びが始まりますので、探究する力の元になる探求心を育てるのに効果的だと考えています。

一年生での実験では日ごろなかなか目にしないことを見せて知的好奇心を刺激します。まだ知らないことが多い原体験時期なので、世の中の現象を知れるワクワク感が育ちます。失敗しても大けがにはつながらない。そんな中で試してみたい、知りたい「欲」を育てる。ノートは絵や図や単語でいいから書き残しておく。とにかく見た目の変化や結果を楽しみそれを印象に残してほしい時期なのです。

そして、二年生では発見や気づきを見つけ出して簡単な文章で書き残すことで注意力、洞察力という細かい目を育てる。これによって同じものを見ても人より多くの情報を獲得できる子にしてあげたい。ノートは板書を真似てもらって整理の仕方を身につけてもらいたい。この時期も見た目の変化や結果をより細かく観察することを楽しみそれを記憶とし残してほしい時期。

ほとんどの保護者や大人がここまでで理科好きになると信じたり、満足をしますがそれはちがい、実はこの後が最も大切なのです!
三年生の終わりくらいになると、見た目の変化や結果を楽しむことに飽きてきます。テレビや本や学校、生活で知識の量が増えるからです。この時期は、自己主張が強くなる時期でもあるので、自分で考えたことをアピールしたい。

そこをうまく利用して「なぜ?」「どうして?」「どのようにして?」と投げかけて自分で考える習慣をつけてもらう働きかけが大切です。

 疑問を持つ楽しさ、変化や現象には必ず理由があることのおもしろさを習得させる。

このとき疑問に思える量は2年生での注意深い目が活きてきます。最終的にはノートへ『なぜなら~だから。という理由が自分のことばでかけるようにさせる』のが目標。気づきは結果を書くときにメモ程度で十分。それよりは実験のまとめとして自分で説明させ、理由まで書くように指導します。

 四年生は論理的思考のはじまり。筋道を立て、人に分かりやすく伝えるために自分の考えに根拠を持てるようにさせる。理由を考え自分のことばで理由や仕組みを説明する癖が当たり前になれば、自ずと予想や仮説を立てるようになります。もし~なら、どうなるのだろう。自分は~ではないかと思う。なぜなら~だから。と新たな発見をしていく楽しさを伝えなければならない時期です。これによっていろいろな現象の結びつきに気がつくようになるので一つの理解でさまざまなことを芋づる式に理解でき活用できる力がつきます。

このきっかけを四年生で与えておけば、五、六年生以降は子ども自身が自らの力で課題を見つけ、解決策を考えることのできる子に育ちます。自学自習できるわけですからテストなどの認知能力も高くなります。前のめりで全力を出すことが当たり前な子に育ちます。

だから私は4年生までは可能な限り理科実験を続けてほしいと考えているのです。

5、6年は内容を深く掘り下げ、自分で調べてみたいことを列挙させ、分析、調査を行わせます。いわゆる探究的な学びです。理由を知るだけでなく、「こうしたらどうなるんだろう」という試したい欲を持ち、論理的に目の前の課題解決をさせていくのを楽しませます。理数系に進んでいる人の子供時代に特徴的なのは知識や現象を結び付け、似たものを探し出す力が長けていることです。想像を膨らませていくイメージする力が高いわけです。その土台にあるのはやはり原理原則に興味を持って探求する習慣がいかについているかではないかと思います。探究する学びを楽しめる力はまちがいなくこれからの社会に必要です。その探究力を高学年以降に高めるためにも、子どもの時期にいかにたくさんの探求する機会を得ていたかがカギとなることは間違いありません。

やってみなくちゃ分からないをできるだけ失敗の小さな低学年時期に思いっきりやらせておくことが将来の活躍に大きく影響を与えると考えられている非認知能力を高める最も大切な関わり方だと私は考えています。